インドに移住して20年。旧居を購入し、怒涛内装工事の果てに引っ越してから18年。「侘び寂び」よろしく、家の随所が傷んでいる。本来ならば、新居に完全移住したあとに旧居の内装工事にかかろうと思っていたが、当初の予定から5年遅れ。いつになるかわからない。そのうちにも、どんどん歳を取り、やがて自分のやる気が...
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🏏インド移住前の米国在住時から、「クリケット」とは異様にインドの人々を盛り上げるスポーツだということは認識していた。普段は睡眠不足を嫌う夫が、4年に一度のクリケットのワールドカップ・シーズンには、開催されるその土地その土地の時間に合わせて、たとえそれが深夜でも、起きている。当時はインターネットで試合...
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旅を減らしている今年はバンガロール滞在時間が長い。ゆえに、関心のあるイヴェントやお誘いいただいた催しには、極力、足を運んでいる。かつてなく、日本人コミュニティの集いにも参加していて、新鮮な気分だ。 先週の土曜日は、またしてもホワイトフィールドへ。同じ街とはいえ、これまで年に1、2回しか訪れていなかっ...
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モンスーンの到来が早い今年。このごろは、太陽が雲の向こうに隠れがち。そんな中、今週は外出が多かった。 火曜日の午前中は、恒例の女性の勉強会に参加した。この日の会場は、アーティストの友人、Jayaのお宅。彼女の描く情景は、我々の新居、旧居の随所を彩っている。勉強会(この日は作家のトークだった)が始まる...
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2000年1月、父は末期の小細胞肺がんだと診断された。まだ62歳だった。民間医療も取り入れながら、抗がん剤治療を受け、一時期はかなり回復した。その後、再発、回復を繰り返し、2004年の今日、旅立った。 写真は2001年7月、わたしたちがニューデリーで結婚式を挙げたときのもの。一時的に回復していたころ...
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わたしがホームページを立ち上げたのはニューヨーク在住時の2000年。メールマガジンを発行し、インターネット上にて発信をはじめた。そして、インド移住前の2005年にブログを開始した。以来、ほとんど毎日のように、何かしらの言葉を紡いでは、放ちてきた。 自分自身の在り方や関心や熱意の方向は、その時代時代に...
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モンスーンにはまだ早い時節ながらも、大雨に見舞われているバンガロール。乾いた夏には水不足が叫ばれ、降れば降ったで道路が水没。街の随所が冠水し、いずれにしてもインフラストラクチャー不全の大都市だ。 仕方ない。なにしろ2001年の国勢調査では、約400万人だった人口が、25年後の現在は、東京都とほぼ同じ...
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数週間前、チェンナイにお住まいの日本人女性Aさんからご連絡があった。近々、ご帰任なさるとのことで、雛人形を引き取ってほしいという。わたしのブログをご覧になったうえで、活用してもらえるのではないかと思ったとのこと。 わたしの雛人形は、ガラスケース入りの小さなものだった。当時、若くて貧しかった両親が買っ...
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バンガロールで二拠点生活を始めて、今月でちょうど3年になる。当初は1年以内に新居へ9割方、移る予定だったが、まだまだご近所さんの工事は現在進行形。4猫らは旧居で安住していることから、今だに新居はウィークエンドハウス状態だ。 「あの服はどっちの家?」「あの書類、ああ、忘れてきた!」「読みかけの本が……...
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わたしが初めて「心理療法」という言葉に触れたのは、大学時代のことだ。わたしは文学部日本文学科を専攻していたが、中学や高校の授業では学ぶ機会のなかった「哲学」や「心理学」の世界を垣間見たいと、選択した。ユング心理学……中でも夢分析には強い関心を持ち、当時は毎日のように「夢日記」を記したものだ。そこには...
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なぜ、インドとパキスタンは争っているのか。その背景を、5年前に制作したセミナー動画で説明しています。「パラレルワールドが共在するインドを紐解く」シリーズ全5本。本当は全部、見ていただきたいところですが、少なくとも②の 「広く浅く」インドの歴史(インド・パキスタン分離独立)の「6分30秒」あたりから3...
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わたしの夫は、北西インド、パンジャーブ州の出身だ。パンジャーブ州はパキスタンにもある。そもそもは、広大だった一つの州が、1947年のインド・パキスタン分離独立によって分断された。 1枚目の写真は、夫の母方の祖父母。夫の母方は、現在、パキスタン領となっているラホールの出自だ。祖母の両手首にあるバングル...
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インドの伝統衣装であるサリーへの関心を端緒に、これまで20年余り、インドの伝統的なテキスタイルに親しんできた。あくまでも、「サリーが好き」だという嗜好の域だったテキスタイルへの関心。2年半前に「京友禅サリー」を通して日本の着物世界を垣間見、1年半前の一時帰国時に立ち寄った中古着物店で伝統的な着物のす...
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先日、在ベンガルール日本国総領事館の中根総領事から晩餐のお招きを受けて、我々夫婦は総領事公邸へお伺いした。わたしは、先日の一時帰国時、自分のために購入し、「ナマステ福岡」でも着用した赤い京友禅サリーを選んだ。日本の色合いだな……と改めて思う。 昨年、わたしが急遽、コーディネートすることになったJWマ...
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日曜の夜、バンガロール市街東部のホワイトフィールドへ赴いた。目的地は、和食レストラン「Hachi by Tenya」。新規開店前日の試食会に招かれたことから、浴衣姿で参上した。有松絞りのぶどう柄が気に入っている。 「Hachi by Tenya」というからには、日本の「天丼てんや」と関係があるのかし...
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旅人として初めてバンガロールを訪れたのは2003年12月。以来、20年余りのこの街の変貌の様子が、あたかも走馬灯のように脳裏を巡る昨今。ただ、誕生するだけではない。まさに躍るシヴァ神(ナタラージャ)の如く、破壊と創造が繰り返される景観。 新しいものが次々に誕生する一方で、古き良きものを守ろうとする動...
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昨夜は、久しぶりに夜のチャーチストリート界隈へ繰り出した。遠い日のバンガローリアンがここを訪れたら、きっと驚くことだろう。20年前には想像もつかなかった、煌びやかに若々しい夜の街になっている。 かつては、おすすめのレストランを、簡単に選べたものだ。今となっては、すてきな飲食店が次々に誕生し、それと反...
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自分の人生経験を通して、学び得た事柄と、神々の教えとされる聖典や、先人らの知恵とが、合致して腑に落ちることが多くなった昨今。 若いときに買って目を通したときには、心に引っ掛からなかった漠然とした教え。今読み返せば「なるほど」と膝を打ち、大いに共感を覚える。つまりは、わたしがこれを書いたとしても、共感...
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昨日は、1カ月ぶりに新居へ。ドアを閉めていてなお、隙間から入り込んでくる工事現場の埃。ウィークエンドハウスにつき、メイドを雇っていないので、未だ、自分で掃除をする。数カ月に一度、ディープクリーニングを依頼しているので、清潔は維持できている。 無論、日頃の掃除も、外部に依頼しようと思えば可能。しかしわ...
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