バンガロールに戻ったら、たちまち「胡蝶の夢」のごとく、福岡の4週間が遠くてパラレルワールドを行き交っているかのような心持ちにさせられる。
すでにインドでの日常は始まっているが、心はまだ、福岡の余韻。
書ききれていない記録も多々あり、まずは「ナマステ福岡」の前日に、一人訪れた「香椎宮」のことを残したい。
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香椎第一中学校を経て香椎第二中学校に転校、香椎高校が学び舎だったわたしにとって、香椎周辺は青春の思い出に満ちた場所だ。無論、現在は当時の面影は幻。JR香椎駅も西鉄香椎駅もダイナミックに改築され、周辺の商店街や通りは再開発により著しく変貌している。
当時のわたしにとって香椎宮といえば、「近所にある神社」でしかなかった。千早小学校のころに写生に訪れた以外、参拝した記憶は数えるほどしかない。だから、今になって香椎宮の歴史の深さを知り、心打たれている。
香椎宮はまた、昨年の秋、夫と共に訪れた「壱岐」とも、神功皇后のご縁で繋がっている。かつて壱岐の勝本町には「香椎(かすい)」という地名があったと知ったときは、鳥肌が立った。
香椎宮の歴史の深さを知るには、仲哀天皇と神功皇后の歴史を知らねば伝わらない。詳細を記すと長くなるので、要点を箇条書きで残す。
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◎福岡市東区にある香椎宮は、第14代天皇の仲哀天皇と、その妻である神功皇后を祀る神社。
◎香椎宮は、天皇家との縁が深い勅祭社(全国に16社)のひとつでもあり、勅使(天皇の使い)が送られる。
◎仲哀天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第2皇子。熊襲(くまそ)討伐のために九州へ赴いたが、諸事情あって早逝。
◎仲哀天皇崩御後、神功皇后が棺を椎の木に立て掛けた。すると、あたり一面に椎の木の香りが漂ったことから、この地が「香椎」と呼ばれるようになった。
◎今回わたしは初めて、香椎宮に隣接する香椎宮起源の地である「古宮」を訪れ、神功皇后が棺を立て掛けた(棺掛)椎の木「神木 香椎」を見た。
◎「神木 香椎」のある杜の奥に立つ「大本営趾」の記念碑のあたりでは、土地の持つパワーを強烈に感じた。
*以下、大本営趾にある案内が、想像以上に壮大な内容だったので、抜粋する。読みながら、「ほぇ〜」と声が出た。
「仲哀天皇の大偉業/天皇の大偉業は、実に廣大にして其の一端が神功皇后の三韓征伐である。此の宮が策源地であったために大本営趾として記念碑が建って居る。今日我國が世界の独立國として平和にして文化國として雄飛し居るは実に其の基を開かれた天皇の大偉業による。此故に此宮は平和にして文化國日本の発祥地なり」
◎神功皇后は、仲哀天皇の急死後に神託を受けて、男児(第15代応神天皇)を妊娠中、「男装して」三韓征伐(遠征)に。ちなみに香椎宮から北西に位置する黒津の岬にて、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、この地が「名島」と呼ばれるようになった。
◎神功皇后は帰還後に糟屋郡宇美町で応神天皇を出産したとされる。その後、壱岐の温泉で応神天皇を産湯に浸からせた。前回の旅で、その温泉を訪れたが「子宝の湯」として知られている。
◎享和元年(1801)に再建された本殿は「香椎造」と呼ばれる建築様式で、国指定の重要文化財である。
◎香椎宮の近くに武内宿禰(たけしうちのすくね)ゆかりの「不老水」がある。仲哀天皇と神功皇后に仕えた武内宿禰が、献上する御飯に使った水と伝えられている。この水を飲食に使った彼自身は300歳の長寿だったとのこと。わたしは今回、初めてここを訪れた。
◎高校時代に、不老水の前を通過したときには薄暗い場所だという印象だったが、今はきれいに整備されている。300年も生きては困るので、100mlほどをいただいた。100歳くらいまで、元気に生きられればと思う。
◎香椎宮ではまた、弁財天も祀られている。
◎主神/仲哀天皇(国家安寧/世界平和/家運隆昌の神)、神功皇后(外交/子授け/安産育児/芸能上達/土木治水の神)
◎配祀/応神天皇(国家繁栄/厄除開運/武運長久/成功勝利の神)住吉大神(清祓/除災招福/海上安全/交通安全の神)
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桜が満開のこの時期に、あたかも初めて訪れるかのような心持ちで、この香椎宮を参拝できた幸運に感謝だ。
去年のわたしは、インド国内はじめ、エジプト、インドネシア、日本……と各地を旅し、図らずも多くのパワースポットを訪れ、神と大地の恩恵を授かった。今回は、故郷の近所にパワースポットが多々あったことを悟り、感無量だ。
次回は宮地嶽神社や宗像大社へも足を伸ばそう。そして今回、本気で登る予定だった「立花山登山」も実現したい。
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