今朝は朝靄が一段と深く立ちこめている。残すところ、今日と明日のみ。明日の夕刻には自宅に戻るため、ゆっくりできるのは今日一日だけだ。
特に身体に疾患を抱えているわけでもないが、しかし「最低でも1週間の滞在を」と言われた理由がよくわかる。
規則正しい生活と、セラピーと、ヨガや呼吸法、瞑想の時間を通しての心身の変化を、数日で自分の中にしっかりと取り込むのは不可能だ。せめて2週間ほど、ここでじっくりと過ごしたかったとさえ思う。
さて、今日は外を散歩することにした。数日前とは異なる方角を選んで歩く。両脇には木立ち。木立ちを過ぎたら、農耕地が広がっている。
途中で小さなヒンドゥー寺院が見える。それから、サルの神様、ハヌマーンが描かれた石像もある。
ともかく歩いてみよう、と黙々と進む。10分ほど歩き、そろそろ引き返そうかと思ったところ、貯水池に鮮やかなピンクが散らばっているのが見えた。蓮の花だ。
道路から農地に入り、畦道を歩いて、蓮池を目指す。汚れた水の中から、すーっと茎を伸ばして、ぽっかりと開花する、蓮華。しばらく、そのさまを見つめる。
夫の名前、Arvindは、サンスクリット語(梵語)で「蓮華」を意味する。きれいな名前だと思う。しかし、命名した叔父は「太陽」の意味だと思い込んでいたらしい。
もちろん、夫自身も、自分の名は「太陽だ」と信じていたらしいが、中学だか高校だかのサンスクリット語の授業で、教師から名の由来を指摘され、「太陽ではなく蓮華」だとわかって愕然としたらしい。
それは、ずっとB型だと思っていたのが、実はA型だった、と言われるようなものではないだろうか、と思うのだがどうだろう。そんなことはさておき、叔父はともかく、両親その他、誰か早く気づいてやれよ、という話である。
■惜しむように、今日もまた、新しい味を試す
今日は、食べたことのないものをと、具入りの柔らかなパンケーキ風を選んだ。これはドサと同様、米粉と豆粉を発酵させたものを生地にして、野菜などの具を入れたもの。これもまた、美味である。
これまで南インドのさらさらカレーであるサンバルや、スパイシーなスープであるラッサムはあまり好きではなかったのだが、ここでの滞在を通して好きな料理になった。
今日もまたバナナのスチームが出されてうれしい。ケララのバナナはローカルの市場にも売っているので、今度自分で作ってみようと思う。
この植物は、トゥルシ (TULSI) と呼ばれるもの。インドでは聖バジル(ホーリー・ベイジル)と呼ばれる、さまざまに薬効のある植物だ。アーユルヴェーダでもしばしば使われている。
虫除けの効果もあるらしく、古くインドの家庭では、庭に必ずこのトゥルシを植えていたらしい。わが家の庭にも、小さいが数本のトゥルシを植えている。
朝、葉っぱを摘んでお茶にしたりもする。トゥルシの茶葉は、インドのハーブティにも必ずといっていいほど使われている。爽やかな喉越しのお茶だ。
ランチタイムは白カボチャのスープ。毎食毎食、こうして異なる種類のスープを味わえるだけでもうれしい。自宅に戻ったら、野菜料理をもっと工夫して作ろうと思わされる。
今日のライスには、ピーナッツによく似たナッツが入っていて、それがまた香ばしくてよい。カシューナッツやレーズンなど、ドライフルーツもよく料理に用いられている。
淡白になりがちな野菜の料理に、コクやアクセントを添えるのに役立っている。
コクといえば、インドのタマネギ(小振りで表面が紫色のもの)は水気が少なく、風味が濃厚であることから、多めの油で炒めると、甘みを備えた風味豊かな「調味料」にもなる。
インドのタマネギは、インド料理に限らず、あらゆる料理に欠かせない食材の一つだ。
■ささやかであれ、きっと身体は、変わっている
今日もまた、昨日と同じセラピーを受けた。オイルがたっぷり補給されて、肌が柔らかく、爪などもつやつやになった気がする。
