昨夜は、久しぶりに夜のチャーチストリート界隈へ繰り出した。遠い日のバンガローリアンがここを訪れたら、きっと驚くことだろう。20年前には想像もつかなかった、煌びやかに若々しい夜の街になっている。
かつては、おすすめのレストランを、簡単に選べたものだ。今となっては、すてきな飲食店が次々に誕生し、それと反比例して外食の頻度は落ち、だから「未踏の地」が大半。こんなところに、こんなお店が?! という機会が増えた。
昨夜もまた、そうだった。友人Amitの50歳を祝すべくサプライズ・パーティということで、企画した友人から招待を受けた。店名の「DALI & GALA」の文字に目を見張る。サルバドール・ダリと、その妻、ガラの名を冠している。俄然、興味が沸く。
わたしは、まだ文字が読めるようになる前の2、3歳のころ、自宅の書棚にあった「世界美術全集(山田書院)」を絵本のごとく開いて楽しんでいた。そのときに最も心惹かれたのがダリの絵で、大人になってからもシュルレアリズムへの関心は強かった。
ゆえに、28歳のとき、欧州を3カ月間、放浪旅したときには、南フランスからペルピニャンを経由して、ダリの故郷であるフィゲラスで列車を降り、「ダリ・シアターミュージアム」(最高!)を訪れた。その後、バスに乗って峻険な崖道を走り抜けた先にあるカダケスという港町で数日滞在した。
地図を片手に、町外れの小高い丘を越えた先にある港を探し歩いた。そこには、ダリとガラが暮らした家があるのだ。丘の頂上から視界が開け、海を見下ろしたとき、「卵」のオブジェを戴いた家が目に飛び込んできた時の感動たるや!
そこには、彼がいくつもの作品で描いたカダケスの海辺の情景が、そのままに広がっていたのだ。昔は不便だった。けれど、地図とノートとカメラを携えて、何度も道に迷って迷って迷いながら、西へ東へ歩いたものだ。そしてそれは本当に、豊かな旅路だった。
ダリのことを書き始めると尽きない。下部に、2016年に夫とフィゲラスを再訪した時の記録を貼っておく。
ダリに少しでも関心のある方には、ぜひご一読いただければと思う。チュッパチャプスのデザインも彼によるものだ。
ちなみに後半の写真は、1960年ごろに発行されたであろう、わたしが幼いころに開いた画集。今も「月光ライブラリ」にある。それと1994年の欧州旅の記録ノート。
パーティでは、日本への帰国前に会ったきりだった親しい友らと久しぶりに会えて、うれしいひとときでもあった。日本の桜の記憶が遠のき、カタルーニャが迫り、いや、ここはインドなのだと、脳内で時空旅行。
「DALI MARTINI」と「1926」、2杯のカクテルですっかり酩酊し、あとはペリエで過ごした。すっかりお酒に弱くなったなあ……。
ちなみに1926年は、ダリが初めてパリへと飛び、その後、ピカソと出会い、シュルレアリズムと出会った年でもある。カダケスには、ピカソとダリの小さなミュージアムがあって、それがファンキーで楽しい場所だったことを思い出す……。今調べたら、AIが「カダケスにはピカソやダリの美術館はありません」と断言している。
フィゲラスのダリ・ミュージアムに統合されたのかもしれない。
「1926」。とてもおいしいカクテルだった。また訪れたい。いや、スペインを訪れたい。
🎨[Barcelona 09] ダリの故郷で超現実の芸術世界。そして卓越の昼餐。(2016)
🎨The Disintegration of the Persistence of Memory 記憶の固執の崩壊(2023)
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