この記録は、ニューヨーク在住時に発行していたメールマガジン『ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー』の原稿を転載するものだ。メールマガジンは、すべてホームページに転載していたことから、今でも読むことができる。
*注/文中のA男とは、我が夫アルヴィンドのことである
➡︎ http://www.museny.com/essay%26diary/magcover.htm
【以下、2001年6月の記録を転載】
エンゲージメントリング(婚約指輪)。これまでの人生、まるで無関心に生きてきたのだが、せっかく結婚するのだし、安くてもいいからちょっとした指輪は記念に欲しいものだと、半年くらい前までは思っていた。
ところが、数カ月前より、エステティックサロンのSさんをはじめ、かつてエメラルドのバイヤーをやっていて、宝石に詳しいHさん、そしてわが母親らの意見を聞くにつけ、心が揺らいできた。
Sさんは、「絶対、ダイヤモンドがいい」と力説し、ダイヤモンド関連の情報を教えてくれる。Hさんは、「買うなら絶対1カラット以上がいいから。私はダイヤを卸値で買えるから、コーディネートしてあげるよ」と言ってくれ、母は「美穂、せっかくだったら、買っていただきなさい」と言う。
「せっかく」も何も、そもそもA男には、まったくそんなつもりはないのだ。以前も記したが、彼は18歳までインドに暮らしていたから、バレンタインデーも知らなかったし、婚約指輪の存在すら、多分、よく知らないはずだ。しっかりと作戦を練る必要がある。
ある土曜日の午後、レストランでブランチを食べながら、さりげなく話を切り出す。
「ねえ、婚約したら、指輪を女性に贈らなければいけないんだよ。それは愛の象徴だから、最も強い貴石であるダイヤモンドでなければいけないんだって。知ってた?」
「知らないよ。そんなこと。宝石会社のコマーシャルに乗せられているだけのことでしょ。インドではそんなこと、しないよ」
「あら、なに言っているの? この間、あなたのおじさんも、結婚指輪をしてたじゃない。結婚指輪があるということは、婚約指輪も存在するはずよ」
「そうかなあ。違うと思うけど。僕のお父さんはしてないよ、指輪」
「それでね。婚約指輪って言うのは、だいたい、月収の3倍なんだって」
「えーっ? 何だよそれ。誰が決めたんだよ、3倍なんて。それって税引き前の話? それとも税引き後?」
こちらは、額面の3割近くが税金に引かれるから、それは重要なポイントなのだ。
「もちろん、税引き前に決まってるじゃない。あ、でも気にすることはないのよ。私、そんなに高価なものを欲しいなんて言ってないし。私たち今までずっと割り勘だったし、あなたに何かを買ってもらうのも、なんとなく気が引けるしね」
そういいつつも、ブランチをすませ、街をふらふら歩きながら、なぜか私の足は五番街、57丁目の「ティファニー」に向かっている。店の前に来て、いかにも偶然見つけたかのように言う。
「あ、ティファニーだ。ちょっとのぞいてみない? 別に、今、指輪を買ってくれって、言ってるんじゃないの。マーケティングよマーケティング」
疑惑の目を向けるA男の手をひっぱり、店内へ。週末のティファニーは一段と込み合っていて、熱気に満ちあふれている。すでに下見しておいた婚約指輪コーナーへ行く。A男に見せておきたいものがあるのだ。人混みをかき分け、ショーケースの中を彼に示す。キラキラと輝く大小のダイヤモンド。中央に、小さな表示がある。
「Tiffany's Diamond. Engagement Ring. $950 to $1.1 million」
(ティファニー製ダイヤモンド 婚約指輪 約10万円から約1.3億円)
A男、目が点になり硬直している。
「なんなの、1ミリオンって。指輪に1ミリオン??」
興奮を隠しきれず、私に耳打ちする。そして冷静になってまわりを見回す。若いカップルが、大粒のダイヤを試している姿を見て、急に競争心を燃やしている様子。予想通りの反応だ。
「ねえ、あの男、ぜんぜん冴えない感じなのに、あんなダイヤ買えるのかな? あっ、あそこにいる日本人のカップルなんて、大学生みたいだよ。彼らも買うのかな? 信じられないな」
確かに、私も信じられない。今まで宝石などにお金を使ったことがないから、ピンとこないのだ。A男は、急にのどが渇いたといって、一旦外に出て、ベンダー(屋台)でボトル入りの水を買い、喉を潤して戻ってきた。
他の店に比べ、ティファニーは日本人好みのシンプルなデザインが多い。アメリカ人は、ごてごてしたジュエリーが好きだから、婚約指輪にしても、やたらと爪が高くて「これみよがし」のものが多いのだ。真珠などにしてもそう。以前、ミキモト・アメリカの社長をインタビューしたことがあったが、アメリカと日本とでは、全く異なるデザインが好まれると聞いた。
