1カ月前、空港で1年ぶりに再会した母を見たとき、「かなり老けたな」と思いました。足取りが重く、老人特有の、膝頭が離れ、腰が落ちた歩き方をしています。
同じ世代の人に比すれば、顔こそ若々しいとはいえ、姿勢や歩き方の「老人っぽさ」には、少々胸を突かれました。
しかしながら、この1カ月間、2クールのアーユルヴェーダの治療を受けて、歩き方もずいぶんと速やかになり、血色もよくなり、相当に元気になりました。怖いくらいに。
身体の動きだけでなく、なんだか滑舌もよくなり、饒舌です。うるさいくらいに。
思えば、わが母。今でこそ「穏やかな女性」に見られる母ですが、わたしたちが子どものころの、母の気性の激しさといったらもう、たいへんなものでした。
時代が時代なら逮捕されるぞ。
というくらいの、体罰。いや、躾。
更には父は、超体育会系。「歯を食いしばれ~!」と言われ、何度ビンタを張られたことか。我が家は相当に、野性味あふれる一家でした。
野蛮な過去の話はさておき、母が饒舌になったひとつには、一人暮らしから家族暮らしになり、話す頻度が増えたことも影響しているでしょう。
一方のわたしも、普段は日本語をあまり話さない生活ですが(にも関わらず、衰えることなく流暢)、日本語が暴走する日々です。
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さて、母は今日は初めての「シロダラ」を経験し、「非常に気持ちよかった」とのことです。
額に温められた一定量のオイルを、少しずつたらたらと流し続けるこのトリートメント。Third Eye、つまり「第三の目」を開く、療法とも言われています。
治療を受けている間は、わたしの場合、猛烈な睡魔に襲われ、目覚めたあとは、何時間も寝た後のようにすっきりとしています。
脳のマッサージともいわれるこのシロダラは、精神疲労や老化の緩和、脱毛の防止、鬱病などに作用するといわれ、記憶力を高める効果もあるとのこと。
母は今日から3日間、このトリートメントを受けて2クール目を終了します。
3クール目を受ける前に(ドクターからは、特に受けなくてもいいと言われている)、郊外のアーユルヴェーダグラムへ赴く予定。
アーユルヴェーダグラムのドクター、マンモハンは、本当に穏やかな先生で、「心を診てくれる」のです。昨年末、夫とともに1週間滞在した時、ドクターのその姿勢に感銘を受けました。
あのドクターに会いに行くだけでも、意味があるような気がします。加えて、アーユルヴェーダグラムで供される、南インドはケララ州の料理のおいしさも、母に味わってもらいたいと思います。
さて、今日は母の日記をご紹介します。
●9月13日(月)
午前中、アーユルヴェーダに行き、全身またもオイルにてマッサージ。そのあと、薬草が入ったテニスボール大のもので、身体をポンポンと叩かれて、身体中の血流がスムーズに流れるさまを想像し、ボーッとする間に終わる。
そんな身体を熱いシャワーで流し、気持ちよくなったわたしは、福岡の妹に電話を入れる。元気な妹の声。今から秋刀魚を焼く準備をしているところです。炭をおこしているらしい。どんなに暑い~などと言ってても、日本の季節は秋に向かっているらしい。
あ~秋刀魚か!
