★アントニ・ガウディの建築物を巡った一日を語る前に……iPhone盗難される!
現在、バルセロナ4日目の29日木曜午後。昨日のガウディ巡りを記録する前に、本日の残念な出来事を記しておきたい。
今日は、ゴシック地区を再訪し、懐かしのレストランを訪れたあと、カタルーニャ音楽堂の内部見学をして、それから大聖堂にも向かおうと、軽く計画を立てて、街歩きをはじめた。
まず、4 gats、4匹の猫、という店へ。ここへは最初の取材時、そしてアルヴィンドととも訪れており、思い出の店でもあるのだ。ネットで見る限りでは、観光客が多く、サーヴィスも悪いとあったが、それはそれでいいのだ、雰囲気のいい店だから、と思って、入った。
これが、ガイドブックに紹介した当時の店だ。実は、うっかり、わたしが映り込んでいる。本来、編集者はカメラを避けるべきなのだが、このときは、どうしたわけか、堂々と入り込んでしまった。
1989年のわたし。奇しくも、現在の髪型と一緒だが……顎のラインが、シャープです。今よりは、軽めです。
懐かしく思いつつ、店内へ。キャッシャーの横の、2人がけのテーブルに案内された。ちょうど、この写真が撮られたあたりのテーブルだ。
当時と店内の様子は変わらないが、観光客が多く、写真を撮り、あまり落ち着いた雰囲気ではない。そんな中、サングリアを頼み、ムール貝とパンで、軽くランチをとっていた。
右側隣席の、ニューヨークから来たという旅行者と話をしているとき、背後から物乞いがわたしのテーブルにやってきて、手書きのスペイン語が書かれたA4サイズ(レターサイズ)の紙を置いた。それを見た隣席の人が、彼を追い返し、
「店内に、物乞いが来るなんて!」
言って、驚いていた。わたしも、入り口から店内までは数メートルあるというのに、そしてキャッシャーにはスタッフもいるというのに、そんな人がふらりと入ることに驚いた。
そして、数分後。ふと気づいたときには遅かった。テーブルの上に置いていたiPhoneがなくなっていた。
これまで盗難にあったことは、人生で2度。どちらもニューヨークだ。一度は、1997年。メイシーズの靴売り場で。靴を試し履きしているとき、バッグから財布を盗まれた。
2度目は2001年。郊外のクイーンズで。印刷所で色校正を待つ間、近くのマクドナルドで待っているときに。その数日前、夫から誕生日に買ってもらったばかりのグッチのバッグを、財布なども含め、まるごと、盗まれた。2人組のうちの一人がわたしの足下にコインを落とし、それに気をとられている瞬間、背後にいたもう一人に盗まれたのだ。
どちらのときも、一瞬、頭の中が真っ白になり、そして時間が巻き戻せないものか、と思った。巻き戻せるような気さえ、する。今回も、そうだった。
でも、当たり前だが、巻き戻せない。
店の人に伝えても、たいした対応もしてもらえず、「お気の毒に」という感じである。そもそもサーヴィスが悪いゆえ、期待はしていなかったが、スリを店内に入れるというのは、店側にも少々は責任はあると思うのだが、ないのだろう。
取り急ぎ、ホテルへ戻る。スタッフに事情を説明し、ポリスの場所を確認する。盗難届を出しておいた方がいいだろうと、その後、近くの警察へ赴くも、パスポートと電話のシリアルナンバーが必要だとのことで、出直すことに。
しばらくたって、SIMカードが不正使用される可能性があることに気づく。SkypeでAirtelに電話をするにもつながらず、バンガロールの義姉に連絡をして、電話をしてもらい、使用を中断してもらう手続きを依頼する。
ちなみに、同じ番号で使えるSIMカードは後日入手できるようだ。
幸い、不正使用はなかったが、ネットで検索してみると、なんとバルセロナがiPhone盗難率が非常に高く、しかもSIMカードを不正使用されて、100万円、200万円と使われているケースが、報告されているのだ。
なんと恐ろしい!
