2001年9月11日。わたしが住んでいたニューヨークと、夫とが暮らしていたワシントンD.C.が、同時多発テロの標的となった。
2008年11月26日。ムンバイとバンガロールの二都市生活をしていたころ、我が家の生活圏内である南ムンバイが、同時多発テロの標的となった。
そのひとつ、トライデントホテル(オベロイホテル)は夫のオフィスの目の前。タージ・マハル・パレスは、わたしのお気に入りのホテル。
そんな日常の舞台が、血の海になっていたことを、わたしたちは旅先の京都で知ったのだった。
テロは恐ろしい。事故は恐ろしい。不条理な死は、殊更、恐ろしい。
忘却できるからこそ、苦難を乗り越えて、人は生きていけるものだと思う。
その一方で、完全に忘却することはできないし、すべきではないとも、思う。
記憶という水瓶の、水底に、ひっそりと沈められている無数の記憶。それらは消え去ることはなく、ただ眠るように、そこに在るだろう。
時には水底からすくいだし、過日の痛みを振り返ることが、必要なこともあるだろう。
たとえば一年に一度。同じ日に。
顧みて、今の自分を省みる。
以下は、テロの一年後、2009年11月26日の記録。自分のために、水底に手を伸べて、救い上げてみる。
ムンバイを襲った同時多発テロから1年がたった。今朝のTHE TIMES OF INDIAはモノクロだった。
あのテロ以外にも、大小のテロがこの国を襲い続けて来たけれど、ともあれ、あの日の様子は、世界に流れた。
久しぶりの日本で、秋の京都で、紅葉を愛でる旅先のホテルで、火焔を上げる見慣れたホテルの姿を認めたときの衝撃。そこまで心を砕かれている自分に驚くほどに、砕かれた。
その日は一日、何を見ても上の空だった。ムンバイに戻りたいと思った。戻って、どうなるわけでもないのに。2001年の9月11日。痛めつけられたニューヨークを、ワシントンDCから思う気持ちと、それは似ていた。
2009年11月26日午後8時15分。わたしの部屋から見えているタージのクーポラ。ちょうど机に座っている場所から、それが見える。1年前の今、起こったことを思うと。
あのテロに関して綴ったことを、ふりかえるべくリストアップしてみた。目に留まっただけでも、これだけあった。ともあれ、自らの、覚書として。
■ムンバイで、またたいへんなことが起こってしまった。(2008年11月27日)
■遠く京都で、ムンバイを思う。インドを思う。(2008年11月28日)
■テロに思う。結局は、二つに一つ。(2008年11月29日)
■違いすぎる、インドと日本の「真っ当」。著しいずれ。(2008年11月30日)
■テロに思う。(2008年12月6日)
■失いてのちに、取り戻せるもの。取り戻せないもの。(2008年12月8日)
■うれしい知らせ。タージマハル・タワーの営業再開。(2008年12月18日)
■テロを巡る真実の断片。ナイトツアー@ムンバイ(2008年12月20日)
■ふたつのホテル、一部、営業再開(2008年12月18日)
■嘆きの霧に包まれて、覚束なきタージマハル・ホテル。(2008年12月23日)
■過剰な自粛の行方。移り変わるこの街の断片。(2008年12月27日)
■今月の西日本新聞:激変するインドはテロの話題(2008年12月29日)
■テロとメディアの在り方(2009年2月18日)