大根おろしとレモン(カボスでもいい)をかけて、ちょっと食べたくなった~。しかしここはインド。娘の手料理の美味物で、この秋の秋刀魚はパスしよう。さあ、今夜は何ができるのかな。
●9月14日(火)
今日も朝の風は、わたしにとってはひんやりしている。靴下でも履くとしよう。
ところで3年ぶりに訪れたバンガロール。その町並みがずいぶんかわってきているのに驚く。3年前は一度も目にすることがなかったゴミ収集車をよくみかける。
そして少しずつ片付いているような気がするが、そのゴミを素手で集める子ども、大人、その横ではスクールバスを待つ子どもたちが笑い転げて、素手で仕事をする子どもの姿に、胸がつまりそうです。
頭にタライのようなものをのせて、土を運ぶ女性たち。こんなことでビルが完成するのかといぶかって、連日アーユルヴェーダに行く途中に眺めていると、さにあらず。着々と、完成して行くではないか。
建設ラッシュに、改めて目を見張る。新しい家やビルが、とにかくできあがってゆく。そのはざまに貧しい人々の住む、吹けば飛びそうなごちゃごちゃした建物がいりまじり、いつかこの人らの住む家も、どこか移動してゆくのだろうか。
通り道の、ごみごみとした長屋のようなところでは、肩よせあっている人らは、いつもたむろして、なにかしら楽しげに、語り合っている。いつもいつも、洗濯物を頭上にあおいで。
●9月15日(水)
今日もまた、ホスピタルへ。朝早くから出かける。今日は生まれて初めての心臓検査。
それも運動が無理がわたしには、注射(点滴)でものすごい速さで走り続けている状態で、心臓の様子を検査。これ以上は無理というところで、検査は終了。
ものすごい検査の結果、「異常なし」といわれて、安心して帰宅。
今日のお昼は、樹木の中のレストランで、ベトナム料理をいただく。
エビやサーモンなども美味で、さきほどまでいた病院のこともすっかり忘れ、元気であることはなんと幸せなことかと感謝する。
●9月16日(木)
今日もコーヒーモーニングに娘と連れ立って出かけ、お昼はいつものようにホテルにて。福岡でもホテルでお茶をするのが好きなわたしは、ここインドのリーラ・パレスも大好きです。庭を歩き、ショッピングも楽しめる、ゆったりとした時間を過ごすことができる。
お昼が終わり、帰宅すると、今度はアーユルヴェーダ行きです。手の先から足の先まで、くまなく二人の女性がオイルでマッサージ。血の流れが確実によくなっている気がする。
薄暮のときをすぎ、家々の明かりがともるころ。小さい雑貨屋や菓子屋、店先に裸電球がともる。車の間を縫って、バイクが走り抜けてく。そのたくましさには脱帽です。
●9月18日(土)
静かな土曜の朝。昨夜はアーユルヴェーダに行き、おでこにオイルを流すシロダラというのを生まれて初めて経験する。少し疲れたのか、9時ごろには眠くなりベッドへ。
朝、早くに目が覚め、ふと、メイドが風邪で2日間休んでいることを思い、今日は来るのかな~とか考えていると、彼女の行動のおもしろさが次々に頭に浮かんできた。
※娘のコメント:以下は、英語ができない母の、思い込みや主観がかなり入っているので、事実ではない記述もあります。取り敢えず、そのままに転載します。
1. わたしを日本につれてって?: 娘が出かけ、わたしが一人でお茶をしているときに、そばに寄って来て「マダム」と言っている。日本に帰ったら、メイドはいるのか、と言っているらしい。
ノー、と答えると、かわいそう、という顔をする。
日本の女性はみんな、自分のことは自分で行うとそれらしく表現すると、自分はインド料理が作れるから、日本に連れて行ってくれ、と言っている様子。
ハズバンド、ボーイ(息子)はどうするのかと問うと、義理の母や夫の姉妹もいるし、わたしについて行きたいと訴える。わたしは笑ってしまったが、なんだかインドの家族もたいへんらしい。
朝は6人分の弁当を作り、朝食の準備をして、ここに来る。多分この家にいるときは、彼女は仕合せなのかもしれない。
たとえ、掃除、洗濯、食器洗いと言っても、彼女はすべての行動が超スロー。この家で身体をいたわっているのかもしれない。
2. ベッドメーキング:暇だし少しは自分の部屋くらい掃除しようとベッドを整えたり、クッションの位置を変えたりすると、いつのまにか部屋に入って来て、最初からやりなおされて、あ~この人の仕事をとってはいけないのかと。
3. 台所で包丁をといでいると、またもどこからかやってきて、包丁も、とぎ器も取り上げて、自分がすると主張する。はいはいと手渡し、彼女が帰った後、わたしは自分の好きにやってみる。
4. 娘がいないときなど、ちょっと料理でもとトマトやタマネギを取り出して切っていると、またも現れて、自分が玉ねぎを切り始めた。さすがのわたしも、ドンタッチ、と言って、ランチを作ったり楽しんだが。
5. 洗濯物などの畳み方も、わたしがすると、全部またやり直す。自分の仕事に手を出して欲しくないのだろうか。
数えればきりがないほどに、面白いことが。これが彼女たちの自己主張なのかと認め、わたしはこの家の主人ではないので、しつけをすることもない。
しかし、メイドにしろ、ドライバーにしろ、人の使うことのたいへんさ。毎日のように何かが起きて、忘れて、またも何かが起きる。
インドだからと、笑いながら、折り合いをつけて行きて行くのが一番なのかな。
娘もインドで生活していなければ、自分の好きな仕事もたくさんできるだろうけど、自分が選んだ道。今しばらくは、インドの生活を楽しんで、ゆっくりまた違う生き方を選ぶのもよい人生かもね。
というわたしは、よけいなことを言ってますね(笑)