盗難された、だけはすまない、現在の携帯電話事情。もちろん、icloudから盗まれた電話の情報を消去して、アカウントにアクセスされないよう、手続きはした。ちなみに、盗まれたのが明らかだから、追跡機能を使って在処を特定したところで意味はない。もっとも、電源が切られており、追跡できない状況であったが。
そんな次第で、今日の午後は諸々の残念な対応に追われつつ、ネットでいろいろと盗難情報を読んだりしているうちに、気がつけば夕暮れ、なのである。
クレジットカードその他、いろいろなものが入った財布やパスポートを盗まれるよりは、まだましだった。明日からは、クレジットカード1枚、そしてお金を小額のみ持参することにした。
それにしても、調べてみると、昨今の欧州都市での盗難の多さには驚かされる。10年間住んでいるインドでは、一度もこんな目に遭ったことがなかったのに。レストランのテーブルに、さりげなく電話を置くなど、日常茶飯事なのに。
いろいろと、身の引き締まる思いである。
ここ数日の、人々のスマートフォン中毒っぷりに辟易しつつも、それを持ち歩いて写真を撮り、たまにインスタグラムにアップし、地図も使うという矛盾行為を行っていたがゆえ、神様が没収したのかもしれない。とでも思うようにしよう。
明日からは、小型のカメラを持参して、歩こう。地図も、紙に頼ろう。
というわけで、バルセロナに限らず欧州を旅する際には、財布などはもちろんのこと、スマートフォンの盗難には気をつけたほうがよさそうだ。
ちなみにZARAの店内でも、スリが多発しているとスタッフに聞いた。のんきの思い出に浸りつつ、旅している場合じゃないな、と改めて思う。
バルセロナ初日、駅を出た途端に目に飛び込んで来たカサ・バトリョ。昨日はここをまず見学することにした。夕刻は、サグラダ・ファミリアの見学の予約をいれている。今となっては、すべてをネットで予約し、支払っておかないことには、いちいち長い列に並んで数時間を費やす場合もあるとのこと。
カサ・バトリョは、幸い15分ほどで入場料を支払え、入ることができた。ここは、そもそも、すでにあったビルディングが、ガウディによって改築されたもの。
依頼主である繊維業で富を築いたバトリョは、当初建物を全面撤去して立て直すべく、ガウディに依頼した。しかし、そもそものビルディングの構造がしっかりしていることから、リサイクルすべきだと、ガウディが改築を提案したのだという。
内部に施されているモザイクのタイルなどは、使用されたタイルを一定の形に砕き、リサイクルして使ったという。ガウディは当時から、エコロジカルな手法をとっていたという。
滑らかにカーブするドアの上部。ドアはこのカーブに沿って作られており、もちろん開閉もしっかりできるという。
オーディオガイドがスマートフォンのようになっていて、ポケモンGOみたいなことをやる仕組みとなっている。それが鬱陶しくて、使わなかった。みな、画面ばかり見て、建物そのものをあまり見ていない。なぜこんなオーディオガイドを作るのか。ただ、音声で案内してくれるだけでいいのに。
この建物に限らないだろうが、ガウディの有名な建築物は、折に触れて修復、改装が施されており、その費用はすべて、プライヴェートの財団からまかなわれているという。入場料(高め)もそれに充当されているとのこと、オーディオガイドが説明していた。
続いて、カサ・ミラへと歩く。どちらもホテルから徒歩で赴ける距離。外装を塗装し直されたばかりなのか、過去のガイドブック数冊のどれよりも、「新しい」感じがする。
ここは更に長蛇の列。この日のハイライトはサグラダ・ファミリアだから、ゆっくりランチでも取ろうと、建物をあとにする。
ガウディの建築物以外にも、目を引く美しい建物がたくさん点在しているバルセロナ市街。
オーガニックのスーパーマーケットに立ち寄り、スペイン版「青汁」を飲む。まずい!
