I. 序文
II. インドの頭脳流出(ブレイン・ドレイン)の背景
III. 米国におけるインド人就労者(IT関連)
IV. 米国のIT(Information Technoroly: 情報技術)業界に於けるインド人の貢献
V. インドの頭脳流出の利点と不利点
VI. インド及び米国に於けるIT業界の現状
VII. インドの新経済
VIII. 結論
【概要】
1947年に、インドが英国から独立してまもなく、インドの指導者たちは「新しい国」の地盤を築きはじめた。時の首相、ネルーは、その一環としてインド工科大学を設立、現在インド国内には6つのキャンパスがある。
インド工科大学および他の大学は優秀な学生を輩出してきたが、彼らの多くは西側諸国、特に米国に移った。この頭脳流出現象は1950年代に始まり、以降、半世紀に亘り継続している。
1990年代、カリフォルニアのシリコンバレーでIT(インフォメーション・テクノロジー)ブームが起こった。無数のインド人技術者たちが米国に、米国政府や企業もまた、彼らを快く受け入れた。
頭脳流出により、インドは優秀な若者たちを失い続けてきた。国連開発計画(UNDP)によると、インドは頭脳流出により年間20億ドル損失を被っているという。一方、インドは「IT国家」という名声を獲得した。
2000年、米国のITブームは崩壊し、多くのインド人雇用者は職を失った。帰国を余儀なくされた彼らはしかし、現在、母国の経済成長に貢献している。
現在、米国での就労経験のあるインド人は、自分たちのビジネスを起こし、ハイテク・ブームを起こしつつある。同時に米企業は低賃金で雇用できるインドにオフィスを拡張しつつある。
米国とインドが、均等に利益を得られるとしたなら、この傾向はインド経済の活性化を促すこととなるだろう。
(I. イントロダクション)
1947年、英国から独立して以来、インドは「頭脳流出(brain drain)」という深刻な現象に直面してきた。「頭脳流出とは、高度な技術を身につけた人材が母国を離れ、より高収入を得られる国へ移る現象をいう」 (Longman Dictionary)。1950年代の後半より起こり始めた頭脳流出により、インドは高学歴の優秀な人材を、米国を中心とした先進諸国に「輸出」し続けてきた。
1990年代、カリフォルニアのシリコンバレーでITブームが起こり、膨大な数のインド人技術者、専門家らが米国に移り住んだ。米議会は年々、H1Bビザ(一時就労ビザ)の発給枠を拡大し、インド人は全世界の合計発給数の20%以上を占めるようになった。「1993年には、インド国内の大学でコンピュータ・サイエンスを学んだ卒業生のうちの84%が、米国で就職、あるいは更なる高等教育を受けるために渡米した」 (Constable A23)。
2000年以降、米国のITバブルは崩壊し、インド人を含む多くの労働者が職を失った。現在、頭脳流出の逆流、つまりインド人らが帰国する兆候が現れてきた。米国での就労経験があるインド人らは、母国の、特に近年、IT産業の著しい発展で知られるバンガロールを目指して帰国を始めている。米国において職を失ったインド人らにとって、バブルの崩壊は困難な状況ではあったが、インド経済にとってはポジティブな要因となった側面がある。
インドが長期に亘る頭脳流出によって損失を被ってきたのは事実だが、インドそのものに、若く優秀な人材を引きつけるマーケットがなかったのも事実だ。一方、米国は可能性に満ちあふれた土壌があった。頭脳流出は起こるべくして起こった現象と言えるだろう。
しかしながら、この現象は今、変貌を遂げつつある。いくつかの米国企業が、インドにオフィスを拡張し、米国での就労経験があり、母国で就職することを望んでいる人々を採用しはじめたのだ。同時にインド政府や各種組織、団体も、起業家支援を開始し、米国企業や投資家を積極的に招聘しはじめた。
「頭脳流出」は最早過去の遺物となりつつある。むしろ現在の現象は「頭脳循環」と呼ばれるべきだろう。
「彼らは資金とビジネス・コンタクトを持って帰ってきている。これは実にすばらしいことだ」。ニューデリーを本拠とするソフトウェアのロビーグループNASSCOMの取締役、Dewang Mehtaは語る (CNN.com)。今、インドは積極的に起業家を支援し、ビジネスとインフラストラクチャーの基盤を整備する必要があるだろう。
