昨日は、1カ月ぶりに新居へ。ドアを閉めていてなお、隙間から入り込んでくる工事現場の埃。ウィークエンドハウスにつき、メイドを雇っていないので、未だ、自分で掃除をする。数カ月に一度、ディープクリーニングを依頼しているので、清潔は維持できている。 無論、日頃の掃除も、外部に依頼しようと思えば可能。しかしわ...
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🇮🇳 I’m home. Welcome home. Earlier today, I finally returned home to my husband and four cats waiting for me. My cats are, as always, unsympathetic. T...
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長いと思っていた4週間の一時帰国も、ついには残すところ数日となった。最後の週末、明日と明後日は、福岡市の中心地である天神で開催されるインドのイヴェント『ナマステ福岡』だ。 時間の合間を縫っての地道な準備も完了。インドでは、ミューズ・クリエイション、あるいは個人で幾度となくバザールや展示会をやってきた...
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青空が広がった昨日の日曜日。しかし、少し暖かくなっていた気温が、再びぐっと落ちて、寒い。家のベランダから見下ろす多々良川沿いの桜並木は、まだ七分咲きといったところ。 名島神社へ桜を見に行くかどうか迷ったが、今日は母の眼科や歯科やわたしの整体もあり、そうこうしているうちに、瞬く間に日々は流れる。行ける...
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長いと思っていた1カ月も、すでに半分以上が過ぎた。もう少し日本にいて、一人旅に出かけたい。しかし、早くインドに帰りたいとも思う。複雑な気分だ。 昨日27日は、折しも亡父の月命日につき。約3年ぶりに、佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへと赴く。隣県とはいえ、鳥栖は福岡県との県境に近く、先日訪れた久...
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今日は佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへ。そのことを書き記す前に、昨日の夕暮れ散歩の情景を。 丘の上に立つ家を出て、踏切を渡り、国道3号線を横切って、多々良川に並行して北へ歩く。その道をして、「飛行場道」という。この真っ直ぐに伸びる道は、かつて名島にあった「名島水上飛行場」に続く道だ。その途中...
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1カ月の福岡滞在期間中、生まれ故郷の熊本や、壱岐島や、あるいは一気に台湾まで、数泊でも旅ができればと思っていた。しかし、それは困難だと悟った。 眼科によっても異なるだろうが、白内障の手術前後の目薬の経緯を簡単に説明すると、手術前の4日間、目の周囲を洗浄綿で拭いた後、1日5回。手術後は、3種類の目薬を...
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◎「人生はロールケーキ」の1周目を終えつつある昨今。かつてなく長い期間、故郷で過ごすことで、精神もまた、日々振り出しに戻りつつある。先日、図解した「人生はロールケーキ」だが、書き込んでいるうちに、思い至った肝心なポイント(記憶の歪み)を書き忘れていた。大切なことなので、後日、記したい。 ◎今日、母の...
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1年半前の一時帰国時に着物に目覚めて以来、帰国のたびにリセール(中古)の着物を発掘すべく、福岡で、東京で、店舗や展示会を巡ってきた。 そして今回もまた、リサーチしていたところ、天神の「アクロス福岡」にある「銀座いち利」にて、リユースのバーゲンが開催されているのを見つけた。これは行かねばと、母の眼科&...
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昨日は、母の白内障手術に先駆けて、香椎駅前の中村眼科へ。朝一番から多くの患者さんが待合室を満たしている。何人もの看護師さんがカルテを片手に院内を歩き、患者さんを導いている。たいへんな忙しさだ。 壁に貼られていたドクター中村の略歴を読む。1992年九州大学医学部卒業。その後、複数の病院に勤務されたあと...
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日本武尊(やまとたけるのみこと)の息子であり、第14代天皇である仲哀天皇は、香椎で他界した。 仲哀天皇と、その妻である神功皇后ゆかりの地である福岡市東区香椎、千早、名島……。我が故郷の歴史の面白さ、興味深さは、自分が歳を重ねて帰郷するにつけ、増してきた。そして昨年、壱岐島を訪れ、いよいよ、関心が高ま...
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昨年秋の一時帰国を終えてから、まだ4カ月も経っていないのだが、再びの福岡。パンデミック明けからは、年に1回だった一時帰国を2回に増やしていたが、今回、半年を待たずに長期滞在するのは、母(86歳)の白内障の手術(両眼)に伴ってのこと。 今や白内障の手術といえば、あっというまに終わる簡単なもの……らしい...
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金曜の日中は、終日、ミーティングで、少し疲れた。1カ月の不在を控えて、荷造りや雑事や仕事の残りを少しずつこなしているこのごろ。無理を避けるべく、夜の外出は控えていたが、このパーティは以前から参加を決めていたこともあり、夫と共に出かける。 着物かサリーを着ていくつもりだったが、着替えるのが面倒だ。そこ...
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バンガロールの人口は、わたしが移住した20年の間にも、2倍、3倍と増え続け、現在は東京都と変わらぬ1400万人ほどもの人々が暮らす。 それだけ急速に人が増えれば、環境破壊は免れず。樹木は伐採され、住宅は立ち並び、かつては年中、肌寒かったというこの高原都市は、しばしば猛暑や水不足に晒されている。この地...
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20年前にバンガロールへ移住してからの数年間は、日本からのクライアントをお連れするお店の選択肢は、まだまだ少なかった。なにしろ短期間の視察旅行。それでなくても、世間では「インドに行ったらお腹を壊す」と言われがち。体調を崩されては困るから、高級ホテルのレストランを中心に、いくつかの名店を選んで巡回して...
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わたしたち、遠いところまで、一緒によく来たね……。と、話しかけながら飾り付けた今年。 59年前に両親が買ってくれた雛人形。福岡、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.を経て、バンガロールにたどり着いた。歳月を刻んで、中には打撲や骨折、お肌の荒れが気になる人形もいるけれど、適宜、手当をしつつ、飾ってき...
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ニューヨーク在住時の2001年7月、わたしは初めてインドへ飛んだ。夫の故郷ニューデリーで自分たちの結婚式を挙げるためだ。サリーを着たのは、そのときが初めてだった。その2年後、ワシントンD.C.在住時にインドを旅した際、サリーの魅力に引き込まれ、何枚か購入。米国でのパーティでも着用した。 2005年に...
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毎月のように国内外を旅していた昨年から転じて、今年は敢えて旅を控え、バンガロール滞在の時間を増やしている。時間にゆとりがあるので、友人たちとの集いやお誘いにも、積極的に参加している。 先日もまた、友人宅に招かれて華やかなランチ。既知の友、初めての友……。多様性の国インドでは、同じ地方の出自でも、宗教...
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