長い日本旅から、インドへ戻って来てまだ4日しかたっていないというのに、すっかりインドの渦。
洗濯機が早速故障したが、LGの対応の早さに感心したり、一方で、新しく購入したPanasonicのコーヒーメーカーの質の悪さに落胆したり。
超シンプルな構造のコーヒーメーカーの不具合など、人生初だ。お湯が上部から漏れる作りになっていて、話にならない。インド向け商品だから、よほど手を抜いた構造なのか、それともインドで作られたせいなのか。
交換するにも、使い勝手が悪すぎるので欲しくない商品である。別のを購入することになりそうだ。
そんな些末なトラブルはさておき、日本帰国前に発生していた「無免許おやじ」による車の事故がまだ未解決なのも困ったもの。
更には、メイドのプラシラの問題。義母が亡くなり、息子(10歳)の面倒を見る人がいなくなり、あれこれ支障があるらしい。
息子は精神的な成長がかなり遅れているようで、一人のときに火遊びなど危険な遊びをして火事になりかけたりしたらしいのだ。
加えて近所の治安が悪く、空き巣が入られる事件も続いているとか。
放課後の数時間とはいえ、息子を放置しておくのが心配で、仕事をしばらくやめたいという。
そんな矢先、そもそも我が家で雇っていたが、時間が合わずにやめたプレシラの義姉が「仕事がなくなった」ということで、職を見つけてほしいと電話をかけてきた。実に5年半ぶりに。
渡りに船とも思うが、プレシラとの間には信頼関係もある。彼女自身、やめたくはないが、他の選択をすぐには思いつかない様子。
急いでやめたところで、いずれは職が必要になるだろう。そのときに、我が家と同じような待遇で働かせてくれる家庭が、そうそうあるとは思えない。
それは彼女たちの家族にとって決して賢明な選択ではないことも明白。というわけで、明日、彼女の夫をまじえて、対策を検討する予定。
とまあ、インドと日本は、本当に異次元だと思わざるを得ない濃密でややこしくて暑苦しい日常が、始まっているところだ。
最早、旅の記録、宮島編を綴る気分も霧散しているところであるが、せっかく写真もあるので、今度ばかりはあっさりと、記録を残しておこう。
宮島を詳しく知りたい方は、どうぞ関連サイトをご参照のこと。
奈良からの帰路。京都から新幹線で広島へ。そこから在来線に乗り換えて宮島口で下りる。宮島口の駅のすぐ前にフェリー乗り場があり、そこから船で10分程度の旅を経て島に上陸する。
冷たい海風を受けながら、しかしその景観の美しさに、気分が覚醒する思いだ。
船を降り、船着き場を出てまもなく、「表参道」に至る。表参道には、土産物屋をはじめ、名物のアナゴ料理や牡蠣料理を出す店、もみじ饅頭を出す店が軒を連ね、なんとも賑やかだ。
わたしは、表参道にある宿に予約を入れていた。この日は金曜日とあって、1カ月前に予約をしようとしたときには、どの宿もほとんど満室だった。
諦めていたときに、外国人も利用するホテル予約のサイト、agodaを通して空室を見つけた。
これは非常にラッキーだった。
そもそも日本のサイトからは「1泊2食付き」のプランしかないのだが、agodaには「1泊朝食付き」のホテル的なプランが用意されている。しかも割安だ。
部屋は海に面しておらず、確かにグレードは低いものだったが、それでも露天風呂に入れたり、朝食がついているというだけで、十分である。
部屋も清潔で快適。非常に使い勝手のよい宿であった。
■蔵宿いろは (←Click!)
