古くからの読者……と書き出して思う。2000年2月。ニューヨーク時代に創刊したメールマガジンを機に、わたしのホームページを読み始めてくれた方々は、すでに7年以上に亘って、わたしの動きを知っているのである。不思議な感じだ。
そんなことはさておき、古くからの読者はご記憶かと思うが、ニューヨーク時代から行きつけだった、そしてmuse new yorkでもインタヴューをさせてもらったことのあるIZUMI SALONのIZUMIさんにヘアカットをしてもらうべく、本日一年ぶりに訪れたのだった。
相変わらず、IZUMIさんはお元気だ。小柄で丸顔で、笑顔がかわいらしくて、わたしよりいくつか年上なのだが、あまりにも若々しくてそうは見えない。かといって若作り、という訳では決してない。生き生きと仕事をされていることが、若々しさの理由なのだろう。
そう。彼女もまた、RIPPLUのIZUMIさん同様、忙しい最中、店を抜け出して『街の灯』のレクチャー&サイン会に来てくれた一人だ。あのとき、多忙の中、足を運んでくれた人々に、わたしは格別の恩義を感じている。とてもうれしかったからだと思う。
それにしてもあれから5年。なんという時の流れの目まぐるしさ。
髪を切ってもらいながら、相変わらず話がはずむ。
昨日は、エミさんとランチを共にするべく、待ち合わせの場所へ向けて夫とミッドタウンを歩く。紀伊國屋がブライアントパーク(写真左)の近くに移っていた。大きく、きれいになっていた。
渡米当初、勤めていた日系出版社がこの近くにあり、ブライアントパークでときどき、ランチを食べたものだ。
右の写真は六番街。MBAに進む前、夫が一時期勤めていたモーガンスタンレーのヴェンチャーキャピタル会社があるビルディング。ここの1階で待ち合わせをして、二人でよく夕食に出かけた。マンハッタン時代は、外食ばかりしていたな。
さておき、かつてバンガロールに住んでいたエミさん&ショーン。今年BABYが誕生し、今は家族3人でニューヨーク郊外に住んでいる。まだBABYはマンハッタンに来たことがないということで、今日はショーンとお留守番。
エミさんは一人で私たちに会いに来てくれた。男子2名に会えなかったのは残念だが、また近い将来、会えるだろう。
エミさんとは1年ぶりの再会。去年はエミさんの父君を含めてのステーキディナーだったが、今回はコリアタウンでランチ。
その後、ミッドタウンのスターバックスカフェでお茶を飲む。
思えばわずか半年ほどの、バンガロールでの付き合いだったけれど、短い間によく遊んだものだ。ジャングルへ象を見に出かけたりもしたしね。
エミさんたちがバンガロールを離れたのはいつだったろうか……と、過去のブログリストを遡って発見して驚く。同じ服、着てるよ。誰がって、わたしがだ。幸い、去年のステーキレストランでは違う服だった。
そんなわけで、というわけでもないが、昨日、今日と、かなり服を買い溜めた。主にはブラウスなどのトップス。
インドには、派手なデザインのロングスカートやシャツ、ブラウスが多いが、無地に弱い。見つけ出すのが難しく、つまりは上下の組み合わせが難しい。従って今回は、インド的派手な衣類に合わせやすい無地のものを中心に選んだのだった。
これでしばらくは、「洋服」を買う必要はないだろう。インド服、は買うかもしれないが。
澄んだ空気を切り裂いて伸びる摩天楼。
こんなにも自由な心持ちで歩けるマンハッタンなのに。
I miss India.
インドの、哀愁するいとまのない感じの、いや、哀愁すら喧噪に溶け込んで虚無感は浅い、そんな光景が恋しく感じる。
あのとき、泣く泣くニューヨークを離れた。あんなにも逡巡して、腐って、ワシントンDCに暮らし始めて、そして退屈になって、そしてインドに行きたいと思った。
あのときニューヨークを離れたのは間違いではなかったと、感謝にすら似た思いで、確信する。