昨日のiPhone盗難事件に際しては、学ぶところ、多々あった。欧州ではiPhone6の盗難が本当に多発しているらしい。財布や貴金属を盗むよりも、一定額を得られるうえ、盗みやすいことも理由のようだ。
今後、これを読まれた方が、万一iPhoneを紛失したときのことを想定して、どこの国でも同じとは限らないが、記録を残しておきたい。
昨日、実は一度警察に足を運んだが(幸いホテルから徒歩数分だった)、無駄足に終わっていたので、今朝、再訪したのだった。
警察で必要とされたのは、
◎iPhoneのシリアルナンバーとIMEIナンバー
◎パスポート番号(覚えていない人はコピーを持ち歩いているといいだろう)
◎自分の連絡先など
◎ホテルの住所や電話番号
いきなり、シリアルナンバーも、IMEIナンバーとやらも、わからない。と、警官が「幸い、向かいにAPPLEストアがあるから、そこに行ってコンピュータを使って、自分のIDを確認して来て下さい」と、指示された。
APPLEストアに赴き、自分のアカウントにアクセスするも、画面がスペイン語。変更できない設定になっている。ともあれセキュリティ解除の画面に到達したので、質問に答えようとするのだが、驚くことに、答えを覚えていない!
初めて飼ったペットの名前は……PICO? PIKO?
子供のころに住んでいた町の名前は……NAJIMA? CHIHAYA? SHIOMI?
最初に買った車は……CIVIC? いやいやACCORD! てかHONDA?!
とかやってるうちに、ロックがかかってしまったじゃないか!!
というわけで、画面がスペイン語だし、どうしようもできないしで、一旦、引き上げることにする。ポリスはシリアルナンバーとIMEIナンバーがなくても、盗難された証明書は発行できると言っていたが、追跡調査をするにはそれが必要らしい。稀に戻ってくることがあるという。
ホテルに戻って自分のコンピュータからiCloudにアクセス、IDを確認しようとするも、ブロックがかかって解除されるまでに数時間かかりそうだ。その間に悪用されても困るので、どうせ戻ってこないだろうと見込み、当該のiPhoneの存在を、削除した。
更には、SIMカードを悪用されるのを防ぐため、Skypeでインドの電話会社のAirtelに連絡しようとするも、海外からだとなぜか繫がらず。バンガロールの義姉に連絡をして、SIMカードを無効にしてもらった。ちなみに12日以内に、同じ電話番号のSIMカードが入手できるらしい。助かった。
上記のような次第故、シリアルナンバーその他は、メモを取っておいて、旅の途中でも紛失しない安全な場所に入れておくといいかもしれない。でもって、セキュリティ解除の質問、忘れずにいたいものである。
保険が下りるかどうかはわからないが、取りあえずは盗難証明を取っておいた方がいいだろうとの思いで、今朝は警察に赴いたのだった。
ポリスに事情を話し、資料を記入し、発行されるのを待つ。待っている間、インド人とおぼしき夫婦が、やはりiPhoneをなくしたようで、申請していた。
資料を待つ間、話しかけたところ、インド系米国人であった。夕べ、「いつのまにか」「気づかないうちに」、夫のiPhoneがなくなっていたのだという。ご主人、とてもしょんぼりしている。お気持ち、よくわかります。
わたしはラップトップを持参しているし、カメラも別に持っているので、iPhoneがなくても、とても困ることはないのだが、すべての情報を託したiPhoneだけを持参していて、それを盗難されたら、もっと落ち込んでしまっただろう。
そういう感じの若い女性が、続いて入って来た。「スターバックスで、盗られたんです!」と、ポリスに報告するうちにも、泣きはじめてしまう。iPhoneを盗られた衝撃があまりにも強かったのだろう。思わず慰めたくなるが、人を慰めている場合でもない。
楽しい旅に水をさされるのは残念なことだ。たとえば自国で紛失するよりも、精神的なショックは大きいと思う。速やかに手を打てば、そんなに重大なことではないにも関わらず。
