日本家族を見送った日から、わたしは胃痛・腹痛・下痢に見舞われる。精神的な食欲はあるのだが、お腹が痛いから何も食べられず、それからの1週間、地味な食生活だった。
翌日から3泊4日、新婚旅行と称して、わたしたちはウダイプールという都市に出かけた。ニューデリーから飛行機で1時間ほど南西へ飛んだところにある町だ。
ここには人工湖があり、その中心に、かつてマハラジャの夏の離宮だったゴージャスなホテルがある。たまたま披露宴に来ていた人が、このホテルのマネージャーだったらしく、スタンダードルームを予約していたのに、スイートルームに変えてくれた。
まさに「姫」気分で過ごした3泊4日だった……といいたいところだが、お腹の調子が治らず、地元の病院に行って薬をもらったりして、今ひとつ冴えない新婚旅行だった。
3泊もした割に記憶が浅く、万全の体調で望みたかった。返す返すも悔やまれる。
ニューデリーへ戻り、アルヴィンドの家族と最後の夜を過ごし、長く濃密だった2週間のインド滞在を終え、ニューヨークへ戻った。ニューヨークに戻ってきて、心底ほっとした。
初めてインドを訪れ、インドという国の断片を垣間見て、アルヴィンドの「人となり」も、少し理解できる気がした。出会った当初は、一人で服も畳めず、家具を組み立てることもできず、料理も何一つできない彼を見て、唖然とするばかりだったが、この環境では、それも仕方なかったかもしれないと、ちょっとだけ、寛大になった。
朝、目が覚めれば、使用人がお茶を部屋に運んできてくれる。脱ぎ散らかした服はメイドが洗濯し、夕方にはきれいにアイロンをかけて部屋に届けてくれる。ベッドも部屋も、毎日きれいに掃除してくれるから、自分で家事をする必要は一切ない。
外出から買って来れば、「お水になさいますか? お茶になさいますか?」と尋ねられ、夕食の献立も、リクエストに応じて作ってくれる。
何もかもお膳立てされることは、とても楽だけれど、それはイコール豊かではない、ということも実感した。
披露宴に来ていた女性たちにも見受けられたが、裕福な人たちの肥満ぶりも印象に残った。アメリカの肥満とは違う意味で、考えものである。街に溢れかえる貧しい人々との落差が激しすぎて、なんだかよくわからなくなる。
ちなみにウマやスジャータはスリムだ。彼女らは、あえて自分たちで家事をしている。インドに到着した日、ウマが自分の部屋をわたしに案内しながら「わたしは自分の部屋の掃除や洗濯は自分でするのよ」とむしろ誇らしげに言っていたその理由が、今になってよくわかる。
同じ環境に育っていながら、スジャータは非常にシンプルな生活を好む一方、アルヴィンドはどちらかといえば、贅沢で楽な生活が大好きだから、インドでの2週間が本当に心地よかったようだ。
ある意味、甘やかされて育った彼が、18歳にして初めてアメリカを訪れ、一人で生活を始めたというのは、たいしたものだとも思う。
ともかく、わたしたちの旅は、こうして無事に終わった。
それにしても、なんと大変な結婚式だったろう。2週間の間に勃発した「アルヴィンドとの戦い」は、史上最高のすさまじさだった。わたしは、何もかもが行き当たりばったりの事態が受け入れられず、気候の悪さも手伝って、ストレスも最大級だった。しかし、それもまた、試練であった。
無論、自分たちで式の準備することはほとんどなく、2週間だけの混沌だったから、むしろ一般の人たちよりは総合的に考えると、ある意味では「楽」な結婚式だったかもしれない。
何もかもを準備してくれたインドの家族には感謝する限りだ。聞くところによると、一般に、インドの結婚式は、嫁の方が莫大な「結納金」や「貢ぎの品」を婿の家族に贈呈しなければならないなど、非常に封建的な側面があるようだ。
そもそも、外国人との婚姻などは許さないという家庭も多く、更には、「年上の女性など御法度」という場合もあるなど、ともかくいろいろ大変らしい。
