インドに移住して20年。旧居を購入し、怒涛内装工事の果てに引っ越してから18年。「侘び寂び」よろしく、家の随所が傷んでいる。本来ならば、新居に完全移住したあとに旧居の内装工事にかかろうと思っていたが、当初の予定から5年遅れ。いつになるかわからない。そのうちにも、どんどん歳を取り、やがて自分のやる気が失われるのは目に見えている。
ついには今月から来月にかけて、旧居改築プロジェクトを開始している。
・バスルーム(5カ所)の全面改築
・タイルを使用している部屋のフロア張り替え
・壁の塗装
こうして書くとシンプルに思えますがね。すさまじいんですよ、インドの場合、これらを行うことが!
そもそも家屋の構造が日本と異なるから、インドスタンダードを知らない人には理解が追いつかないだろう。まず、タイルをドリルで、大音響を轟かせながら破壊する。ドアを閉めていてなおすさまじい埃が舞うから、屋内をブルーシートで覆う。複数の労働者が家に入り、効率悪く右往左往する。必ずしゃがんでサボる人もいる。写真の通り、「ポンペイ遺跡か?」な破壊状態となったところから、再生&創造がはじまる。
インドの家屋は、1ベッドルームにつき1カ所のトイレとシャワーが備えられているのが一般的。ジョイントファミリー(大家族)が一緒に暮らす際に、1家族が一部屋ずつで完結するような構造だ。旧居は4寝室あることから、まずその4カ所のバスルーム。それに加えて玄関付近のパウダールーム(トイレのみ)の計5つ。1カ所だけを残して、一昨日より破壊活動が開始している。当然、わたしは仕事に集中できるわけもなく、ドライヴァーに指示を入れつつ現場監督、猫らの監視などをしながら、抜本的な大掃除をしている。いい機会ではある。
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インド生活20年。インドライフは格段に変化したシーンが多い一方で、こうした労働者たちの待遇や教育レベルは低いまま。だから、共通する「常識」が存在しない。目を離した隙にとんでもないことをやらかされるのが普通だから、最初の何日かは、とにかく指示をせねばならない。今回、設計を頼んでいる若き建築家曰く、「彼らは教育を受けてないから、わからないんです……」と言い訳をする。数日のことならば仕方ないとスルーするところ、しかし今回は違う。思うところを彼に語り、我が家で働く1カ月余りの期間だけでも「向上」「改善」を目指す旨、彼にも伝えた。インドの労働者の待遇や生活環境について。この件は改めて、じっくりと記したいテーマだ。
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何かにつけて、工事だ改築だ塗装だなんだと……と「破壊と創造」の渦に巻き込まれがちなインドライフ。バンガロールの新居、旧居だけではない。デリーの家も、夫から改装をしてくれと頼まれている。さらには、父の死後、日本へ一時帰国するたびに、実家の大掃除、片付けその他をしている。好きでやっている……と言われればそれまでだが、そういう「星のもと」に生まれてきたのだろう。4カ所の管理で手一杯なのに、夫は、霊山のあるアルナーチャラにも拠点を持ちたいという。やめて。
実は若いころ、わたしは「世界各地に4カ所の拠点を持ちたい」などと嘯(うそぶ)いていた。わたしは、遊牧民、流浪の民として生きたいと願い、なんなら4カ所に伴侶がいてもいいなどと、もちろん冗談ではあるが、友人らに笑いながら話していたものだ。馬鹿なのか!
念ずれば通ずというが、本当に通じてしまった。世界各地とは言わないまでも4カ所。伴侶は1人で4人分ほどの存在感。身体はひとつしかないのに、拠点がいくつもあっても手間がかかるだけ。やれやれ、あのころに戻って、自分の後頭部を叩きたいくらいだ。
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ちなみに夫は、轟音の工事から逃れるべく、現在、霊山アルナーチャラでスピリチャルに過ごしていらっしゃる。最後の写真は今朝、送られてきた写真。のどかだ。
ところで1枚目の写真は、その霊山アルナーチャラの山道で彫刻を販売していたお兄さんから購入したナタラージャ。ナタラージャとは、インド神話におけるシヴァ神の異名の一つで「舞踊の王」を意味する。宇宙の破壊と創造を象徴した、躍るシヴァ神の姿だ。
遍く世界はナタラージャ。わたしも、わたしに与えられたこのライフを、踊りながら巡りゆこう。さて、そろそろ労働者たちがやってくる。がんばろう。
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