(II. インドの頭脳流出の背景)
1947年にインドが英国から独立を勝ち取ったとき、国の指導者たちは新しい国の基盤・構造の整備を始めた。その中でも特筆すべき事業は、1950年代後半より着手されたインド工科大学(IIT)の設立だった。ときの首相、ネルーは、インド国内のさまざまな産業のプロジェクトを構築、運営できるエリートたちの養成を、主たる目的に掲げていた(Constable A23)。
インド政府は、デリー、チェンナイ、ボンベイ、カンプール、カラグプール、ローキー、6つの都市にそれぞれインド工科大学(IIT)を設立した。毎年10万人を超える学生らが受験するが、合格者はわずか2000人程度の狭き門である。この競争率は、米国のハーバードやスタンフォードよりも高い (CNN.com)。
しかし、ネルー元首相の思惑とは裏腹に、インド工科大学(IIT)をはじめ、Indian Institutes of Management (IIM), Regional Engineering College, Madras University, and Pune Universityといった優れた教育を行っている大学の卒業生らは、母国に何ら貢献することなく、米国へ渡っていった。この傾向は1950年代後半より顕著になり、以降半世紀以上に亘って続いてきた。
1990年代に入ると、シリコンバレーのITブームに伴い、より一段と多くのインド人技術者らが米国を目指した。すでに頭脳流出は防ぎようのない現象となっていた。インドは貧困にあえぐ発展途上国である。ビジネス基盤は極めて劣悪で、優秀な学生らを受け入れる十分な企業が、そこにはなかった。
知的で精力的な若者らが、西側諸国、特に米国を目指すのは、自然の流れだった。彼らの多くはアメリカンドリームをつかみ取ることを夢見ていた。米国は自由の象徴であり、その米国で働くことは、若者にとって極めてエキサイティングな挑戦でもあった。このような傾向は、なにもインドに限って起こったことではない。アジアの、例えば中国や台湾、韓国の学生らも、同じような理由で米国を目指してきた。
(III. 米国におけるインド人就労者)
年々、米国における永住権の獲得は困難になりつつあるが、しかし他の先進諸国と比較すると、米国は移民に対して積極的に門戸を開いてきたといえるだろう。特にインド人は、米国の企業で比較的優遇されてきた。
「毎年、世界中から何百人、何千人もの人々が米国の就労ビザを申請するが、米国の雇用者はインド人就労者に対し好意的だ。なぜなら彼らは英語を話せるし、要求も少ない。更に母国の高度な教育機関のおかげで、他の国の人々よりも優れたコンピュータに関する技量を身につけている」 (Constable A23)。
1990年代のITブームの折、米国は膨大な数のH1Bビザ(一時就労ビザ)をインド人就労者に発行した。「米議会は2000年、H1Bビザの年間発給枠を、それまでの11万5000人から19万5000人にひきあげた。そのうちの45%近くは、ここ数年、インド人によって占められている」 (Creehan 6)。
(IV. インド人労働者の、米国IT産業に於ける貢献)
米国のインド人労働者は、米国のIT産業の発展と景気の向上に貢献してきた。「インド人らは、自分たちの文化や言語、教育システムが、自分たちの数学やコンピュータのコードライティングに於ける優れた技術の背景になっていると信じている」(CNN.com)。
事実、有名なソフトウエア・アプリケーションの大半は、インド人コードライターによって制作されている 。シリコン・バレーの起業家であり、インド工科大学(IIT)の卒業生であるKanwal Rekhi氏によると、インド人の精神は哲学的で自由であり、またインドでは、数学は生活の一部であり、インド人はみな、数学者であるとのことである(CNN.com)。
(V. インド人の頭脳流出に於ける、有利な点と不利な点)
優秀なインド人が米国の企業で働いている間、彼らの母国はあがいていた。インドは優秀な人材を育成しているにもかかわらず、彼らから何ら利益を得ていなかった。「何十年にも亘り、大半のインドの頭脳が欧米に流出している事実は、納税者であるインド国民らにとって、あたかも欧米の産業に助成金を与えているようなものだとの不満があった」(Creehan 6)。
