一人旅、最後の一日。今回は、バルセロナ郊外、列車で1時間あまりのモンセラートへ足を伸ばしたいと思っていた。
サグラダ・ファミリアが、その形状に似ているとされる、丸みを帯びてギザギザとした稜線を持つ山。そこはまた、聖母マリア、キリスト教の聖地でもある。写真はこちらのサイトでも見られる。
しかし、夫のバルセロナ入りに先駆けて、1日早めに別のホテルに移ることになっている。チェックアウト、チェックインなどをしているうちにも、昼過ぎまでかかってしまうことが予想され、今回は訪れたかったもう一カ所へ、足を運ぶことにした。カタルーニャ美術館だ。
写真は最初の4泊5日、滞在していたB&B (Bed and Breakfast) のエントランス。スタッフは親切で、アットホームだった。旅行サイトのレヴューもかなりよく、立地も便利だったので、ほぼ満室だったところ、最後の1室を予約した状態だった。
しかし、部屋がかなり狭すぎたことから、快適とは言いがたかった。昔であれば、少々狭いくらい問題ないのだが、今となっては広い空間がないと、落ち着かない。
尤も、他の部屋は広めで、4人ほどが泊まれるスイートもある。チェックイン時に空室があれば割高でも移りたかったが、ともかくはハイシーズン。ぎっしりと満室で、それも叶わなかった。
朝食のときに、他の旅行者たちと言葉を交わし、情報を交換するなどの会話は楽しく、それなりにいい時間を過ごせたが、一人で静かに過ごす方が、心地がよいと思われた。
故に、新しいホテルへ移ったのは、いい気分転換となった。とはいえ、今度は夫と合流で、「一人で静かに過ごす度」は終了なのであるが。
◎移ったホテルは、H10というホテルチェーンの一つ、H10 ART GALLERY。
◎各階、ポップアートのアーティストたちを意識したインテリアとなっている。
◎わたしが滞在する5階は、ロイ・リキテンスタイン。バルセロナなのに、なぜかニューヨークなアメリカン・ポップアートの世界だ。
◎室内インテリアと、インド服がいい感じで調和。スペインとインドの共通項についても、あれこれ触れたいところだが、書き連ねているととめどない。バルセロナの街並には、インドのファッションが似合うと思って、それらしきものを何枚か持って来たのだが、本当に調和するのだ。
★地下鉄に乗って、市街南西部、モンジュイックの丘にあるカタルーニャ美術館へ
ホテル最寄りのディアゴナル駅から、美術館最寄りのプラサ・エスパーニャ駅まで、地下鉄で赴いた。地上に出ると、太陽のまばゆさに、くらくらする。バンガロールで気温を調べたときには、最高気温が摂氏二十数度と、明らかにバンガロールより涼しいはずだったのだが、バンガロールよりは間違いなく暑い。
パシュミナのストールなどを持って来たことが悔やまれる、日々、暑さである。
前方に見えている宮殿が、カタルーニャ美術館。近そうで、結構、遠い。
そもそも宮殿だった建物に、1934年、「旧カタルーニャ美術館」がオープンした。しかし、わずか2年後に、スペイン内戦から美術品を守るため、コレクションは一時、パリなどに移されたという。
大規模な回収などを経て、現在の姿になったのは、2004年のことだという。今回、わたしは初めて訪れる。
正面玄関からの眺めがすばらしい。建物の立地のすばらしさという点においては、台湾の故宮博物館を思わせる。故宮博物館もまた、本当にすばらしいミュージアムだ。
このミュージアム内のレストランの料理がおいしいとの記事を読んでいたので、遅めのランチを楽しみに訪れたのだが……。なんと予約でいっぱい。思えば土曜日。しかも人気店とあれば、敢えて来る人は多いはずで、詰めが甘かった。
ちなみに、土曜日は午後3時以降、入場料が無料となるところを、食事をしたいがために、わざわざ2時ごろ、お金を払って入場したというのに、レストランに入れないのなら、外で食事をすませて3時ごろに来てもよかったと思うが、後の祭りである。
結局は、館内のカフェで、高いばかりでさほどおいしくもないピザをランチとしたのだった。無念!