少し日が傾き始めていたが、せっかく天気がよいので、まずは厳島神社へ。ちょうど引き潮の時刻だったので、社殿が水面に映る様子を見ることはできなかった。
翌日の正午ごろが満潮だというので、そのときに改めて訪れることにした。
偶然にも、今回の旅は「鹿の旅」でもある。奈良に次いで宮島もまた、鹿が棲息しているのだ。今回のルートだけを外国人が巡ったら、日本にはどれだけ鹿が多いんだと思われることだろう。
奈良の鹿には鹿せんべいが与えられ、人との交流が盛んだが、宮島の鹿には餌を与えることが禁じられている。
しかし、このように人間に手なづけられ、大人しく記念撮影に応じる鹿もいたりして、よくないことなのだろうが、微笑ましい。
この光景、思わず二度見してしまったもの。じっとしている鹿がかわいすぎる。
本当なら、翌日訪れる予定だった「紅葉谷公園」へと足を運ぶ。あたりは観光客でたいへんな賑わいだ。あまり人気がないらしいNHKの大河ドラマ『平清盛』の影響もなくはなさそうだ。
本当は紅葉だけを眺めて退散する予定だったが、せっかくなら夕暮れの光景も眺めよう、ということになり、翌日訪れる予定だった弥山へロープウエイで上ることに。
時計は4時を回っており、日が陰り始めている。しかも、大勢の観光客の列ができており、ロープウエイを乗り継いで山頂に着く頃には5時近くになりそうだ。
でも、ぜひ夕日を眺めたいという夫の意見により、上ることにしたのだった。結果的には、この日にのぼっておいて、本当によかった。
というのも、翌朝は雨が降って、山頂は雲がたなびき、とても景観を眺められる状況ではなかったからだ。
ロープウエイはみるみるうちに、高みへといざなう。そしてたどり着いた弥山(みせん)の山頂。寒風が肌を刺すが、それでもなお、いつまでもなお眺めていたいと思える、静かな光景。
本当は、ここを拠点にトレッキングのルートがあり、それを体験したかったのだが、さすがにこの時間では遅すぎる。
従っては、最終のロープウエイが出発する5時半ごろまで、ここからの景観を堪能したのだった。
瀬戸内海、そして四国に至る光景を見晴るかし、いにしえの日本の優美を思う。1000年前の、ここに立ちたい。
いや、1000年といわぬまでも、100年前の。
そして帰路のロープウエイからは、広島の夜景が見渡せたのだった。
更には、宿への帰り道。時刻は引き潮のころ。厳島神社の鳥居まで、歩いて赴くことができた。
「木って、強いんだね……」
しみじみと、夫が言う。そう。庭の改装工事をしたときに、夫はしきりに、木造部分の耐久性を気にしていた。すぐにだめになるんじゃないかと、心配していたのだ。
がしかし、この鳥居は海に浸って幾星霜。いまなおどっしりと、屹立している。
「木はね、強いのよ。大丈夫だから!」
というわたしの言葉が、ここでようやく腑に落ちた模様。いや、奈良に赴き、数々の木造建築物を目にした時から、木の強さに対してを実感していた様子ではあった。
インドにも、地方によっては木造建築はあるものの、主にはレンガや石が主体である。欧州もそうだが、石の文化と木の文化というのは、メンタリティの構築に対しても、強い影響を与えていると思う。
たとえば、「はかなさ(儚さ/果敢なさ)」、という概念など。
すでに表参道の賑わいはおさまり、大半の店舗は扉を閉じている。
店の勝手口を覗き込み「なにか、食べ物をいただけませんか〜」と問う鹿の姿もをかし。
さて、宮島と言えば、奈良よりもまして、夜が早い。
なんとこの島で、夕食を食べられる店は2軒しかないということを、ホテルのフロントで聞かされて驚いた。
宿泊者の大半は「一泊二食付き」を利用するため、宿で食事をすることも理由の一つだろう。
というわけで、選択肢はないに等しく、宿に近い「居酒屋風」の店で、夕食をとることにしたのだった。ここでは幸い、名物の牡蠣料理とアナゴ料理をどちらも出してくれる。