こちらの新聞や雑誌にもミキモトの広告をよく目にするが、ビー玉のような大粒の真珠が、二連、三連になったもの、ゴールドやシルバーの装飾が施されたものなど、奇抜なデザインが紙面を飾っている。
私は指輪にしろネックレスにしろ、大きめのものが好みだが、それでも、五番街などのショーウインドーで、これでもかというくらいに過度に華やかなジュエリーを見るにつけ、嗜好の違いを痛感させられる。
さて、ティファニーの最新デザインだというシンプルですてきな婚約指輪を試してみる。大きいのを試すのは心臓に悪いから、最小サイズから3番目ほどのものを指さし、ショーケースから取り出してもらう。
指につけながら、さりげなく値札をのぞく。A男ものぞく。こんなに小さいのに、かなりのお値段……。店員の手前、僕らは買おうとしているという姿勢を見せなければならないから、ダイヤモンドのしおりなどをもらい、積極的にダイヤモンドの品質などについて質問をする。
二人して、かなり消耗して店を出た。しかしながら、A男の脳裏に、「婚約指輪はダイヤモンド」という刷り込みがなされたことは、間違いないだろう。第一段階、ほぼ成功である。
アメリカの婚約指輪はなにしろゴテゴテしている。私は、できるだけ長い歳月、いつも身につけていられる、できるだけシンプルなものを求めていた。
理想の指輪を求めてリサーチ開始。結婚関係の雑誌やウェブサイトをのぞいたり、打ち合わせなどで外出するたび、ジュエリーショップで足を止める。しかし、どうしても気に入ったものが見つからない。
ついに私はミッドタウンにあるダイヤモンド街に足を踏み込んだ。47丁目、5番街と6番街の間の1ブロックは、ユダヤ人を中心とした宝石商たちの店舗がぎっしりと軒を連ねているのだ。中国、コリアン、ロシアなど他国の商人たちも見られる。
ショーウインドーにきらめく、素人目には海のものとも山のものともつかない宝石の数々。私は獣を追うハンターのような鋭い目つきで、プラチナのリングのデザインを眺める。ショーウインドーには、宝石がついているもの以外に、台座の部分だけも陳列されているのだ。
数軒目のショーウインドーで、ついに、見つけた。ティファニーの、私が求めていたデザインとよく似たシンプルな台座を。ちなみにティファニーの商品の一部は、このダイヤモンド街の職人たちが手がけているという噂も聞く。
店内に入り、加工の具合やデザインをチェックする。その後何軒か訪ね、いくつかの店で、似たデザインのものを見つけた。
結局、私は宝石商の友人Hさんに連絡をする。以前、muse new yorkやメールマガジンでも紹介した、エメラルドの貿易をやっていた彼女だ。彼女は今、ダイヤモンド街にある宝石関連の学校で勉強を重ねている。
彼女と相談した結果、彼女にすべてアレンジしてもらうことにした。予算と希望のダイヤのカラット(重量)を伝える。それにより、ダイヤの質を考慮してもらう。もちろん彼女への手数料も予算に含まれる。
中途経過はいろいろあったが、最終的に、彼女を通してベルギーのアントワープからダイヤモンドを取り寄せ、ダイヤモンド街の中で最も加工技術が上手だと思われる店で台座を購入し、セッティングしてもらった。
もう、すでに「婚約指輪」に伴うロマンティックな雰囲気は霧散しているが、A男も「Hさんに頼んだら?」とお任せ気分だったし、二人で予算も相談したので、あとは私とHさんとのやりとりになった次第なのだ。
ダイヤモンド街では基本的にはクレジットカードは使えず、すべて現金勝負。だから、Hさんにあらかじめ小切手を渡し、彼女が購入の際に現金化して支払うことになる。なんだかその怪しげな雰囲気が私の好奇心をかき立てる。なにしろ、ダイヤモンド街には、店頭に並んでいるのはごく一部で、それぞれの店舗が強靱な金庫を持ち、相当の在庫を保有しているのだ。
あの1ブロックだけで、いったいどれほどの「金銭的価値」があるのか、想像もつかない。マンハッタンで最もヘビーなブロックなのである。
さて、先々週の木曜の夕方。「ブツ」の取引を行うことになった。待ち合わせの場所は、ダイヤモンド街に近い、ロイヤルトン・ホテルのバー。あらかじめネイルショップに出かけて、指先を美しく整える。どの色がいいだろうと、いつもより長い時間、色選びに迷った結果、「アマルフィ」というイタリアの海岸の名前が付いた色を選んだ。淡い金色のそれは、柔らかな光のようである。
Hさんより一足先についた私は、はやる気持ちを抑えつつ、マティーニを飲みながら待つ。
ニコニコしながらHさんがやってきた。いい仕上がりだったに違いない。
「ここで感動しちゃだめなんだよね。今日はあくまでも検品、検品。本当の感動はあとにとっとかなきゃね」
などと言いながら、安っぽい箱を開け、中から黒いビロード製のケースを取り出し、パカッと蓋を開ける。
きれい! すてきなデザイン! キラキラしてる!!
