古代ローマ時代に誕生した街、ということ以外、実はほとんど、下調べすることなく出発の日を迎えたジローナ。ジローナ擁するジローナ県に、サルバドール・ダリの故郷フィゲラス、そして彼が晩年までをすごした海辺の街、カダケスがある。
わたしは1994年の欧州3カ月旅の際、ダリ・ミュージアムのあるフィゲラスに1泊、そして彼の絵画のしばしばモチーフとなっている海辺、ポート・リガトのあるカダケスに2泊したこともあり、思い出深い土地である。
かつてはダリに関心のなかった夫だが、2005年、フィラデルフィアのミュージアムで大々的に開催されたダリ展を訪れ、かなり彼の作品に興味を持つようになっていた。
件のダリ展のスケールは絶大で、あの時期にワシントンD.C.に住まい、小旅行を兼ねてのフィラデルフィア旅を実現できたことは、人生の財産の一つだと思っている。
ダリの話は明日に譲るとして、取りあえずはジローナだ。今回も、時間が限られているので、急ぎ綴る。
◎スーツケースは、最後の2泊を過ごすバルセロナのホテルに置いてきたので、1泊分の最小限。
25歳のときに、南仏を取材した。ツール・ド・フランスのルートを重ねて、ドライヴ取材したのだった。ピレネー山麓のポーを起点に、カルカソンヌ、アンドラ公国、途中でスペイン国境をうろうろ走り、そこから東へ向けてマルセイユ、エクサンプロヴァンス、カンヌ、ニースなどを走った。
折しも、イラン・イラク戦争の最中。取材や旅行は自粛せよとの趨勢の中、強行した取材。パリの空港は軍人が随所に待機しての、厳戒態勢だった。
ピレネーの麓の小さな村の畑の小道で、ピクニックランチのシチュエーションをセットして、写真を撮影。そのあと車内でランチをとっていたら、銃を構えた私服の警官らに包囲されて慌てた。わたしの他に、ライターの男性とカメラマンの男性の二人。思えば非常にあやしい、3人の東洋人だった。きっと村人に通報されたに違いないのだ。
◎駅からはタクシーで、旧市街へと向かう。カテドラルの真横に立つ小さなホテルへ。眺めのいい部屋。二代続く家族経営のホテルだという。
◎石やレンガがむき出しの部屋。冷たそうで、しかし温もりのある石。
◎ホテルのオーナーに地図をもらい、街の説明を受ける。まずはランチを取るべく、川向こうにあるというお勧めの店を目指す。その後、カテドラルなどを見学したり、城壁を散策することにした。
石畳の路地を歩きながら、ようやく懐かしい欧州の旅に再会できた気がして、本当にうれしくなった。
バルセロナ。大都市の魅力はもちろんある。しかし、歴史や伝統が暮らしの中に確かに息づいていることをしみじみと感じられる、こうした小さな街には、大都市で得られるのとは異なる種類の、心にしみじみと染み入って忘れ得ぬ記憶となる、格別の魅力があるのだ。
◎旧市街を横断するこの道。オーナーが地図上にピンク色のマーカーを引いてくれたこの道は、2000年前に造られた。バルセロナとローマを結んでいた道。左側、すなわちこの写真の道をまっすぐにゆけば、やがてローマに到達する。
思えば1998年に夫と旅をしたときには、ローマを拠点に、地中海沿いの街を訪ねながら、列車でバルセロナまでを巡ったのだった。
◎欧州の街には、広場がある。人々の憩いの場所、集いの場所、であると同時に、昔から宗教的な儀式や政治的な催しなどが行われて来た場所。伝統的、文化的な祝祭なども、広場が舞台となる。
◎食事は、なるたけ土地の人が勧める店を試したいと思っている。ホテルオーナーに伝統的なカタルーニャ料理を食べられる店を尋ねたところ、ここを教えてくれた。
◎1994年の欧州3カ月旅のときには、バルセロナのあと、サラゴザ経由でピレネー山脈へと向かい、今では美食の聖地として知られるサンセバスチャン、サンタンデール、小さな海辺の街、コミーリャスを経て、最終的にはマドリードへと南下したのだった。
そのときの、ピレネー山麓の光景や、地中海から離れ、『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』のあたりを通過した。バスクやガリシア地方のことを書き始めると、とまらなくなるので割愛するが、ともあれ、あのあたりの土地のことが、思い出される「大地の匂い」が漂うレストランだ。
◎バルセロナでは、生ハム以外は「海の幸」を主に食したので、今日は山の幸を試すことにした。昼間しっかり食べて、夜は軽めにしようと、夫婦揃って胃腸の具合を確認し合いつつ、決める。
◎想像以上にヴォリュームがあったサラダ。ホワイトアスパラガスのサラダと、レストランの特製サラダ。日々、オリーヴオイルを摂取しすぎなので、バルサミコ酢さえもかけず、もうそのままバリバリと食べる。
ところで、旅の途中に何か服を買うつもりが、ショッピングをほとんどしておらず、新鮮な服がなくなってしまった。ガウディの土産物屋で買ったTシャツを着用。
◎パンの代わりに出て来たのは、クラッカー。クリーミーなトッピング付き。
◎店の人にお勧めを尋ねた末に決めたアントレ(主菜)。まずは、ヴィール(仔牛肉)のステーキ&フォアグラ。格別! このソースがなんとも言えず美味。フルーツの甘みも効いていて、なんとも表現が難しいが「伝統的な味!」という味なのだ。
