片隅の風景 インド

ムンバイ

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英国人遺したるネオ・ゴチックの残骸散らばれりムンバイ。

今在る者、誰も知らぬ百年以前の麗しき都よ。

朽ち果ててなお気高き廃屋。

生い茂る木枝、鴉、犬。

蓄積の砂塵、身じろぎもせず。

時空歪めて、扉開けば、昔日の雑踏、現れり。

2006/01/07 | 個別ページ

結婚

0628

Whartonのアラムナイのディナーパーティー。

20年前の秋、大学祭で打ち上げた花火を思い出した。

梅ヶ峠の闇夜を彩る無数の花火は、わたしたちの、

漲る若さの、結晶だった。

お祭り騒ぎに無闇に夢中で、しかし肝要な学問は疎かで。

ああ、いったい何をやっていたのだろうか、わたしは。

ああ、それにしたって、花火は胸に迫る。

いつ米国に戻るかしらないけれど、よかった。インドに来て。

いつも諍いが絶えないけれど、よかった。この人と結婚して。


 

2006/01/06 | 個別ページ

未来

0500

米国のころの、インドの断片を拾うために、

ここに繰り畳ねていた歳月を紐解いた。

一葉の、写真の向こうに広がる光景。綴られた、言葉の向こうに眠る感情。

正と負、陽と陰、光と影。寄せては返す波のごとくのはずだけれど。

ここに見えるのは、ひと粒ひと粒の、愛おしき日々。

今日一日の、不運だけを数えても事実。幸運だけを数えても事実。

まるで映画の"Big Fish"のように。

お伽話の過去はいつでも、愉快で、不思議で、幸福なノスタルジー。

この瞬間から連なる未来のために、今を紡ごう。

2006/01/05 | 個別ページ

過程

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「今日はリーシとランチを食べたよ」と夫。

リーシは、夫のMBA時代のクラスメイト。ムンバイ出身の彼は、夫と同様、米国の大学に進学し、米国で就職した。そして我々より一足先の半年前、インドにビジネスチャンスを求めて、妻と二人の子供と共に帰国した。

「仕事の話とは別に、僕は彼に、インドに移住して以来の心境について尋ねたんだ。彼は言ってたよ。最初のころは、気分が大きく上下する日が続いたって。なんでこんなところに戻って来たんだ! って、大声で叫びたくなる日もあれば、インドはやっぱり祖国だ、心地よい場所だと、思える日もある。

この半年間のうち、米国に3回、出張に行ったらしいんだけどね。三度目に訪れた時に初めて、<ここは異国だ> って思ったんだって。インドにいると、<人は人生のために生きている>という気がするけど、アメリカに行くと、<人は働くために生きている>っていう気がするんだってさ」

リーシも夫も、人生の半分以上を米国で過ごした。その彼らが、それぞれに思いを抱き、故郷に戻った。

今のインドには、彼らと似た経歴を持つ若い世代が、目まぐるしい勢いで増え続けている。彼らの働きが、この国の将来をどのように変えていくのだろう。これからの人生、わたしはその過程を、つぶさに眺めていくのだろう。

2006/01/04 | 個別ページ

衝動

0210

仕事でもないのに。
義務でもないのに。

歌いたい人のように、
奏でたい人のように、
描きたい人のように、
踊りたい人のように、

五感で吸い取ったもの濾過して、
コンピュータの中に封じ込める。
そしてそこから、地球に散らばる。

循環して、循環して、
血中インド値が、
みるみるみるみる、高くなる。

2006/01/03 | 個別ページ

天竺

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この国の、天空より見下したるの、厳かな美しさ。

ナーランダ、ガンダーラ。

如意棒たずさえ、斤斗雲に乗って、孫悟空が眺めし下界は。

無論、ここは南インドの空ではあるが。

地上に蠢く諸々の生き物の、日々の営みはひと吹き。

やはり、ここは天竺か。

すべてが大きく、ずれて在る。

ひどく大きく、ずれて在る。


 

2006/01/02 | 個別ページ

2005年。忘れ得ぬこの一年に。

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山越え谷越え、
夫と二人で、ひとまずはたどりついた、この地。

心地のよい家で、一年を締めくくり、
新たなる年を迎えられることの幸せ。

日本に生まれて育ち、米国で長い歳月を過ごし、
そして今、インドにきた。

天竺、と呼ぶにはあまりにも、
あまりにも世俗の渦のなかで、

誰も、先のことなど、知りはしないのだ。

だから躊躇することなく、
歩いてゆく足がある。
聞きわける耳がある。
嗅ぎ分ける鼻がある。
見極める瞳がある。

そして、つかみ取るこの手のひらがある。

自分を、慈しみ、たよりにしながら。

もっと強く、たくましく、やさしく、懸命で、
ありたいと願う。

2005/12/31 | 個別ページ

いつのまにか。

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ひどく遠いところまで、来てしまったね。

子供の頃、
校区外に出かけて、
はじめての町をさまよったときの心細さ。

夏のキャンプ地の、
森の湿気に満ちたひんやりとした朝の、
よそよそしさ。
おばあちゃんの家の、
蚊取り線香の匂いと、
知らない近所の子供たち。

遥か遠い場所を、
好きに、自由に、転々と、
訪ね歩ける大人になって、
心もとなさは封じ込められ、
どんどん、どんどん、強くなる。

たくましく勇敢に、
歩いてゆくのはすてきなことだけれど、
ぐらりと揺れる心のさまもまた、やさしい。

その瞬間は、自らをとりまくすべてが、いとおしく見えるので。

2005/11/22 | 個別ページ

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