今回、旅に先駆けて日本のアマゾンから数冊の本を取り寄せていた。その1冊すら読むことなく、今回の旅を迎えてしまった。なお、黄色の岩波新書『スペイン断章』(堀田善衛著)は、遥か昔、多分30年ほど前に発行されたもので、これは以前から持っていたものだ。
今、この『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』(岡部明子著)を本を読み進めている。これは、事前に読んでくるべきだったと反省しつつ、今、時間の合間を縫いつつ読んでいるところだ。この本は、バルセロナの成り立ちを知る上で、本当にすばらしい一冊だと思う。
たとえばバルセロナのあるカタルーニャ地方と、マドリードのあるカステーリャ地方は、長い間、相容れない関係にあった、ということは知っていた。しかし、なぜそうなのか、ということは、知らなかった。その、久しく放置されていた疑問が、数ページを読んだだけで、大ざっぱながらも理解できる。
前回の記録にも載せた写真だが、この赤い『スペインの本』が、わたしが編集した1990年に発行されたガイドブック。緑のミシュランガイドは、1990年代の一時期発行されていた日本語版。このグリーンシリーズのガイドブックは本当にいい。かつて、ミシュランの地図とともに、どれほどお世話になったかわからない。
欧州の列車時刻表は、遠い旅の記憶を懐かしんだ数年前に、アマゾンで取り寄せたもの。今回、バルセロナ滞在が長いので、別の都市も足を伸ばすことがあるかもしれぬと、持って来たのだった。
過去、勉強をさせてもらった良質のガイドブックが駆逐され、写真重視でファンシーな旅行ガイドが増えるのは、決してよいこととは言いがたい。旅は、好奇心を高めつつ、想像力と共に未知の世界へ飛び出すところによさがあると思うのだが、「見たことのある写真を、現実と重ね合わせに行く」のことが中心になるのでは、旅の感動が半減する。
地図もまた、旅に欠かせない存在だ。若いころは、旅するたびに、ノートを携え、記録を残していた。そのノートに貼り付けた地図を見れば、当時の記憶がたちまち蘇る。食の記憶もまた、糸口となって、当時の思いに光を当ててくれる。
たとえばこれは、1994年の欧州放浪旅のときのノートの1ページ。プラハに滞在したときの記録だ。チケットやレシートや切符など、いろいろなものをペタペタと貼りつけて言葉を添える。このノートを開けば即座に、28歳のわたしに再会できる。
★『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』岡部明子著を参考に……。
ところで、この本。まだ、最初の数十ページを読んだだけなのだが、バルセロナを見る目がすっかり変わってしまった。
思い返せば1992年のバルセロナオリンピックの際、カタルーニャ政府観光局が日本の新聞に全面広告を出したことがあったのだが、そのときのコピーが強烈だった。正確には覚えていないが、
「バルセロナはどこの国にありますか」「答えはカタルーニャです」
といった内容だった。
すごいな、と思った。スペインでありながら、ここまでスペインを否定し、カタルーニャを主張する理由はなんなのか。細かいことまでを学ぶことなく、今日まできていた。しかし、この本の最初を読むだけで、その背景が手に取るようにわかった。
バルセロナに関心のある方には、ぜひお勧めしたい一冊だ。敢えて要点をまとめるまでもないのだが、今のところ、印象に残ったくだりを、備忘録を兼ねて簡単に抜粋してみる。
◆バルセロナは、紀元前20年ごろ、ローマの植民都市バルキノとして誕生した軍事都市が原点である。
◆イスラム勢力をイベリア半島から駆逐すべく、約800年に亘って行われたレコンキスタ(国土回復運動)は、ピレネー山脈が重要なボーダーだったが、そこに隣接するカタルーニャは、キリスト教とイスラム教という異文化のせめぎ合いの中で揺れ続けてきた。
