★ジローナを離れ、再び列車で北へ。ダリの故郷、フィゲラスを目指す。
朝7時30分にアラームをセットしていたのだが、7時には、やむを得ず、目を覚ますことになった。いくつもの教会の鐘の音が、7時丁度からいっせいに響き渡り、何分間にも亘って、まだ薄暗い街の静寂を破るのである。この街に住む人は、寝坊が許されない。……と思いきや、傍らの夫は、鐘の音に気づく様子もなく、熟睡している。
◎朝食前に、宿の屋上へ。カテドラルを背景に。早速、昨日購入した服を着用。
◎朝食をとるべくダイニングに向かう途中のホールには、何台もの自転車が止められていた。ツーリングの途中にこの宿に泊まる宿泊客も少なくないようだ。
◎フルーツたっぷりの朝食。夕べ買った桃がとてもおいしかった。ここにも数種類の桃が。季節なのだろうか。フルーツやハム、チーズのほか、オーナーみずから、卵料理を調理してくれる。スペインといえば、たっぷりのオリーヴオイルで焼かれた目玉焼き。それも注文する。
◎パンを見るだけで、ダリの絵を思い出す。気持ちは、早くもフィゲラスだ。
★幼少期に見た西洋美術全集が、ダリ世界への好奇心をかき立てた
フィゲラスの記録を書く前に、ダリとの出会いについて、書き留めておこうと思う。サルバドール・ダリ。1904年にフィゲラスに生まれ、1989年、84歳でフィゲラスに没したアーティスト。シュールレアリズム(超現実主義/超写実主義)の画家として世界にその名を知られている。
以下は、今回の旅の前に撮影してきた写真だ。
どこを探しても発行年が記されていないのだが、1960年ごろから徐々に発刊されたシリーズだと思われる。わたしが物心ついたときから、自宅にあった。結婚当初の両親が購入したのであろう世界美術全集(山田書院)で、全20数巻。
狭い自宅の小さな書棚の、一番下の段に、並んでいた。両親が読んでいる姿を見た記憶はないのだが、わたしは幼稚園に上がる前の、まだ文字が読めない3、4歳のころから、絵本を見るように、このシリーズを書棚から取り出して、眺めていた。
子供には大きな本。しかもカヴァーから取り出しにくかったのだが、それもまた、一つの儀式のようであった。
数ある画家の中でも、子供心に関心を抱いたのは「写実的な絵」であった。写実的ながら、実際には目にすることのない例えば欧州の風景画、宗教画には、強く好奇心を引きつけられた。
目に留まった風景画を見つけては、紙面を凝視し、
「ねえ、これ写真なの?」
と、母に尋ねたことを覚えている。絵だといわれても、全く理解できなかった。そんな絵が描けるものだということが、わからなかったから。
中でも、サルバドール・ダリの絵は、子供の心をも強く奪う魅力にあふれていた。これは、本物の風景ではないと幼心にも感じていたが、しかし現実的な表現に、強く関心を持ったのだ。
『ピアノに出現したレーニンの幻影』も、とても興味を持って、見た。また、この『2ヤード離れると中国人に仮想した3人のレーニンに、6ヤード離れると虎の顔に見える50の抽象画』も、不思議だった。
母に、「これは何?」と尋ねたことを思い出す。母が要領を得ない返事をするので、しっくりこなかったことも覚えている。母にしても、レーニンだの2ヤードだの、子供に説明することは困難だったのであろうが。
ちなみに当時、まだダリは存命中で、絵筆を握り続けていた。
1969年に、彼は棒付きキャンディの「チュッパチャプス」のラッピングをデザインしている。ちょうどわたしが、彼の絵画を初めて目にしたころのことだ。
チュッパチャプスはバルセロナ発のキャンディ。ダリがデザインを引き受けた経緯がユニークだ。興味のある方はこちらをどうぞ。
