7月の日経新聞「私の履歴書」を彩ったラタン・タタのストーリーは、本当に興味深かった。若かりしころの彼の話にはじまり、現在に至るまで、彼の人となりの魅力を、一層感じることができた。
パールシー(ゾロアスター教徒)としての、彼の幼少時。家庭の事情。
タタ財閥の身内として、しかし一から築き上げてきたキャリア……。
信頼していた人の裏切り。
会長職に就いてからの功績。
プライヴェートの趣味など……。
どの回も、興味深く読んだ。自分がインドに暮らし始めて以降のことは、大きな出来事の背景を知ってより、楽しめた。
しかし、2008年の同時多発テロのときの記事は、最初の数行を読んだだけで、泣けてきた。あのときは、個人的にも本当に、辛かった。辛かったけれど、マンハッタンで世界同時多発テロを経験した時に、よりいっそう、ニューヨークが好きになったように、ムンバイに対する思い入れが強く増した。
最終回のテーマは社会奉仕(慈善財団の活動に献身)だった。
彼が口にすると、重みがある。真実味がある。大財閥の会長職に就いていながら、華美なライフスタイルを送るわけでもなく、「身の丈」をぐっと低く据えていらした。
一度、ムンバイの空港でお見かけしたことがある。記事にある通り、取り巻きの方などつけておらず、おひとりだった。が、それはそれは強い存在感、いわゆるオーラを発していらした。一緒の飛行機に乗っていきたいとさえ思った。
また、彼が自分で運転する車が、我が家と同じ「ホンダ・シビック」だというところが、自分勝手にうれしかった。わたしたちが住んでいた2008〜9年のムンバイでは、デリーやバンガロールなど他都市に比べ、ホンダ車が強い人気だった。今はどうだかわからないが。
「シビック、燃費、悪すぎますよね」と、声をかけたい。
尊敬するべき人々の生き様の断片をかきあつめ、自分なりに大切に咀嚼しながら、自分自身の在り方について、学ばせてもらう。インドに来て以来、そういうすばらしい人々にたくさん出会い、関わり合えていることを、本当にありがたく思う。
私もラタン、タタ氏の履歴書に感激した一人です。昨年インドに初めて行きムンバイの友人の家に泊まり町中を歩き回り立派な神殿のようなタタ御殿、ホテルを見てきたばかりでした。また白く美しいタジマハールを描くことができて長年の夢がかないますますインドにあこがれています。南海代
投稿情報: namiyo | 2014/08/26 04:19