昔から、観光地を旅するときには、スリには気をつけてきたつもりだった。特にローマなどは、ジプシーの子らが複数名で、「攻撃的に」スリをしかけてくるので、戦々恐々としていたものだ。
しかし、当時はトラベラーズチェックを利用し、現金をさほど持ち歩いていなかったこともあり、盗まれたとしても、そこまでややこしい手続きは必要なかった気がする。無論、パスポートなどを盗まれると面倒なことではあるが。
iPhoneは、盗まれた先に、データの悪用、SIMカードの悪用など、発展があるところが怖い。というわけで、盗まれたら即、
◎電話会社に連絡してSIMカードを使えなくしてもらう。
◎iCloud経由で電話を紛失モードにするか、削除する。
◎警察で盗難証明をもらう(保険の申請のため)。
という行動に移すべきだろう。わたしは昨日の、これらを速やかにできず、結局、午後の貴重な数時間を費やしてしまった。しかし、上記を知っていれば、すべて1時間以内に、少なくとも諸々の手は打てると思う。
ともあれ、欧州。
ここバルセロナでも、犯罪者の中に移民が多いとの話も聞き、複雑な思いだ。遠い昔からの移民の問題。貧富の差。インドとはまた似て非なるさまざまな社会問題があり、詳細はここでは記さないが、世界中遍く、哀しき現実にもまた、覆われている。
さて、今日は昨日訪れる予定だったカタルーニャ音楽堂へ。特に急ぐ訳ではないので、途中で気になる店などに立ち寄りつつ、歩く。
地元の陶芸作家の作品を集めているというこの店、店舗そのものが、かわいらしい。
猫的なものを見るともう、胸がキュ〜ンと締め付けられる思いだ。思い出したら最後、気になって仕方がない。NORA, ROCKY, JACK!!!
メイド、もしくはドライヴァーには2日に一度は電話をして、留守宅の様子を確認し、今のところ、問題はなさそうなのであるが、もう心配。心配する自分が、もういや。
★モデルニスモ三巨匠の一人、ドメネクによるカタルーニャ音楽堂へ
19世紀の終わり、世紀末バブルに沸いていたバルセロナ。
先日記したセルダによるバルセロナの都市計画によって、「板チョコ状」の広いキャンパスとなったバルセロナの新市街を舞台に、モデルニスモ建築家が活躍、華やかな時代であったという。
『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』によると、
「モデルニスモ」とは、絵画や彫刻などの造形芸術分野や文学など広範にわたる総合的な文化芸術運動
であり、
自然の造形からヒントを得たアールヌーヴォーのカタルニア版と一般には理解される。
らしいが、
純粋に言葉のみ見れば近代主義(modernisum)と同義語である。
とのことである。
モデルニスモ建築の三巨匠として知られるのが、ガウディ、ドメネク、プーチの三人。バルセロナの建築家といえばアントニ・ガウディばかりが世界に名を知られているが、このカタルーニャ音楽堂を設計したルイス・ドメネク・イ・モンタネールはまた、サン・パウ病院など、数々の「作品」を残している。
なお、ドメネクが手がけたこの音楽堂とサン・パウ病院は、1997年にユネスコ世界遺産に指定されている。
館内のツアーは、言語別に実施されており、わたしが到着したときには、ちょうど正午からの英語のツアーが始まる直前だったので、そのチケットを購入した。
以下、ランダムに撮影した館内の写真を掲載する。
このコンサートホールでは、ダンス、ピアノ、ギター、フラメンコなど、気軽に鑑賞を楽しめるエンターテインメントが日々、上演されている。オーケストラが入るほどの大きな規模ではない。
実は後日、夫と共にフラメンコ&ギターのショーを鑑賞すべく、チケットを購入しているのだが、自然光が降り注ぐ昼間のホールの様子を見たくて、ツアーに参加したのだった。
このホールの建築にあたっては、1905年に着工され、1908年、わずか3年後には完成していたのだという。これほどまでにデコラティヴで壮大な建築物がわずか3年で完成したとは、驚きである。