美術の専門家でもないわたしが、美術館の詳細に言及することは控えるが、大まかな説明だけはしておきたい。
この広大なスケールの美術館はしかし、構成は極めてシンプル。グランドフロアと1階、その二つで大まかに所蔵品のカテゴリーが分かれており、大ホールを中心として、それぞれが左右のウイングに分かれている。
まず、グランドフロア。ここは大まかに、ロマネスク美術、ゴシック美術、ルネサンス及びバロック美術とで構成されている。コレクションは、カタルーニャ地方を中心に、スペイン、イタリア、ピレネー山脈の古い壁画群にも及ぶ。
1階は、スペインの近代、現代芸術が集められている。
欧州を旅するとき、キリスト教世界の知識をなくしては、歴史や文化、芸術を理解するのが非常に困難だ。
先入観なしに、ただ対象を眺めて「美しい」と思うことも大切だが、その形の現れの背景にある世界観を知ると、深く広く、そして確かに、対象を受け止められる。
今回、久しぶりに欧州を旅し、その感覚を久しぶりに思い出した。もっと、たくさんの良書を読み、それをしっかりと咀嚼して理解した上で、対象を見る目を持ちたい、そうすることで、好奇心はよりかき立てられ、対象と出合う歓びは格別のものになる。ということを、改めて思うのだった。
いくつか、写真を撮影したので、掲載しておく。
◎着衣のマハ、に似た女性。スペインはサラゴサ出身の画家、ゴヤの作品の一つ。ゴヤといえば、子どものころ、自宅にあった西洋絵画全集で、『我が子を食らうサトゥルヌス』の圧倒的に恐ろしい絵を見て、しばしば戦慄したものである。怖いもの見たさ、で、たまに本を開いて眺めたものだ。
◎グレコの絵は本当に独特の色合いと存在感で、どのミュージアムで展示されていても、すぐに目に飛び込んでくる。たとえ、小さな作品であっても。
◎グレコ。この天を仰ぐ目の、独特の様子。精神を病んだ人の目を参考にして描かれた、という記事を昔なにかで読んだのだが、本当なのだろうか。
◎この絵画の中で、今まで見たことのないシーンを発見して、驚愕する。皮剝の刑に処せられている聖人の姿が左下に……。中国だけでなく、オリエント・ヨーロッパ世界でも見られた処刑法だったとは……。
◎アンドラ公国のロマネスク教会にあった壁画群が、いくつも移設されている。アンドラへは、やはり日本で編集者をしていたころ、ピレネー山麓のポーを起点に、南仏プロヴァンス地方をドライヴ取材したときに訪れたことがある。
◎今回は、つくづく「痛い」ところが目に付くキリスト教絵画世界。
◎中央のホールには、バルセロナ出身の画家、ホアン・ミロによるタイルワークが。
◎タイル職人とのコラボレーションによって作られたものだという。
★上階へ移り、ガウディを含む、近代、現代アートのフロアへ
◎数ある絵の中で、ひときわ輝いていたこの絵。よく見たら、これはホアン・ミロの、初期の作品だった。こういう画風から発展していったのか……と、しみじみ見入る。
◎この色鮮やかな傘もまた、モチーフとしてインパクトが強いところが、ジャポニズムの一環なのかと思うと、奇妙な感じ。
◎アール・ヌーヴォーを代表する、グラフィックデザイナー、アルフォンス・ミュシャの作品も。オーストリアに生まれ、パリで活躍した。
◎見るなり、iPhone盗難事件を思い出す! この作品。バルセロナ生まれのラモン・カザスによるものだ。盗難されたカフェ、4Gats(クアトロ・ガッツ)、4匹の猫はまた、ピカソだけでなく、彼とも縁のある店。左上の自転車に乗る二人の男性の絵の模写が、店内に架けられている。詳しくはこちらを参考に。
ちなみにこの黒猫の絵。我が家にある小さなトレイが、この柄だ。猫を飼い始めてのち、マンハッタンで買ったもの。彼の作品とは、知らなかった。
◎ガウディがデザインした椅子を模したものは、ミュージアムショップなどでも販売されていた。本当に、欲しい。