彼の故郷フィゲラスに近い海辺の街、カダケス。彼が愛妻ガラと久しく暮らしたこの海辺の光景は、幼心に深く染みた。
28歳のときの、欧州3カ月一人旅のときには、以前取材で訪れてもう一度、訪れたいと思った場所のほかに、子どものころから行きたかった場所も、かなり盛り込んだ。もちろん全てを訪れるのは不可能だったが。
たとえばドイツの、ノイシュバンシュタイン城。モルダウ(ムルダヴァ)の流れを眺めるべく、チェコのプラハ、そしてこの、カダケスなど。
3カ月の旅の起点、パリで購入したノートに、地図を貼りつけ、ルートを決めた。チェコには必ず訪れたいと思っていたので、観光ヴィザを取っていたが、旅のルートは未定だった。最終地点はマドリードにしていたものの、その間のルートは、旅をしながら、決めたのだった。
南仏を経て、バルセロナへ向かう途中、フィゲラスで列車を降りた。当時はインターネットなどないから、すべては書物で情報を得るしかなく、フィゲラスやカダケスの情報は少なかったため、行ってみなければ様子は全くわからなかった。
フィゲラスの観光案内所でもらった地図を貼り付けたページ。フィゲラスに1泊したあと、カダケスへと向かった。
カダケスへはバスで向かった。海に面する峻厳な山間の崖を走るバスが、かなりスピーディで怖かったことを思い出す。崖下に転落した車の残骸を見たときには、ぞっとしたものだ。
そしてカダケスでは、2泊した。中心街の海辺に、宿をとった。そこは多くの人々でにぎわっていたが、わたしが見たかったのは、彼がガラと暮らした家だ。
今はそこもミュージアムになっているらしいが、当時はただ外から家を眺められるだけだった。そのせいか、中心地から歩いてそこまで訪れる人の姿は、ほとんど見られなかった。
ある朝。息を切らしながら坂道をのぼり、その頂点で突然視界が開け、彼が暮らしていた小さな小さな海辺と、彼の白い住まいを目にしたときの感動は、今でも忘れられない。絵の中の光景が、そのままに、あった。
観光客は、誰もいなかった。船のそばに、二人の漁師がいたので、あれがダリの家ですか、と尋ねたら、そうだ、とうなづかれたのだった。
★ジローナから列車で約30分。2度目のダリ・シアターミュージアムへ。
フィゲラスの駅で列車を降りる。駅前の小さな公園。その木立を目にした瞬間、23年前、ひとりでここに降り立ったときのことを思い出す。
タクシーで、ダリ・シアターミュージアムへ。外観を目にしただけで、もう、笑いがこみ上げてくる。楽しい。楽しすぎる。
チケットはあらかじめネットでも予約できたが、実は売り切れていたので、直接赴いて購入することにしたのだった。かつては少なかった観光客だが、今では大勢の人々でにぎわっている。前売りのチケットを購入せずとも、10分ほど並んで購入できたので、よかった。
そもそも、シアター(劇場)だったこの建物は、スペイン内戦の末期に破壊された。その廃墟を、ダリは自分のミュージアムにすることを決め、1974年に完成した。
ダリのバックグラウンドについて触れながら記録を残していると、いつまでも終わりそうにないので、彼の詳細を知るのにお勧めのリンクを残しておく。
ざっと調べてみたところ、この方のブログの記事が、とてもわかりやすく、多くの事実が網羅されていると思われた。ダリに詳しくない方もそれなりに詳しい方も、ぜひ以下の記事をお読みになることをお勧めする。ダリに限らず、あらゆる画家の情報が掲載されていて、非常に勉強になる。今後、折に触れて頼りたくなるブログである。
【ノラの絵画の時間】
☆3分でわかるサルバドール・ダリ(1)
スペインのシュールレアリスト、鬼才サルバドール・ダリの前半生と作品
☆3分でわかるサルバドール・ダリ(2)