初日に飲んだおいしいオレンジジュースは、バレンシアではなく、このカタルーニャ・マンダリンだったかもしれない。
スペイン産スパークリングワイン、CAVA。この、炭酸を逃さないキャップ、どこかでよさそうなものがあったら、買って帰ろう。
ランチは、生ハムショップに併設されたイートインで、軽くすませることに。
昼間から飲むと午後は眠くなるし疲れ易いとわかっていつつも、この料理をノンアルコールで食すのは、もはや苦痛でしかない。
というわけで、飲む。幸せだ。
東へ向かって適当に歩くうち、ようやく、サグラダ・ファミリアの姿が見えてきた。成長している!
予約していた時間まで、まだしばらくあったので、いろいろな角度から眺める。初めて見たときには、薄暗い受難の門のあたりしかできておらず、全体に暗く重い印象で、特に夜、見たときには、バッドマンがよく似合う、と思ったものだ。
ようやく予約していた4時半となり、入場。敢えて夕方を選んだのは、夕暮れ時の光の方が美しいだろうと思ったからだ。
19年前にはできていなかった内部に、今回は初めて入ることができる。それが大きな楽しみのひとつであった。
東側のエントランスから、中へ一歩、入った瞬間、言葉を失った。いきなり、滂沱の涙だ。夕刻訪れようと思ったのは、塔の上から街を眺めたとき、夕暮れ時がとてもよかったことを覚えていたからだ。しかし、内部もまた、きっと、この時間帯が最も麗しかったのではないかと思う。
あたりが、ステンドグラスを通して、一面、茜色に染まっていた。
ガウディは大聖堂内を森に見立てて設計していたのだという。大きな支柱は木々、上部からは枝が伸びるようにして、天に向かって伸び、天井を支えている。
それぞれの支柱はまた、その強度によって異なる石材が用いられているとのことで、よく見ると、色が違うのがわかる。
一年の、四季の移ろい。
変化する自然の光を、最大限に生かせるよう、計算され尽くした、構造であり、建築なのだと言う。
細かいことはよくわからないが、すべては偶然の産物ではなく、考え抜かれた上で育まれた、構造だという。
自然への敬意に満ちあふれ、エコロジカルな思想に貫かれているようだ。
1882年に着工され、ガウディが没年までの43年間、建築に関わったこの教会。そもそもは、「贖罪の教会」として建立されたのだという。
一通り、眺め歩いたあと、写真撮影が禁止されている「祈りの部屋」に入れてもらう。
自身の、贖罪、について、思う。
天井に糸の両端を結んで垂らし、その糸の中央におもりが吊るされている。糸が引力によって懸垂曲線を描く。それを逆さまにしたのが、サグラダ・ファミリアの曲線なのだ。
いろいろと書きたいことは募るが、建築の専門家でもなければ、特にガウディに詳しい訳でもない。興味のある方はぜひ、彼について、調べていただればと思う。
そして最後に、エレベータに乗って、塔の上へ。かつては、3度とも、螺旋階段を上ったのだが、今ではエレベータで昇り、階段で下りるという選択肢しかないようだ。
この塔については、かつてほど自由にゆっくりと外を眺めることもできず、あちこちに金網が張り巡らせられてて、あまり楽しむことはできなかった。
昔の方が、圧倒的に人も少なく、のんびりと上ったり下りたりできたがゆえに。
塔の上からの眺めについては、決して記憶を上書きすることなく、過去の記憶の中の光景を、これからも大切に取っておこうと思う。
サグラダ・ファミリアは、2026年、10年後に完成する予定なのだという。
初めて見たとき、遠い先の完成予想図に思いを馳せることすら、しなかった。自分が立ち会える可能性すら、あまり考えなかった。
今、こうして歳月を重ね、あのころとは全く異なる様子を目の当たりにし、いつまでも完成しない建物だと思い込んでいた建築物が、わずか10年後、多分自分が生きているうちに出来上がるのだと思うと、なんともいえぬ気持ちになる。
次にバルセロナを訪れるのは、きっと10年以上たってからだろう。
還暦を過ぎた未来のわたしは、一体なにを、思うのだろう。