しかし、アルヴィンドの家族や親族はまったく囚われがなく、非常にインターナショナルで自由な気風が漂っていたのは幸いだった。大勢のインドの親戚らに歓迎され、異国に自分の家族を持ったということは、なかなか味わい深いものである。
インドでの結婚式。タフだったが、いい経験だった。
ウダイプールの人造湖、ピチョーラー湖に浮かぶレイク・パレス・ホテル。マハラジャの夏の離宮をホテルに改装したらしい、007の舞台にもなったことのあるホテルで、映画では湖にワニが登場していた。湖畔からホテルまでは専用のボートに揺られて行き来する。
ホテルからは湖畔の宮殿が見える。ラジャスターン州最大の宮殿らしい。今思えば見学しておくべきだったと後悔の念が立つが、当時のわたしはともかく体調が悪く、目前にしながら行かなかった。ちなみに湖では、少年たちが泳いでいた。
湖を見下ろすカフェで朝食。アルヴィンドはすこぶる体調がよく、食欲も旺盛。出される料理、何もかもおいしいらしく、非常に幸せそうである。悔しい……。
ウダイプールの町へ出る。この町でも牛が主役。ニューデリーにも牛がいっぱいいたのよ~。写真は載せなかったけれど。道路の中央分離帯とかにも牛がいて、牛が突然動き出すと、車が急ブレーキかけたりして、危ないのなんの。
それだけではない。わたしとアルヴィンドが「病院に行くべきか否か」と、立ち話をしていたら、二人の間を引き裂くように1頭の牛が通過し、その直後、いきなり放尿! 我々の足許に飛沫を飛び散らして立ち去っていった。い、いったい、どういうこと!?
結局、お腹の調子があまりに悪いので、オート・リクショーに揺られて、町で一番大きい病院に連れていってもらう。
案の定、病院は長蛇の列で、いつになったら診てもらえるのかわからない。しかし、アルヴィンドが受付でうまく交渉してくれて、数十分待っただけでドクターに会えた。なんだかよくわからないが、いくつかの薬を処方してもらう。これで、なんとなく、一安心。
全く食欲がないわたしに比べ、夫は久々のインド料理がおいしいらしい。妻には「キチディ」という米と豆のお粥を注文。自分はタンドーリチキンはじめ、豪勢な料理を「おいしい」「おいしい」と食す。わなわなする。
かつて訪れたことのあるアルヴィンドは、「どうしても美穂に見せたい寺院があるから行こう」と誘う。タージ・マハルの件もあり、もうどこにも遠出したくないというのに、強引にタクシーをチャーターする。100キロの道のりをひたすら走る。苦行を超えて拷問である。
ほとんどがボロボロの舗装路か、未舗装路のため、案の定、車は激しく上下して、具合が悪くなることこの上ない。瞬間的に舗装したての道路が現れ、正気を取り戻す。窓の外には家畜の群。
2時間以上のドライブを経て、ようやくたどりついたラナクプール寺院。15世紀に建立された建築物で、全てが大理石でできている。ジャイナ教の古代太陽寺院だという。
寺院内には29の空間がある。柱は全部で1444本。すべてが大理石の彫刻。……そんなすべてをまったく堪能できない、体調の悪さ。
瞑想にぴったり。な空間を見つけたので、瞑想をする。ランチは寺院に併設の食堂で。簡素ながらも清潔で、お腹にやさしいベジタリアン料理が供された。※注/体調が悪いながらも、寺院で食事をしたようである。今のわたしには無理。やはり若かったのね。(20年後のコメント)
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2009年。新婚旅行、やりなおし。再び、ウダイプールのレイクパレス・ホテルへ。
➡︎https://museindia.typepad.jp/2009/travel_udaipur_1/index.html
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