当初は3週間で終えるはずだった庭の大改造。最初から3週間で終わるとは思っておらず、1カ月が目標だった。そして、現在。作業は1カ月半に亘る見通し。
先日も記したが、しかし、その作業の丁寧さ、手作り感満点の工程に、時間がかかって当然だと思う。もっともこの作業を知っていれば、どう考えても「3週間でできます」とは、言わない。
その点において、棟梁、インド的すぎる。
この家の内装工事には1カ月半をかけた。すなわち同じ期間。しかしながら、仕事の丁寧さにおいては、今回の方が数段上。家の中も、改めて改築して欲しいくらいである。
詳細を記すのは、すべての作業が終わってからにしよう。ともあれ、今回の作業を通しても、学ぶことが多かった。インドの奥深さを痛感する1カ月余りでもある。
ところで本日は、ムスリム(イスラム教徒)の約一カ月に亘るラマザン(断食節)の最終日。Eid-ul-Fitrと呼ばれるこの日は、国民の祝日でもある。
早朝、町中に響き渡るコーランの音で叩き起こされたのだった。
断食節の間、ムスリムの人々は、日中、食事をとらない。日が暮れてからの食事となる。
我が家を訪れていた大工衆の半数がムスリムだったこともあり、仕事が丁寧なことはさておき、ラマザンのために作業効率が落ちていたことは否めない。
ところで上の写真。去年と同様、ムスリムの食事、ハラルフードを買いに行った時の様子。我が家から車で5分ほどの場所に、大きなモスクがあり、夕暮れ時になると大通り沿いに、無数の屋台が並ぶのだ。
昨年、克明に記録を残しているので、興味のある方は、下記をどうぞ。
■胃袋から近づく異教。モスク界隈でラマザン食! (←Click!)
■近々日本へ/金曜日はイスラム、土曜日はパルシー (←Click!)
濃密な日々ながら、ミューズ・クリエイションの活動は地道に続けている。週に一度のサロン・ド・ミューズは、わたしにとって気分転換でもある。
デスクワークで煮詰まり、工事の現場監督で煮詰まり、さらに先週はリンゴを煮詰めた。久々のタルトタタン。サロン・ド・ミューズ用と、おまけの4つ。
十数個のリンゴの皮を、せっせと剥く朝のひととき。無心になれるのが、いい。
さて、明後日は、ミューズ・クリエイションを結成して以来の初のNGO訪問。従来の「チャリティ・ティーパーティ」のあとの慈善団体訪問よりも、かなり多い参加者を募ることができた。
それだけでも、活動を開始した成果がすでに出ている。
救いが必要な人たちに「施す」ことだけが、目的ではない。束の間でもこの地に暮らす異邦人としての我々が、少しでもこの国の現状を体験すべく、機会をもつこと。
それは、きっと自分たちの糧にもなる。
たった1度でも、自分の目で見るのと見ないのとでは、その後の意識が全く変わると、わたしは思っている。現に、自分がそうだったから。
踏み出す前と、踏み出した後の相違。
「0」と「1」の間には、果てしない相違がある。
やる、やらない。見る、見ない。する、しない。
「3」と「4」の差、「5」と「6」の差とは比べ物にならない、「0」と「1」の間の「1」。
話題転じて、数カ月前にオープンしたテキスタイルショップの写真。バンガロールのサリー専門店、サムヤックが、コマーシャルストリートにテキスタイルの専門店をオープンした。
これまでは、布といえばマイソール・シルクという店を利用していたが、このサムヤックの品揃えもかなりいい。マイソール・シルクと同じ通り沿いの、少し北側に位置する。
そしてこちらは、北東インド出身の人々のエクソダスの話題。バンガロールには、アッサム州やシッキム州、マニプール州、ナガランドなど、北東インドの人々が大勢、出稼ぎに来ている。
我々日本人と近い顔立ちをした彼ら。
彼らのことは、こちらでも簡単に記した。いろいろと書きたいことがあるが、そろそろ時間切れ。ぜひ、こちらの記事をお読みいただければと思う。インドに暮らす方は特に。
■インド:北東部出身の3万人が大都市脱出 襲撃のデマで (←Click!)
我が家界隈3カ所のアパートメントの警備員。半数以上の20名が北東インド出身で、19人が帰郷。
数日前には、アッサム州の州知事がバンガロールを訪れ、バンガロールでは暴動は起こらない、安全な都市だと宣言したにも関わらず。
無抵抗に、集団で逃げることに違和感を覚えると同時に、普段、常に追いつめられている状況なのかもしれない彼らの境遇を思う。