ダリと二人のミューズ、ガラとリア ダリの生涯と作品
☆3分でわかるサルバドール・ダリ(3)
ダリとヒトラー サルバドール・ダリの中盤の人生と作品
☆3分でわかるサルバドール・ダリ(4)
ダリ劇場美術館とダリの終盤の作品
★そして、ダリ・シアターミュージアムの中へ。
このミュージアムにはオーディオガイドがない。自らある程度、調べてくるのもいいだろうし、ただインスピレーションで楽しむのもいい、ということだろうか。というわけで、わたしもあれこれ語ることなく、印象に残った写真だけを、残そうと思う。
夫と旅をするのはいいが、やたらと写真を撮りたがる。しかも自分なりのこだわりがあるようで、シャッターを押すまでに時間がかかる。
「笑って」とか「目を開いて」とか、「人がいなくなるまで待って」とか注文が多い。そのくせ、撮るタイミングを教えてくれないから、瞬きしたりする。目を開けているのに目を開けと言われる。コンタクトレンズが乾くし、本当にたいへんなのだ。
というわけで、面倒になり、しばしば途中で退散する。
しかし、以下の写真を撮っているときには、結構、辛抱した。大勢の観光客が行き交う中、誰もいないタイミングを狙っているのがわかったので我慢した。その結果、とても面白い写真が撮れていた。途中で逃げ出さなくてよかった。
◎近寄ると、「画素」が粗くなると同時に、別の絵が浮かび上がってくる。
◎ぐっと近づくと、そこにはダリの愛妻ガラの後ろ姿、十字架などが見える。本当に面白いコンポジション。
◎ニューヨークのMOMAにもあるこのシリーズ。バゲットの上には、ミレーの『晩鐘』の農民の姿。ダリは子どものころに見た『晩鐘』の絵に、ただならぬ衝撃を受けていたようである。
◎ダリとガラの後ろ姿がひっそりと、しかし確実に。ダリは25歳のとき、友人であるシュールレアリストの詩人の妻だった10歳年上のガラに魅了された。その後、ガラは離婚し、ダリと結婚する。ガラには諸々、派手な男性遍歴があり、決してダリ一筋というわけではなかったようだが、しかし、ダリにとって彼女は作品を創造するにあたっての、偉大なるミューズであったようだ。
◎首都マドリードで美術の勉強をしていた若かりしころの作品。この時期、彼はアンハッピーだった。
◎アーティストの作品、ではなく、アーティストのひげと表情だけで一つの長い話題になるのは、ダリくらいだろう、との、逸話もあり。
◎彼自身が、エンターテイナーであった逸話は数知れず。彼のドキュメンタリー作品や映画は、本当に強烈なものばかりだ。
◎一瞥するに、中世絵画かと思わせる、しかし、近寄ってよく見れば、奇想天外とも思えるダリの世界が広がっている。諸々のメタファーが浮き彫りになっている一枚。
◎のびる鼻、溶ける銀のナイフやフォーク、落ちてゆく時間……。タイトルは、When it falls, it falls. 落ちるときには、落ちる。利いている!
石。欧州世界に足を踏み入れると、石の文化の堅固さを認識せずにはいられない。燃えたら灰になる木の文化に育まれた日本が、次々に新しいものを作って変容を続けるのは、自然の流れなのかもしれないと思う。
一方で、何百年も前の建築物が、残り続ける欧州。精神世界が異なって、当然のことだと思う。典型的な意志の強さと、伝統を誇り、守り抜こうとする欧州人の魂のようなものを知って驚いたのは、ドレスデンだ。
第二次世界大戦の空襲で壊滅的な被害にあったドレスデン。空襲で倒壊した教会を、がれきの石を再活用して、同じ教会を構築し直したのだ。
関心のある方はぜひ、この記録の下部に記しているドレスデンの記事を読んでいただきたい。