ドメネクは、建築物を彩る彫像、ステンドグラス、その他、内装の細部に至るまで、すべて自分で設計、デザイン、デッサンを施したという。
彫刻などは、建物が完成してから着手されたのではなく、建物の建築中から、同時進行で別の工房にて、作業が進められていたとのこと。ゆえに、長期間を経ることなく、完成に至ったようだ。
舞台の背後には、左右に9人ずつのミューズたち。ギリシャ神話による、音楽や芸術の女神らの総称がミューズ。Muse Creation(もともとはニューヨークで起業した出版社、Muse Publishing, Inc.)の名は、このミューズからとっている。
舞台向かって左、上部に見られる男性は、地元カタルーニャで有名な作曲家だという。名前は失念した……。
館内の至る所に施されたモザイクのカラフルながらも愛らしく上品な感じが、本当に、美しい。
柔らかく、やさしげなシェイプのステンドグラスもまた、光を通して本当にきれいだ。
それにしても、美しいものを目にすると、本当に心が洗われる。
カタルーニャ音楽堂をあとにして、ゴシック地区の中心部、カテドラルへ。今回は、中に入らなくてもいいか、と思っていたのだが、やはり訪れることにしたのだった。
1450年に落成したという、カタルーニャ・ゴシック様式の大聖堂。歳月を重ねて燻されたような色合いがまた、荘厳な空間をよりいっそう威厳あるものに感じさせる。
贖罪の教会、といわれながらも、万人を温かく招き入れる光の森のサグラダ・ファミリアの軽やかな空気に比すれば、こちらは、当然ながら、重い。
15世紀に作られたらしき、聖職者席。カルロス一世を議長に、騎士らはここで集会を開いたのだという。
回廊を歩いていたら、屋上に続くエレベータがあるのを見つけた。以前来たときにはなかった気がする。これは上るしかない。
最後にパティオを一巡して、カテドラルをあとにした。そろそろ、遅めのランチタイムだ。
ふらりと歩くうちにも、またしてもレイアル広場にたどりついた。前回、近寄って撮影していなかった若かりしガウディ作の街灯を撮影。
お腹もすいたので、たくさん立ち並ぶレストランを眺めつつ、この店を選んだ。
シーフード専門店。パエーリャを一人分でも出してくれるというので、ロブスター入りのそれを頼んだ。
お手洗いへ行こうと店内へ入ったら、サルバドール・ダリ関連のあれこれが。
激しく、ダリにゆかりのある店のようである。ちなみに彼の故郷、フィゲラスへは、夫と共に訪れる予定でいる。
もうね、いいんです。昼間から飲んでも、いいんです。ホリデーですからね。
そしてド〜ンと届いたカタルーニャ風パエーリャ。これ、これでいいんですか? というプレゼンテーション。
パエーリャ発祥の地、バレンシアのパエリヤに比べて、茶色っぽくて汁気が多く、塩分もかなり強い印象のカタルーニャ風パエーリャだが、こんな状態で出されるのは、初めてだ。
残り物? と問いたくなる大鍋の底のパエーリャ。
見た目、今ひとつだが、ご飯にシーフードの風味がぐっとしみ込んで、案の定、塩分はかなり強いけれど、シンプルに美味である。
食べ尽くした。かなり、満腹。
食後もまた、界隈をふらりと散策しつつ、しかし、シエスタで店はほとんど、閉まっており。
★ ★ ★
さて、ここで問題です。
これは一体、なにが売られているのでしょうか?
ここはスポーツ用品店、ではありません。食料品コーナーです。
このあと、しばし「デパ地下」のスーパーマーケットを散策して楽しみ、買い物をして、ホテルへ戻ったのだった。
そして気がつけば、すでに旅も半ばとなってしまっている。長いと思っていた2週間は瞬く間。日曜日には夫がバルセロナへやってきて、今度は二人旅。
明日土曜日は、さて、どこへ行こうか。本当はモンセラートへ行きたかったのだが、土曜日は激しく込み合うという。昨日の件がなければ、本当は今日、足を伸ばすはずだったのだが……。
ともあれ、もう一つ、行きたいと思っていた場所へ、明日は訪れることにしよう。