◆12世紀、カタルーニャは、東は南仏一帯、西はアラゴン王国を制し、ピレネー南北にまたがる大国になった時期があった。
◆バルセロナの街は、海に面した、ゴシック地区(旧市街)、中でも「海のサンタマリア教会(サンタマリア・デル・マレ)」やモンカダ通りあたりを端緒に、形成されてきた。
◆観光客が闊歩するランブラス通りは、丘から流れる溝川沿いに作られた市壁にすぎなかった。
◆スペイン王位継承戦争後、バルセロナは要塞都市的な閉塞感ある時代を送った。海に面したバルセロネタの直線的な街並は、軍事土木技師によって施された。
◆ブルボン朝スペインから、政治、行政、文化的に押さえ込まれたが、経済的自由度が高かったことから、産業が発達。カステーリャ王国が「新大陸」からの恩恵に浴している間、カタルーニャは蒸留酒や綿、絹織物の輸出に尽力、地域産業を育成した。
◆産業に力を入れた結果、財力をつけたバルセロナは、19世紀末、芸術の大輪を咲かせ、ガウディら建築家に活躍の舞台を整えるに至る。
◆19世紀後半、欧州は都市改造の嵐が吹き荒れた。パリ、ウィーン、バルセロナが三大都市改造として有名。
◆バルセロナは、「バロック的荘厳で優雅な街並み」作るべく、地元建築家の案を採用、ブルジョアを中心に沸き立ったが、マドリード、即ちスペイン中央政府の強い介入で、その案は却下され、セルダという建築家が指揮をとった。
◆現在、板チョコのように規則正しく並んだ都市は、当時のバルセロナの人々にとって、中央に敗した苦い都市づくりだったとのことだが、結果的に、セルダの設計は「先見性がある優れた点が多い」ものであった。ゆえに、現在に至る都市の発展に貢献した。
◆セルダは、貧困層の暮らしを徹底的に調査し、貧富の差が現れないような都市造りを目指した。街の構造を碁盤の目にすることにより、どこにも等しく、日が当たる。
◆一見、4角形に見えるブロックだが、よく見れば、角が削り落とされた8角形だ。これは、まだ当時はなかった「自動車」が、やがては誕生することを見込み、自動車が角を曲がり易くするための設計だった。
◆「田園都市」計画の先駆者であったセルダのアイデアは、ブロック内に公園を配するなど都市の中に田舎の要素を取り込んだものだが、後にブルジョアらからの圧力に屈し、徐々にビルディングに固められていった。更にはフランコの独裁政権時代に、街の情趣的な景観が悉く打ち壊された。
……という感じで、読むうちに、いちいち「へ〜」とか「ほぉ〜」とか感嘆することばかりなのだ。
バルセロナ旅、実質初日。まずはウォームアップに、ゴシック地区、即ち「バルセロナが生まれた場所」から歩いてみることにした。それもこれも、この本の影響である。
ゴシック地区には、もちろん過去の訪問時に足を運んでいるが、この事実を知ったからには、これまでとは違う視点から光景が望める気がした。
◎ホテルを出てほどなくすると、大きなテキスタイルショップに遭遇した。早速、書籍で得た情報「テキスタイル産業によって、バルセロナは経済発展をした」というくだりが、脳裏をよぎる。
◎広大な店内には、無数の反物。ミューズ・クリエイションのチーム・ハンディクラフトのメンバーにも見せたくなるダイナミックさだ。クリスマス柄の端切れを買って帰りたくなる。
◎カタルーニャ音楽堂。1997年、わたしが最後に訪れた年に、ユネスコ世界遺産に登録されたとのこと。内部を見学したいところだが、今日のところは外観を眺めるにとどめ、後日再訪することにする。
★ ★ ★
初日、カリムから「グーグルマップをダウンロードすれば、WIFIがなくても地図を見られるよ」と教えもらい、早速ダウンロードした。確かに便利だ。便利すぎる。しかし、しばしばスマートフォンの画面を見るのが、どうにも、いやになってきた。なにしろ、道行く人の大半が、スマフォを見つめている。
まずは、昔ながらの旅を思い出し、紙の地図を見よう。
しかしそれも面倒になってきた。だいたい、老眼関係でよく見えない。
ええい、面倒くさい。取りあえず、「勘」を頼りに、適当に歩くことにする。
