'Only Japanese, no Indian people, ma'am' (←Click!)
バンガロールのタブロイド紙、BANGALORE MIRRORが取り上げていたニュース。詳しくは、上のリンクから、記事を読んでいただきたい。
2年ほど前に、バンガロール市街中心部にオープンした日本人向けのビジネスホテル。この最上階に、日本料理店がある。わたしも一度、訪れたことがある。
この店の評判は、日本人の間では比較的いいようであるが、わたしは個人的に、特段の好印象を受けなかった。以降、一度も訪れてはいない。
さて、この記事の意図は、この店への批判である。オーナーも、従業員も、主にはインド人のようである。ホテルでは日本人スタッフも見かけたが、詳しい事情は、わからないので触れない。
この記事では、日本人の友人から勧められて訪れたインド人が、「日本人以外にはサーヴィスしていない」という理由で追い返されたケースがあったことから、その「人種差別的な悪評」を耳にした取材者がレストランへ客として来訪。その際に、どのような対応で以て入店を拒否されたかが、レポートされている。
レポートによれば、日本人がインド人を伴って訪れたときにも、インド人は断られたという。
わたしがアルヴィンドを連れて行ったとしたら、きっと夫は断られるのだろう。「彼はわたしの夫なんです。日本食が大好きなんですよ!」と言ったところで。もっとも、敢えて行くつもりはないが。
個人的な意見をいえば、実に狭すぎる世界観の話ゆえ、最早どうでもいい気がしないでもない。
閉塞感たっぷりの印象を受けるし、小さいな、と思う。ただ、このような世界はまた、需要あっての供給。インドにいるにも関わらず、いや、インドにいるからこそ、他の人種、主にはインド人を排除したい人たちがいることは、もちろん理解している。
インドに移住してまもないころは、夫がインド人だということで、当時の日本人の在住者から、米国ではまったく感じない異様な偏見を持たれたことは、枚挙に暇がない。
パーティを催した折、拙宅にご夫婦で招いたところ、「休日まで、インド人には会いたくない」と言う理由をご丁寧に説明してくれて、辞退する人もいた。そう思う人はきっと、少なくないのだろうが、当時は真剣に腹を立てたものだ。今となっては、最早、笑える。
インドに住まわせてもらい、
インドで仕事をさせてもらっている。
にも関わらず、インドのことも、インド人のことも、こてんぱんに嫌い、恥ずかしいほどの上から目線で、散々に罵詈雑言を尽くす日本人、異邦人の姿は、うんざりするほど見てきた。
そのことについては触れない。異次元の世界のこととして、干渉しない。
ただ今日、敢えてこの記事を取り上げたのは、むしろこの記事の下部に連なる、読者のコメントが興味深かったからだ。
「人種差別だ!」
「こんな店は潰してしまえ!」
と息巻く人がいる。この記事を、カルナタカ州知事に転送すると同時に、この「人種差別に関する問題解決」を促してほしいとの旨、依頼している人までもいる。その一方で、
「これのどこが人種差別?」
「差別をしているのは、インド人のオーナーやスタッフであり、日本人じゃないよね?」
と、異論を返す人もいる。
「インドには、外国人が入れない寺院なんかもたくさんある」
寺院と飲食店は性質を異にするが、言いたいことはわかる。
「インド人同士でも、我々は差別をしているじゃないか! 性別やカースト、経済的地位などに拠って……」
「僕はマイソールの有名なホテルで、ドライヴァーと一緒にレストランに入ろうとしたら、ドライヴァーの入店を拒否されて、彼には他の食堂へ行くように促されたよ。同じ国民にも関わらず、同じ場所で食事をさせないことは、じゃあ差別にならないっていうのか?!」
「バンガロールに暮らす日本人は1100人を超えている。彼らが母国と同じような、快適で静かな環境で食事をすることに、干渉する必要はないではないか」といった、日本事情に詳しい人のコメントもある。
★ ★ ★
やれやれ。
インドとは本当に、広くて深くて厄介で、一筋縄ではいかない国だ。事情をよく知らない部外者が、物事の善し悪しを、得意になって判断することの恐ろしさを、改めて実感する。
と、同時に、面白い。
途轍もない多様性を擁した広大な世界はまた、凄まじい速度で時間軸を走り抜け、人々の意識もまた、著しく変化している過程にあり。
生きる上で大切なことを、無数の教訓を、この国に暮らすことによって、学ばせてもらっていることは、間違いない。と、改めて思う。
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