【結婚20周年/2021年7月現在の所感】
25年前、ニューヨークで出会った夫と、20年前、結婚した。わたしにとっては、初めてのインド。当時はインターネットで得られる情報も少なく、インドの結婚式事情はおろか、インドのことさえ、よく知らなかった。
蒸し暑い7月のニューデリーに、末期の肺癌から一時的に回復していた父、そして母と妹夫婦を招いての、未知なる結婚は、すべてが混沌だった。インドに暮らし始めて、インドの結婚事情やライフスタイルを知るにつけ、よくもインドの家族や親戚が、わたしを歓迎してくれたものだとも思う。
語るに尽きぬ、しかし、ご縁の一言に尽きる。
以下は、坂田の米国在住時のホームページの記録から転載するものだ。当時はまだブログなどもなく、限られた写真しか掲載していなかった。今日、古い紙焼きの写真や、CDに焼いていたデータを久しぶりに発掘して、追加で掲載した。
すでにこの世を去った人たちも多く、しみじみと、懐かしい。
【CONTENTS】
【DAY 01】新婦、遂にインド初上陸
【DAY 02】日本の家族(両親と妹夫婦)もデリーに到着
【DAY 03】結婚のイヴェントその①メヘンディー。女性のための、パーティー
【DAY 04】結婚のイヴェントその②社交クラブでカクテル・パーティーの夜
【DAY 05】結婚のイヴェントその③夫の実家で炎の結婚式。暑すぎ
【DAY 06】結婚のイヴェントその④ホテルのバンケットルームで披露宴(レセプション)
【DAY 07~】悪夢のタージ・マハル観光。そして日本勢、無事、帰国。
【DAY 10~】インド滞在の終盤。ボロボロ新婚旅行。
【はじめに】
インドの結婚シーズンは、基本的には冬だという。
夫の故郷であるデリーの場合、4月から6月にかけての「夏季」は、平均気温が40℃から50℃に達することもある猛烈な暑さで、空気は乾燥しているものの、ともかく暑い。
6月~9月になると、少々気温は下がるものの、今度は雨がたっぷり降る。湿度が高く蒸し暑い、一年で最も過ごしにくい季節、つまりモンスーンの季節だ。このモンスーンの時季に結婚する人は、あまりいないという。
そもそもインドの結婚式は屋外でやらねばならない行事がある。従って、夏季やモンスーンは避けるべきなのである。ではなぜ我々は、よりによってモンスーンの時季に、結婚式を挙げてしまったのだろう。
結婚を決めたのは、2001年の初旬だった。最初は取りあえず、夏ごろに米国で結婚の申請をするつもりでいた。
ただ、わたしとしては、「ウエディングドレスが着てみたい」という、ちょっぴりミーハーな願望があったため、ハワイなどで、ごく身近な家族を招いての結婚式とパーティーをするのもいいかなと思っていた。夫はハワイ案を気に入り、「じゃあ、ハワイで結婚式をしよう」ということになった。
どこか小さな教会で式を挙げたあと、のんびり休暇を楽しむのがよさそうだ。ともかくは情報収集、というわけで、インターネットであれこれとリサーチする。数日後、調べ上げたデータを夫に示したところ、
「えーっ? どうして僕たちがキリスト教の結婚式をするの? 僕はヒンドゥー教徒でミホは仏教徒でしょ? ウエディングドレスが着たいだなんて、何言ってるの?」
「何言ってるのって言いたいのはわたしの方でしょ? いったいどこの誰が、ハワイでヒンドゥー式やら仏式の結婚式を挙げるのよ?!」
「とにかく、僕は結婚式をするなら、ヒンドゥー式でするから。そんなにウエディングドレスが着たければ、一人で着れば?」
憎々しい限りだが、彼の言うことにも一理ある。確かにヒンドゥー教徒と仏教徒がキリスト教式の結婚式を挙げるのは妙なものである。
どうせヒンドゥー式でやるなら本場インドがいいだろう。わたしはまだインドに行ったことがないから、これは夫の母国を訪れるいい機会だ。そうだそうだ、インドで式をしよう、という運びになった。
インドの夏は暑いと聞いているが、冬だとまだ1年近くも先の話。先延ばしにしてお互い気が変わっても厄介だ。それに夏の方が、夫も長期休暇がとりやすい。わたしが暑さを我慢すればいいだけだから、やはり夏にしよう。ということになった。
インドの家族には、夫から、「あまり大げさではない、身内だけの結婚式にしたい」と連絡を入れた。なにしろ、文化の違う者同士の結婚だから、派手にやるのは無理がある。
無論、インドの結婚式というものが、いったいどういうものなのか、ほとんど知識がなかったから、そのときは何ともいえなかったのだが……。
※注/当時、インターネット上でもインドの結婚事情を入手することは困難だった(20年後のコメント)
ところでわたしの父は前年、肺がん(しかも末期)を発症し、抗がん剤治療を受けるなどしていたため、両親を招待するつもりはなく、わたし一人で行こうと思っていた。無論、妹夫婦が来てくれるなら、うれしいけれど……。というくらいに考えていた。
さて、日本の家族にインドで結婚式をする旨、報告せねばと電話をかけた。父は不在だったので、ひとまず母に、この夏結婚することを伝えた。すでに我々は付き合い始めて5年もたっていたし、近々わたしたちが結婚するであろうことは両親も予想していただろうから、母も驚くということはなく、とても喜んでくれた。
ただ、インドで結婚式をするということに関しては意外だったようで、母は少々残念そうに「ニューヨークでやるんだったらねえ……」とつぶやいた。
母はニューヨークが好きなのである。
「もちろん、インドはわたし一人で行くから。日本へは、改めてアルヴィンドと挨拶に行くよ」
そう言って、電話を切った。
翌朝、ひどく早い時間に、父が電話をかけてきた。
「美穂、結婚おめでとう! 幸子(母)が昨日、何て言ったかしらんけどね。式にはぜひ参加させていただきますから! 僕は、美穂の結婚式のためなら、インドでも、地の果てでも、どこへでも、這ってでも行くからね!」
あいたた~。
うれしいけど、でも、なんか大変なことになりそうな予感。それはそうと、インドと地の果てを並べては、インドに申し訳ないと思う。
それでもって、這って来られても、困る。
そういうわけで、日本から、両親と妹夫婦がインドへやってくることになったのだった。
基本的には、夫の家族のみが結婚式に関する責任を負担することになるため、イベントは最小限にしたいと夫もわたしも思っていたのだが、インドに電話を入れるたび、「あれもやろう」「これもやっておくべきだ」と、だんだん話が本格的になっていった。結局、結婚関連のイヴェントは4日間に亘って行われた。
無論、イヴェントそのものはすべて夕方から夜にかけて行われるため、昼間は観光やショッピングなど結婚式とは関係のないことをして過ごした。結婚関連のイヴェントが行われる最初の1週間は日本から家族が訪れ、後半の1週間は新婚旅行というプランである。
ここでは、インド滞在中の写真に加え、以前、メールマガジンのために書いた日記を併せて紹介した。個人結婚式レポートにとどまらない、インドの人々の暮らしや文化の断片を、少しでも楽しんでいただければ幸いだ。
◉西日本新聞に寄稿ていた『激変するインド』結婚関連の記事
*2007年から5年間に亘り、西日本新聞に月に一度、寄稿していた。以下の記事を書いた2007年と、14年後の2021年現在とでは、結婚事情もまた「激変」している。あくまでも過去のインドの記事としてご一読いただければと思う。
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