宮島ビールで乾杯し、まずはおでんで身体を温めたあと、アナゴ丼とカキフライ定食を注文。ふたりでシェアして味わったのだった。
どちらも、とてもおいしい。幸せだ。
宿に戻ったら、お薄とお茶菓子を用意してくださった。これがまた、なんともうれしかった。
夜は夫が楽しみにしていた大浴場へ。温泉ではないとのことだが、露天風呂もあり、夕闇に浮かぶ鳥居が眺められる。
夫は温泉となるとわたしよりも「長湯」なので、わたしは一足先に部屋に戻って、心地よい余韻に浸るのだった。
翌朝は、土曜日にも関わらず、あいにくの雨。が、朝から二人して大浴場へ赴き、リフレッシュだ。
宿で朝食を食べながら、窓の外を行き交う人の様子を眺めつつ、せっかくの観光で雨に降られるとはお気の毒だと思う。
事実、わたしたちもお気の毒なのではあるが、昨日のうちに、弥山まで上っておいたので、本当によかった。
ここの朝食は、格別においしいものだった。朝食の希望時間に合わせて、炊きたてのご飯が供される。そして、新鮮かつ品質のよい素材を用いた料理。
日本での旅行中、外食の日々は、どうしても野菜が欠乏する。そんな中、奈良ホテルにせよ、ここにせよ、朝食でヴァラエティ豊かな野菜を口にできたのは、本当によかった。
小雨が降る中、再び厳島神社へ。せっかくだから、満潮のころの社殿も見学しておきたかったのだ。
わたしたちが到着したころ、ちょうど満潮がピークに達していた。なんとわたしたちを最後に、境内の見学も一時休止された。
またしても運良く「滑り込んだ」我々は、水面に浮かぶ厳島神社の風情を満喫したのだった。
このあと、裏路地などを散策し、ランチ。あなごと牡蠣、どちらかの専門店に赴く予定だったので、どちらにするかを夫に問うたところ、決められない。
どっちも、大好き。
ということで、またしても、どっちも出す店へ。焼き牡蠣、そして牡蠣飯、アナゴ飯を注文した。ああもう、本当においしかった!
このときでも十分に身が大きくて豊かな味わいだと思ったが、2月ごろが一番、おいしいのだという。2月の宮島を訪れることは、多分この先ないだろうけれど、でも、訪れたい! と、今、この写真を見ながら思う。
ああ、おいしかったなあ……。
ところで、宮島は「しゃもじ」発祥の地である。しゃもじの形状は弁財天の琵琶からきているという。
弁財天と言えば、その起源はヒンドゥー教の女神であるところのサラスワティ。琵琶の起源は「ヴィーナ」と呼ばれる弦楽器だ。
しゃもじとヴィーナに繋がりがあったとは、これまた驚きであった。
わたしはプラスチック製のしゃもじが嫌いなので、木製を利用していたが、その素材について思いを馳せたことはなかった。
宮島には何種類かの木材を使用したしゃもじが売られていたが、「長寿の木」として知られる「本桑」で作られたものが、最もよいのだとか。
桑は漢方でも用いられており、せき止めやぜんそくに効果があるほか、血液の流れをよくしたり、滋養強壮にもいいとのこと。
従っては、桑のしゃもじを使えば、健康になる、ということらしい。インドに戻って来てから早速使用してみたが、シンプルながらも手になじみのよいデザインで使いやすく、とても気に入った。
自然のものというのは、丁寧に選んだら、本当に尊いものばかりなのだ。ということを、今回の日本旅では随所で痛感させられた。
最後、フェリー乗り場で観光情報を配布していた宮島ガールズと記念撮影の夫。うれしそうすぎ!!
■宮島観光公式サイト (←Click!)
わずか24時間の宮島滞在であったが、フルに楽しめたと思う。今回は「日本の古き良き」を肌身に感じつつ、温故知新の旅であったように思う。
旅を通して思うことは本当にたくさんあった。そのことについては、今後少しずつ、折をみて記していければと思う。