気づけば4月下旬。バンガロールの盛夏は終盤。これから雨が増えれば、気温は落ち着き過ごしやすい時節となるだろう。日本から戻り、しかし日本での出来事をもう少し書き残しておきたいと思いつつ、すでに10日が過ぎた。日々はやさしく、しかし確実に過ぎてゆく。
🇯🇵
パンデミック明けより、日本を旅するインドの友らが激増している。ランダムに旅のアイデアを尋ねられることが増え、わたしも個別対応に窮することがあり。今後、「わたしが勧める日本」の資料をまとめる必要があると実感している。
木曜日、わたしは友人のMira宅に招かれた。「日本旅行経験者」が招かれてのランチ会だった。
我が母と同世代のMiraとの出会いは数年前に遡る。わたしが「女性たちの勉強会」のメンバーになり、初めて集いに参加した日のこと。彼女はわたしの方にまっすぐに歩み寄り、旧友と再会したかのような親しみを込めて、両手を握り、挨拶をしてくれた。
「わたしの前世、一度は間違いなく、日本人だったと思うの」と彼女は言った。その後、初めて彼女の家に招かれた時には、日本の絵画や調度品、漆器などが集められているのを見て感嘆したものだ。
彼女はインド人だが、顔つきは東洋人のようでもある。こうして写真を見ると、彼女とわたしは親戚のようにも見える。
子ども時代、Miraが住んでいたデリーの家の近くに、日本大使館があり、大使館に通勤する日本人女性の姿を毎日見かけていたという。小股でしずしずと歩く彼女たちを見たことが、彼女が日本に関心を持つ契機になったという。
すでに他界されているハズバンドから、結婚25周年の記念旅行はどこへ行きたいかと尋ねられ、日本と答えたそのときの旅が、彼女にとって初めての日本旅だった。以降、彼女は観光地はもちろんのこと、当時の一般の観光客があまり訪れない場所……福井県の永平寺、広島の宮島、和歌山県の高野山など……にも訪れたという。
Miraが、広島の呉港で撮影された写真がまとめられた1989年のアルバムを見せてくれた。ハズバンドが造船会社の重役だったとのことで、船の命名式に主賓として招かれたという。Miraが命名者(ゴットマザー)として”MARITIME ETERNITY”と名づけたとのこと。
翻って、友らの日本旅の話もまた、尽きることない。それぞれに興味や関心が異なるから、日本での旅先や楽しみ方も多様だ。「どこがお勧め?」と尋ねられても、すぐに返答するは難しい。昨今はオーヴァー・ツーリズムで、観光客が溢れかえり、風情が台無しの観光地も多々ある。つい先日、桜の季節に京都を訪れた友人は、京都で宿が取れず、大阪に数泊したという。
話を聞きながら、常々感じている日本の観光事情の課題や可能性、展望などについて思いを馳せる。
灯台下暗し。
異邦人目線で捉えた日本の魅力を、日本の人たちにさえも伝えたいと思う。
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