◎こちらは鴨のもも肉と洋梨のシチュー。鴨肉が柔らかく煮込まれていて、これもまた、いかにもカタルーニャ地方の伝統料理、という味わいである。イメージしていた「茶色い料理」が出て来て、しかもおいしくて、本当に満足のランチであった。
◎実はこの街、欧州で最も人気があるというミシュラン3つ星レストランのひとつ、El Celler de Can Rocaがあることでも知られている。バンガロールを発つ前に予約をしようかと夫が調べたら、次の予約までは1年待ち、とのことだった。ちょっと、先のことすぎた。我々には、この店で十分、楽しめた。
◎1892年に創業された、100年以上の歴史を持つ伝統ある店のようだ。
◎カテドラルに隣接するSANT FELIX BASILICA。
◎ファサードからまっすぐ進む。そして左手にあるチャペルに向きを変えると……。
◎そして、音もなく冷たく静かな石の上に降り注ぐ、ステンドグラスの、光の渦。
◎バジリカを出て、少し歩いたところにあるアラブ浴場跡。12世紀に造られた公衆浴場だ。ここは最初に身体を洗う浴場。ここを起点に、冷水を浴びる部屋、やや温かい部屋、そしてスチームサウナの部屋へと続く。日本人こそ温泉好き、お風呂好きというイメージがあるが、欧州のお風呂文化もかなり面白い。
♨︎バスの語源となった英国バースにある一大浴場跡、ドイツのバーデンバーデン、ハンガリーはブダペストのゲッレールト温泉、スパの語源ともなっている、ベルギーはスパ・フランコルシャンの温泉療養施設、エヴィアンその他、魅力的でユニークな公衆浴場は、欧州各地にある。思えばいろんな場所で、温泉に入ってきたものだ。ドイツやスイスの温泉地では、男女混浴(全裸)に驚愕した経験もあった。まだ初々しかった我。
◎地図の茶色いラインの部分。城壁を歩く……とはどういうところだろうと行ってみて驚いた。この場合、予備知識なしで行って、むしろよかったかもしれない。ミニ万里の長城な眺めに感嘆する。
◎いい眺め。わたしがイタリアで最も好きな街の一つ、アッシジの丘の上の光景を思い出す。アッシジ。今はどのような雰囲気なのだろう。
◎あまりの暑さに水! そして遂には、ジェラートを。ヨーグルトとイチゴ味。
◎しばし、のんびりと街歩き……。だが、まだメインの見所、カテドラルを訪れていない。
◎そして閉館間際のカテドラルへ。90段の階段を上ってファサードへ向かう。この日はもう、城塞だのなんだのと、やたらと階段の上り下りをしている。
◎このカテドラルの構造は、柱がない「一身廊建築」と呼ばれるもので、ゴシック様式のカテドラルとしてはヨーロッパでもっとも広いらしい。400年以上前に建築された。
◎11世紀の終わりに作られたというロマネスクの秘宝、「天地創造のタペストリー」。
◎夜の街もまた、風情があってよい。小さなカフェでコーヒーブレイク。
◎バルセロナで服を1枚も買うことがなかったのを残念に思っていたところ、いい感じのブティックを発見! リネンを素材とした個性的な衣類。聞けば店主はポーランド出身の女性で、ポーランドのデザイナーによるセレクトショップだとのこと。トップを2枚購入した。
◎夕飯はもう、軽めにしようと、桃やみかんなどの果物を買い、店の人に聞いたお勧めのパン屋さんで、パンとキッシュを買う。
◎ズッキーニやネギの入ったキッシュが、冷めていたにも関わらず、とてもおいしくて驚いた。作り方を教えて欲しいと思うくらいに。
◎部屋からの眺め。夜の石畳の、寂しげな美しさにまた、遠い記憶が蘇る。まだ英語もほとんど話せず、他人との会話もままならず、3カ月間、ほぼ無言で、旅をしていたころ。見知らぬ街に降り、見知らぬ街で宿を探し、そして概ね、こういう薄暗い夜の道を、部屋から見下ろした。
旅が楽しい! というよりはむしろ、とてつもない寂しさや、心細さ、諸々に、胸が締め付けられるような思いを、旅の間中、感じていたことを、本当に久しぶりに、思い出した。
今、わたしの胸を締め付けるのは、バンガロールにいる3匹の猫らを思うときだ。そう考えると、わたしは今、概ね幸せな日常を送ることができているのだな、あのころに比べればずっと。と、改めて思うのだ。
ともに20年もの歳月を重ねてきた伴侶が、隣にいる。何年経っても、バトルは絶えないのだが。そういう当たり前のことを見つめ直せるのもまた、旅の意義、かもしれない。
暗闇に響き渡る鐘の音。異文化を旅することの、日常の光景から遠く離れて過去を反芻することの意義深さについても、改めて思う。
旅とは、本当にいいものだ。
若い人たちのセミナーのときには、いつも語ることだが、改めて、若い人たちに伝えたい。もしも旅をしたいという衝動があるのならば、その衝動を押さえ込むのではなく、実現するために努力をして、少し無理をしてでも、旅をする方がいいと。
そしてできるならば、これもいつも伝えていることだけれど、「ガジェット(スマホ)を捨てよ、旅に出よ」だ。図らずも、今回のわたしはその旅をしており、ノートに記録を残している。
人間万事塞翁が馬。