◎肩にラムチョップを載せて微笑むガラ。ラムチョップ、だ。精緻に描き込まれているだけに、そこそこ大きめの作品だろうと思っていたのだが。ガラス越しに小さなフレームに入れられたそれは……
もっともっと写真を残しておきたいところだが、尽きない。館内を巡ったあと、以前はなかったジュエリー・ギャラリーへ。
ダリ世界に浸った数時間。作品の数とヴァラエティという意味では、前述の通り、フィラデルフィアでの展示は、本当に圧巻だった。一方、こちらはダリの世界をエンターテインメント的に楽しめるという意味で、そもそも劇場だった場所に作られたがゆえ、かもしれないが、まさに「ダリの劇場」であった。
なお、2005年2月にフィラデルフィアで開催されたダリ展の感想も、ダリに興味のある方のために抜粋しておく。当時、発行していたメールマガジンに記したものだ。写真はない。上記と重複した記述もある。ダリはもうたくさんと言う方は、ぐっと下へスクロールして、ランチの話題を見ていただければと思う。
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(2/25/2005 坂田マルハン美穂のNY&DC通信より)
●そしていよいよ旅のハイライト、サルバドール・ダリ展へ
雪の舞う午前中はホテルでゆっくりと過ごし、チェックアウトをしてからフィラデルフィア随一の生鮮食料品マーケット、"Reading Market"へ行く。ここをしばし散策した後、一画にあるフードコートで、野菜ジュースとクレープのブランチを楽しむ。
その後、フィラデルフィアミュージアムに行き、ダリ展以外の展示物をしばらく鑑賞し、待ちに待ったダリ展の見学である。予約チケットがあるにも関わらず、入り口前は長蛇の列で入場整理が行われている。40分ほど待って、ようやく中に入ることができた。
サルバドール・ダリは衆知の通り、シュールレアリズム(超現実主義)の画家として世界に知られている人物だ。ピンと尖った口ひげをたたえ、奇矯な言動や行動で人々の関心を引いていたことから、「天才」であり「変人」だとも捉えられていたが、実のところは彼自身、作為的に奇人を装っていたところもあるようだ。
彼は今から101年前の1904年、スペインに生まれ、幼少期を地中海沿岸のカダケスやフィゲラス周辺で過ごした。彼の作品にはこの地の風景がしばしばモチーフとして登場する。
彼には兄がいたが、彼が生まれる直前に他界、両親は次男である彼に、死んだ長男と同じ「サルバドール」を命名し、そのことが彼の人生に影響を与える。幼い頃から彼は絵画における才能を発揮し、マドリードの絵画学校に通い始めるも、教授たちの「未熟さ」に幻滅、退学する羽目となる。
ピカソやミロら、他の芸術家との交流を深め、自らの作風に彼らの影響を反映させながら、一方、フロイトの影響も受けつつ、独自の世界観を築き上げていく。
彼が25歳の時、友人である詩人ポール・エリュアールの妻、ガラと出会い、恋に落ち、駆け落ちする。以来、ガラはダリの創作活動にとって不可欠な「ミューズ」として彼の作品にしばしば登場するようになる。
1982年にガラが他界してからは創作意欲を喪失し、翌年に描いた「ツバメの尾」が最後の作品となる。84年には火災で大やけど多い、89年に他界した。
わたしは、以前にも書いたが、幼児期、家にあった絵画全集を開いて、彼の作品に出合い、とても興味深く思った。その絵が意味することなどまったくわからなかったものの、そこには子供の好奇心をかき立てるに十分の世界が広がっていた。
溶けて歪んだ時計の絵(「記憶の固執」)や、楽譜に蟻が這っていて、ピアノの鍵盤に人の顔がある絵(「ピアノの上の六つのレーニンの幻」)、脚に引き出しがいっぱいあり、向こうで背中が燃えているキリンの絵(「燃えるキリン」)、ひょろ長い脚を持つ象や馬の行進(「聖アントワーヌの誘惑」)、宙に浮かんだ半裸の男性(キリスト)の姿(「十字架/超立方的肉体」)……。