ガウディの作品の展示で、今回一番、インパクトが強かったのは、これ。この鉄のドアではなく、その背後にひっそりとある、ステンドグラスだ。一番上に載せている写真である。
ガウディがフリーメイソンの会員だったという話は過去にも読んだことがあったが、そのような話を思い出させる、掌の中の、全能の神の目。
ガウディの作品のなかには、いくつもの暗号、すなわち「ガウディ・コード」が隠されていて、そこには何やらメッセージがあるというのだが、そのあたりの「都市伝説的な」話題についても、興味がかき立てられる。
ちなみにこれは、先日訪れたサグラダ・ファミリアの写真。この四角の中の数字、縦横斜め、どこから足しても33になる。
33とはキリストが処刑された年齢である。33は神秘学では重要な数字とされているらしい。古代インドの聖典リグ・ヴェーダでも、33は重要な数字とされているらしいし、仏教においては聖数とされているらしい。観音菩薩が33種類に姿を変えるという説に由来しているとか。思えば京都の三十三間堂も、33である。
話が『ダヴィンチコード』みたいになってきたが、そういうことに思いを馳せるのも、面白いものである。
◎スペイン内戦時代、そしてフランコ独裁政権下の時代のアートも、展示されており。
◎明確に見覚えのあるこの絵。個人的に非常に印象に残っているのだが、いったいいつどこで見たのか、思い出せず。調べてみたが、記憶をたどることもできず。Jose Luis Bardasanoという、マドリード出身の画家の作品だ。タイトルはEvacuation。
……というわけで、ゆっくり、のんびりと、館内を巡り、しかし絵を眺めるのは本当にエネルギーを要して、疲労困憊である。
もっとあれこれ、語りたいし綴りたいが、そろそろ夫もやってくるしで、書いている時間もない。
ともあれ、旅。今回の旅では、改めて、自然の摂理の中にある小さな生き物としての人間である自分を強く意識している。絵画を見ても、歴史をたどっても。
今、手元にあるスペイン関連の4冊の本は、インドに戻ってからも必ず読破しようと思う。「3歩進んで2歩下がる」的に、なんども同じ箇所を読み、事実を咀嚼し、理解を深めつつ、読み進めているゆえ、速読ならぬ、超遅読となっている。しかし、それもまた、大切なことだ。
時間の流れにせきたてられる日常で、しっかりと考える力を喪うのは、残念なことである。
夕暮れ時、ホテルでカヴァを飲みながら、また読んでいる最初の1冊。いちいち、なるほどとうなりながら、時に線を引いたりしつつ。他の3冊は、到底バルセロナ滞在時には読めないだろう。
ゆっくり活字を追うひとときを慈しむように。
夕飯は、ホテルの隣の小さなレストランで。もう、定番過ぎるほどに定番だが、生ハムとサングリア。
それだけでは足りず、ポテト入りオムレツを。初めてのスペインで、初めてこのトルティーヤ(トルティージャ)を食べたときのことを思い出す。ジャガイモと卵の風味の濃厚さに感嘆したものだ。
今となっては「普通においしい」と思う程度なのだが。
思い返せば、バルセロナの取材時にコーディネートしてくれた軍地さんという日本人男性、当時はまだバルセロナに暮らし始めたばかりだという若い男性だったが、彼が作り方を教えてくれた。
日本に帰って同じように作ってみたが、再現できず、残念に思ったことを思い出す。オリーヴオイルも、ジャガイモも、卵も、きっと素材の味が違ったのだと思う。
軍地さんは、今でもバルセロナにいらっしゃるのだろうか。昨日、思い出して検索してみたが、たどりつけなかった。遠い昔の出会いを、思い出す旅でもある。
さて、そろそろ夫が到着し、ランチタイムだ。今後はこんなにじっくりと記録を残せそうにはないが、写真は折に触れて、撮影しておこうと思う。