指にはめてみると、とてもすんなりと収まる。私の手にとてもしっくりとくる。Hさんも「すごくいいよ、似合ってる」とほめてくれるし、私もそう思う。台座を求めて何軒も訪ねた甲斐があったというものだ。
下世話な話だが、Hさんを通して作ってもらった婚約指輪の価格は、市価の3分の1程度。日本だともっと高いから4分の1程度かもしれない。その現実もまた、喜びを増幅させる。
なくしたらいやだから、指輪はそのまま身につけて帰り、家に戻ってから柔らかな布で磨いて箱に戻し、家にあったリボンなどをかけて、きれいな紙袋におさめた。
翌日、DCから戻ってきたA男に、「お祝いの件」と言いながら、その紙袋をさりげなく渡す。A男もこのときばかりは気を利かせていて、翌日のブランチとディナー、両方に、すてきなレストランの予約をいれてくれていた。
「お祝いは昼と夜のどっちがいい?」
と聞かれ、夜まで待ちきれないから昼にすることにした。A男が連れていってくれたのは、近所のアッパーウエストサイドにある、こぢんまりとしたフランス料理レストラン「Cafe des Artistes (1W. 67th St.)」という店だ。近所ながら、まだ一度も訪れたことのない店だった。
まずはシャンパーンで乾杯。そのシャンパーンの色が、昨日塗ってもらったマニキュアの色と全く同じであることに気づいて、ささやかに感動した。
前菜に生のオイスターを食べたあと、ロブスターサラダにポトフをオーダー。そのポトフのおいしかったこと。鍋ごとテーブルに供され、テーブルでウエイターからサーブしてもらうのだが、具もたっぷり入っていて、ゆうに二人分はある。トロリとした「マロー・ボーン(牛の骨髄)」、柔らかに煮込まれた牛肉、それに各種野菜。コンソメのスープもとても上品な味で、本当においしかった。
食後は甘みを抑えたホイップクリームがたっぷりのパイに、ストロベリーやブルーベリー、クランベリーなど、ベリー類がたっぷりあしらわれたデザートを二人で分ける。さらには、食後酒にポルトガルの甘いワイン「ポートワイン」を少し。至福のブランチだった。
「お祝い」の詳細は、公表するには恥ずかしいので割愛するが、レストランを出るときには、私の薬指にはキラキラと光る石が収まってた。
こんな小さな石なのに、しかも、受け取ることを予想していたのに、こんなにうれしい贈り物は、これまでの人生でなかったというくらいに、うれしかった。
小学校に入学するとき、福岡の新天町にある大隈カバン店でウサギのマークのランドセルを買ってもらい、さらにはクロガネの学習机を買ってもらったとき以来の、それは強い感動だった。
午後の街を歩きながら、何度も石を光に翳してみた。太陽の光、電灯の光、夕陽の光、キャンドルの光……。それぞれの光によって、違う色や輝きを呈する石。小さな石の中に、無数の光の破片が息づいているように見える。
A男に「もう、いいかげんにしたら?」と言われるくらい、折に触れ、眺めている。
1週間以上たった今でも、そのうれしさは変わらない。毎晩、ハンドクリームを丹念に塗って、爪もきれいに整え、一人悦に入っている。
いつまで続くことやら……。