◎路地を抜けたら、サンタカテリーナ市場が現れた。我ながら、いい勘だ。本の影響を受けて、見ておきたいと思っていた市場だ。2005年に改築されてモダンに変貌したとのことだが、この市場が旧市街で最も古い市場だとのことで、興味を持ったのだった。
◎こざっぱりと清潔感のある市場。ランブラス通り沿いのボケリア市場ほどには、昔ながらの情趣はないものの、豊富な食材を眺め歩くのは、実に楽しい。
路地から、路地へ。ゴシック地区をふらふらと歩きながらも、しかしわたしは、ある店を探していた。それは、過去3回とも訪れたことのある、ショコラテリア、だ。初めてのスペインで、初めて飲んだチョコレートドリンク。そのドロドロと濃厚な味わいに衝撃を受け、たちまち好きになった。
朝から、揚げたてのチュロスをチョコレートドリンクに浸しつつ食べる人たちに驚愕したものである。かつては、このあたりを歩けば、そのような店がそこここに見られた。クレマ・カタラーニャ(カタルーニャ風のプリン。クリームブリュレのようなもの)も、よく見かけたのだが、今はジェラートの店ばかりが目に留まる。
探しているのは、ガイドブックで紹介したこの店。チュロスではなく、マヨルカ島のパン、「エンサイマーダ」とともにホットチョコレートを楽しんだ記憶が、鮮明だ。それを食べたいがために、うろうろと歩く。
地図に頼らず、記憶をたどって、たどりついた。このあたりだったはずだが……。目当ての店、La Xicraの看板は、ない。
店内の雰囲気は、昔のまま。上の階に座って、食べたことを思い出す。店の人に尋ねたら、10年ほどまえに、今の店にかわったのだという。
実はネットで調べても店名が出てこなかったので、もうないのだろうなと予想はしていたものの、急に寂しさがこみ上げて来た。わずか3回しか訪れたことはなくとも、思い出のあった店がなくなるのは、そしてあのおいしいホットチョコレートが、きっとほかにもおいしい店はあるだろうけれど、でもなくなったと思うと、少し寂しい。
しみじみと、時間の流れを反芻するうちにも、急に、お腹がすいてきた。取りあえずは街歩きをしながら、適当な店に入ろうと思う。
◎カラフルなショーウインドーの菓子店。欧州のお菓子などの缶箱が好きなわたしは、たちまち吸い寄せられる。25歳のとき、オランダを取材した際、アンティークショップに売られていた昔のバンホーテンの空き缶に見せられ、大きなものをいくつか買ったことを思い出す。
◎レイアル広場。四辺にレストランが連なる。ここで食事をとも思ったが、あまりにもツーリスティック過ぎて、結局は離れる。ちなみに中央の街灯は、若かりしころのアントニ・ガウディが設計したものだという。
◎店を探しているうちにも、勘が鈍っている予感がしつつ、適当なタパスバーにふらりと入る。
◎昼間、アルコールを飲むと、午後は眠くなるので避けなければと思いつつ、つい、つい、頼んでしまう。
そして、食後。バルセロナの原点のエリアにある、サンタマリア・デル・マル教会(海のサンタマリア教会)を目指す。路地の間から、教会の様子が見えてきた。旧市街にある大聖堂はこれまで訪れたことがあるが、この教会は初めてだ。ここを選んだのは、やはり本の影響。
簡素に、しかし優雅な存在感のある、カタルーニャ・ゴシック建築。14世紀、この界隈に暮らしていた船乗りたちにより造営されたという。この教会は、一時期、内装に変化が加えられていたが、それをもとの「簡素で伝統的なカタルーニャ・ゴシック建築」に戻すべく改装したのは、アントニ・ガウディだという。
欧州には、いったいいくつの聖堂、教会があるのだろう。教会がない街など、あり得ず。28歳の3カ月欧州旅の際には、日々、訪れる街、訪れる街で、教会の扉をくぐった。ひんやりとした木の椅子に腰掛け、祈ったり、懺悔したり、ぼんやりしたり……。今思えば、神にすがりたいと思うほど、辛いことも多い青春時代であった。