どの絵も、他の巻に収められている絵画とは全く異なる迫力で、わたしの関心を引きつけた。
以来、ダリの絵を、部屋に飾りたいとは思わないけれど、そして「好きだ」とも言い切れないのだけれど、とても興味深く思っており、しかしだからといって、彼について詳しく調べるでもなく、中途半端なファンではある。
とはいうものの、1994年に列車で欧州を放浪した折には、地中海沿岸、南仏からバルセロナまで南下する途中にある彼の生まれ故郷、フィゲラスを訪れた。そして、彼の「まるでアミューズメントパークのような」ミュージアムを訪れた。
その臙脂色の建物の屋根には大きな卵がいくつものっかっていて、壁にはパンを模したオブジェがたくさんくっついている。そこはとても一言では書き尽くせぬ、真にユニークなミュージアムであった。
パンや卵をはじめとする「食べもの」は彼の作品にしばしば登場する大切なモチーフの一つで、頭にバケットを掲げたマネキン人形や彫像が数多くあるほか、彼自身もマタドール(闘牛士)の帽子を模したパンを被ってのパフォーマンスを披露したりしている。
またこのとき、フィゲラスから更にバスに乗り、峻険な山道を走り抜けた先にあるカダケスへも行った。ここは彼が愛した小さな漁村で、小さな漁船が停泊する静かな港町だった。ここにあるピカソ&ダリ・ミュージアムも訪れ、それからダリがガラと住んでいた別荘のあるポート・リガトまで歩いて出かけた。
長い坂道を上った先に、ふと視界が開け、ダリの絵の中で見た同じ青空と海辺の光景が目に飛び込んできたときの感激は、今でも鮮明に心に刻まれている。彼の住んでいた家もまだそこにあり、やはり大きな卵が屋根に飾られているのだった。
さて、前置きが長くなったが、サルバドール・ダリ展である。これはもう、想像していたよりも遥かに、すばらしいものだった。
世界各国から集められた200点を超える彼の作品が、10代のころの作品に始まり、年代を追って展示されている。
若い頃、画風をさまざまに試みながら、独自の世界観を創り上げていった様子が手に取るようにわかった。
最初は「ダリって、変態だよね~」とダリ好きのわたしをからかっていたA男だが、のっけから衝撃を受けたようで、それはもう大変な集中力で作品に見入り、解説を読み、没頭している。
ダリの作品は緻密な上に数々の伏線を秘めているから、さっと見過ごすことができなくて、鑑賞するのにかなりの集中力を要するため、疲れる。とても数時間で見て回れない作品数と濃度である。
その上わたしたちは、互いに関心のある作品を見せ合おうと、「ちょっとこっちに来て」「あっちを見てよ」と、うろうろ歩くから、へとへとである。
食べ物に関する絵画で気に入ったものをいくつか。ちなみに以下は日本語でどのように紹介されているかわからないので、わたし自身で訳した。
Fried Egg on the Plate without the Plate
(皿のない、皿の上に載った目玉焼き)
Portrait of Gala with two lamb chops Balanced on her shoulder
(肩の上に、バランスよく二つのラムチョップを載せたガラの肖像)
Soft Self Portrait with Fried Becon
(焼かれたベーコンと、柔らかな自画像)
Two Pieces of Bread Expressing the Sentiment of Love
(愛の感傷を表現する、二かけのパン)
なんだか、興味をそそられるタイトルでしょ?