滞在中は自分の写真がある方が臨場感もあっていいと思うのだが、なにせ「すっぴん」である。さすがに「近影」は憚られるので、遠目から撮ってもらう。
ところでこのヘルス・リゾートであるが、オープンしたのは2000年。建物などは本場ケララ州の建築物を、ここに移築したらしい。従っては、いずれも年季の入った伝統家屋で、ケララ州のボートなども庭に配されている。
ケララへは、インドに移住する前、米国在住時に夫と共に旅行で訪れた。アーユルヴェーダを体験したのは、そのときが初めてだった。
ホームページに記録を残しているので、興味のある方は、どうぞ下記をご覧ください。KUMARAKOMという場所、「SCENE 11」からがケララ滞在記です。
■インド彷徨:OCTOBER 23 - NOVEMBER 16, 2004(←Click)
最後の夕餐である。セラピーを受けて、ふわふわとリラックスした身体に、野菜たっぷりのナチュラルスープは、ことのほかおいしい。栄養が、体内にみるみる吸収されていくかのようだ。
カリフラワーのソテー、野菜の煮込み、そして大きな豆が入ったマサラ・ライスなど、どれもおいしい。特に少ししか入っていない豆が美味。写真の手前に写っているのがそれである。
夫もわたしも、それぞれ2粒ずつ、食べた。夫も気に入ったようだ。
巨大な「大福豆」のようである。これはどこで入手できるのだろう。今度、食料品店の豆売り場でしっかりチェックしてみようと思う。
■痩せたがる、痩せた日本人女性たち
夕食を終えたあと、夫はダイニングルームにいたジェネラル・マネージャーのテーブルに行き、挨拶を交わしていた。その後も会話が弾んでいる。あれこれと、この施設について話を聞いているようだ。
わたしも途中で少し同席。このような場所には似合わぬ、歯に衣を着せぬアグレッシヴなおじさまだ。
彼曰く、日本人の女性グループの利用がかなり多いとのことだが、みな、非常におとなしく、みな異様に食が細いという。
「日本人が来ると、料理が減らないんですよ!」
と厳しい口調だ。なにゆえ、厳しい? なにかしら、不条理だ。
「足りないよりも余る方がいいんじゃないですか?」 と、さりげなく突っ込みをいれてみたが、人の話を聞いちゃいない。
一方で、彼の言わんとするところは、別にあるのだった。
「ドクターも、わたしたちも、どうにも理解できないのは、日本の女性たちが、痩せたがることです。すでにマッチ棒のように痩せているのに、なぜみな揃いも揃って痩せたがるのか、理解できません
彼女たちは、日本から、他の世界を見ずに、ここに直接やってきます。他の世界を知らず、自分たちの常識を持ち込むのです。だから、どこから見ても痩せているのに、さらに痩せたいと言うのでしょう」
この件については、わたしもさまざまに思うところがある。すでに痩せているのに痩せたがる日本人女性の気持ちもわからないでもない。
ただ、日本国内では「痩せている人が更に痩せたい」と言い張ることも通用するが、異国でそれを訴えると、異様に見えるということは、理解しておくべきだろう。
米国でも、インドでも、自分より遥かに太っている異国人の前で、
「わたし、太っているから痩せたいんです」
という日本人をたくさん見て来た。ある意味、「けんか売ってる?」という状況である。もちろん、本人たちにそんなつもりはない。切実に痩せたがっている。従っては、いろんな意味で、「変」だと思われても仕方がない。
この件については、また時を改めて書こうと思う。
夕食を終え、空を見上げれば、満ちてゆく月。煌煌と光り輝き、麗しい。
いよいよ、2009年もあと一日で終わる。
もっともっと、ゆっくりと、一年を省みたいところだったが、思いのほか瞬く間に過ぎてしまったここでの日々。明日の夕刻、チェックアウトする瞬間まで、大切に過ごそうと思う。
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