◎教会は誰もが自由に出入りできるから、いつでも、心の拠り所だった。が、この教会は入場料5€。今回の旅で驚いたのは、観光客が出入るするところ、どこにおいても入場料が発生することだ。
もしも、『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』を読んでいなければ、足を伸ばすことはなかったであろう、海に面するバルセロネタ(小バルセロナ)まで、南下することにした。
「軍事土木技師が一夜にして決めた方眼のパターンは、300年近く経た現在でも変わっていない。……中世都市のように細く暗い路地なのに、直線に走っているところが不気味だ」
という描写を、自分の目で確認してみたくなったのだ。
バルセロネタを抜けて、海辺へ。初めて訪れたときとは、まるで異なる賑やかなビーチとなっていた。1989年には、産業港の印象が強く、裏寂れたレストランが数軒見られたばかりだった。
今は、お洒落なレストラン、ハンバーガーショップなどが立ち並ぶ。
陽光降り注ぐバルセロネタ。太陽の光の鋭さに辟易しながら日陰を求めて歩くうち、思い出した。1989年、ゴシック地区にある日本料理店を取材したときのこと。店主によると、その数カ月前に、このバルセロネタで日本人旅行者の死体があがったという。
事故なのか、事件なのか、捜査されることなく、日本のメディアにも報道されることなく、バルセロナオリンンピックを前にして物騒な事件は「抹消」されたという。
亡くなった日本人旅行者の遺族が訪れた際、領事館はなにもしてくれず、だから自分たちや駐在員たちが、いろいろな手続きをサポートしたのだ……ということを、店主が憤りながら話してくれたことを、思い出した。
思い出したので、海に向かって、手を合わせた。
ランチタイムに飲んだカヴァ(スパークリングワイン)が利いたせいもあるのか、なんだか疲れてきた。なにしろ、思っていた以上に暑い。旅の序盤から無理をするのはよくないということで、ホテルに引き返し、シエスタにしようと思う。
途中、カタルーニャ風のパエリアで有名な店を通過。過去3回とも、訪れたこの店。一人でパエーリャは多すぎるから、今回は来ることはないだろう。
ホテルへ向かう道すがら、カフェでチュロスとホットチョコレートを発見! 名店とは言いがたい雰囲気だが、取りあえず、試してみることに。
見た目は魅惑的だが……味は、まあまあ。食べ尽くせるはずもなく、もったいないことをした。一度は必ず、「ちゃんとした店」で、ホットチョコレートを!
途中、大聖堂前の広場に出た。しかし、今、大聖堂内を見学する余力はなく、一路ホテルを目指し、仮眠をとることに。
夕方、目を覚まして、しかしまだ日は高く。あれこれと、書きたいことが募っており、ホテルの下のカフェでしばらく、文章を書くことにした。
小腹がすいたので、軽くスペイン風フライドポテトを……と思ったら、このヴォリューム! ガーリック風味の利いたマヨネーズがおいしくて、ついつい食べてしまう危険なスナック。
気がつけば、2時間ほども、カフェで文章を書いていた。コーヒーの残りが、すっかり冷たくなっている。昨日の自分語り満載の記録がそれだ。
一旦部屋に戻って、夕食に出かけることにする。
広大なウエアハウスのような建物に、4つの異なる店が共存している。楽しい雰囲気!
豊かな魚介類、パエーリャ。あれこれひかれるが、一人旅の残念さはやはり、食の選択肢が限られること。そもそも、フライドポテトも食べて(残したけれど)、あまりお腹がすいていない。
結局はタパスを選ぶ。アンチョビー&魚のマリネ、トルティーヤ(スペイン風ポテト入りオムレツ)どれも、おいしい! もう一皿、オリーヴを頼んだら……。
今すぐにも、20代のころの、食欲旺盛で、たくさん食べても今ほどは太らず、貧乏旅行をしていた自分を呼び寄せたい! 「ほら、好きなだけ、食べなさい」と、あれこれ注文させたい。
あのころの自分を見かけたら、今のわたしは、いったい何を話すのだろう。
多分、大切なことは、特には話すことはないような、気がする。