作品のことを書き続けているときりがないのでこのあたりでやめておくが最後に。今回、最も衝撃を受けた絵のひとつは、"Station of Perpignan"(ペルピニャン駅)という非常にスケールの大きい作品だった。
この駅は、南仏からスペインにはいるときの国境駅で、わたしも何度か通過したことがある。
彼はこの駅を自分の全宇宙の中心と捉えいた。その作品には、彼の諸々の情熱や衝動、欲求、愛、陰影、理想、過去、現在、未来、森羅万象が表現されているようだった。言葉で表現するといかにも陳腐になるのでだめだ。この辺にしておこう。
そんなわけで、数時間、彼のエネルギーを全身に受け止めて疲労困憊となりながらも、すばらしいひとときを過ごすことができた。なかば放心状態でわたしたちは帰路についたのだった。
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今、約10年ぶりに自分の記録を読んで驚いた。このとき、ガラの肩にラムチョップが載った絵を見ているではないか! わたしも夫も、今回初めて見るみたいに、食い入るように見つめてしまった。哀。が、一粒で二度おいしい、ということで。
ダリ世界に浸った数時間。気づけば午後2時半で、すっかりお腹がすいている。ミュージアムの界隈のレストランで、軽くランチを取るつもりだったが、どこも観光客向けの印象で、あまりそそられない。
ミュージアムを少し離れた方がいいだろうと歩き、人ごみが少なくなったあたりで、夫が「誰かに聞いてくる」と言いブティックに入って行った。お店のお姉さんが勧めてくれたのは、そこから更に5分ほど歩いた場所にある、この店だった。
◎店に入るなり、とてもいい雰囲気。人々が囲むテーブルに供されている料理が、とてもおいしそうだ。ランチは前菜、メイン、デザートの3コースメニュー。いくつかの選択肢がある。前菜はそれぞれ別のものを注文してシェアすることにし、主菜は二人ともパエリアを注文。
◎オリーヴの実を口にして、そのおいしさに、更に期待が高まる。
◎豆のスープ。じっくりと煮込まれており、ほんのり磯の香りがする。塩分もほどよく、非常においしい。
◎ズッキーニのカルパチョ。ズッキーニのスライスの上に、サラダ、トマト、チーズ、生ハムなどがちりばめられただけのシンプルな料理ながら、オリーヴオイルなどの素材のよさが風味を引き立て、これもまたおいしい。
◎シーフードのパエーリャ。思わずお兄さんの方にフォーカスしていしまい、パエーリャがしっかり撮れていない。
◎先日、一人で食べたロブスターのパエーリャ同様、これもカタルーニャ風。
◎汁気が残ったリゾット風ながら、お米の歯ごたえがしっかりとあり、これが本当においしい。この店を教えてくれたお姉さんにお礼をいわなきゃね、いいところを教えてもらったねと、二人で感動しながら食べる。
◎デザートも2種類注文。リキュールがしみ込んだしっとりスポンジケーキの上に、カスタードクリーム(クレマ・カタラーニャ)が載っており、その上にイチジクのスライス、カラメルが焼き付けられている。
◎こちらのチーズケーキは非常に滑らかな舌触り。程よい濃厚さで、生クリームの味もまたすばらしい。
◎思いがけず、こんなおいしいランチが食べられるなんて、本当に幸運だと思いつつ、トイレに行く途中に、シェフを紹介する記事を見つけて驚いた。
スペインのグルメ史に名を残す世界的に有名なレストラン、エルブリ(エルブジ)で腕を振るっていたシェフが独立し、オープンした店だという。若きシェフの名はMarc Joli。「日常的に、リーズナブルにおいしい料理を」というコンセプトに、探究心に任せ、料理を作り続けているという。
実はバルセロナ滞在最終日、エルブリで働いていた3人のシェフによるレストラン、「ディスフルタール」の予約を入れている。旅の終わりにして、ずいぶんとグルメな感じになってきた。
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食も、美術も、音楽も、全ては「芸術」に包摂されるのだな、ということを、しみじみと思う。
◎これだけ満足の料理を味わい、スパークリングワインも頼み、このお値段というのも驚き。こんな店が近所にあったら、通い詰めそうだ。
思いがけず心身ともに満たされるランチタイムを過ごせた。預けていた荷物をミュージアムへ取りに行く道すがら、件のブティックへ立ち寄りお礼を言おうと思ったが、あいにくそのお姉さんはすでに帰宅していた。
今回の旅、最初の一人旅のときから、ホテルの人やお店の人などにお店を尋ねて足を運んだことが多かったが、どの店もそれぞれに個性があって、心に残っている。
歳を重ねて胃腸が云々と感じてはいるものの、ランチタイムにヴォリュームのあるものを食べ、アルコールを飲み、夜は飲まずに軽めにしているせいか、体調もいい。
カテドラルに立ち寄って心を清めたあと、駅に向かい、バルセロナへの急行列車のチケットを買う。フィゲラスから約2時間。バルセロナの旅も、いよいよ、幕を閉じようとしている。1泊2日、バルセロナを離れたことは、旅に豊かな彩りを与えてくれた。
旅の中の旅。いい旅だった。