2001年に発表された国連開発計画(UNDP)の報告によると、インドはコンピュータ技術者の米国への頭脳流出により、年間20億ドル損失を被っているという(BBC News)。
確かにインドは頭脳流出によって多くの打撃を受けてきたが、同時に「IT国家」という名声を獲得するに至った。
「メイド・イン・ジャパンの電化製品が一級品であることを示すように、インド人のソフトウエア・プログラマーは一級品であるということを、シリコンバレーに於けるインド人らは、全世界に対して示した。つまりインド人のIT業界に於ける「ブランド化」を図ったともいえる」と国連開発計画(UNDP)の報告は続けている (BBC News)。
2000年、米国のITブームは急速に冷え込んだ。以来、無数のIT関連企業が倒産し、多くのインド人を含む労働者が解雇された。さらには2001年9月11日の同時多発テロは経済の冷え込みに拍車をかけた。「インド人のIT技術者が最も多く働いているカリフォルニア州のサンタ・クララでは、過去2年 [2001-02]の間に19万人の労働者が職を失った (United Press International)。
H1Bビザで働く外国人就労者が職を失った場合、それと同時にビザのステイタスも失うことになる。つまり、すぐに次なる仕事を見つけない限り、即刻、米国を離れなければならなくなる。かつては帰国を余儀なくされたインド人らは、やむを得ず帰国する、つまり悲観的なケースが多かったが、最近では自ら率先して帰国を選ぶインド人が増え始めている(United Press International)。
(VI. 現在のインドと米国におけるIT業界)
ここ数年、無数のインド人技術者は米国を去り、母国で起業し始めている。それと同時に米国の企業もインド市場に着目しはじめた。「最近、海外資本や合弁事業を優遇する方向で、インドのビジネス法が見直されたことにより、1998年に米マイクロソフト社がインドのハイデラバードに研究開発センターを開設したのを始め、多くの米IT企業が、インド進出を目論んでいる」(Constable A23)。
ソフトウエア会社のオラクルの場合、インドオフィスで新規採用した4000名の従業員のうち10%は、かつて米国で就労経験のあるインド人によって占められている(Jayadev)。
2003年7月、「シリコン・インディア・マガジン」は、シリコンバレーの心臓部であるサンタ・クララでジョブ・フェア(企業説明会)を企画した。約2000人のインド人技術者らが履歴書を持参し、インド国内に事業展開を予定している米国企業の人事採用担当者に手渡した。参加した企業は、インテル、マイクロソフト、ナショナル・セミコンダクター・カンパニーなど28の有名企業である」(Jayadev)。
「新しい投資やアイデアへの開眼により、国々が正しい環境を創造するとき、彼らは失ってきたものを奪回することができる。バンガロールの今日の成功は、つまりシリコンバレーのインド人らの存在が大きく影響している」(BBC News)。
最早、今日のインドは頭脳流出の被害者ではない。確実に至るところで、頭脳流出は逆流を始めている。いわば今日の現象は「頭脳循環: brain circulation」と呼ばれるべきで、米国のメディアもインド経済について積極的に取り上げ始めている。
たとえば2003年10月20日のニューヨークタイムズ紙では、「Sizzling Economy Revitalized India [躍進する経済がインドを再生する]」と題し、インド経済に対する楽観的な見通しを示している。またIT業界だけでなく、インドの自動車・部品産業の成長についても言及している。
同じくニューヨークタイムズは翌月にも 「Sleepy City Has High Hopes, Dreaming of High Tech [ハイテクの夢を見る……眠れる町が抱く大いなる希望]」と題した記事を掲載。IT産業のハブシティとして特筆すべきバンガロールだけでなく、Chandigarhといった小さな地方都市(町)までもが、テクノロジーの町として成長し始めている様子をレポートしている。
ニューヨークタイムズは従来、天災や貧困、疫病、奇習といった、インドに対してネガティブな記事ばかりを主に紹介していた。しかし最近は、その視点が変わりつつある。
加えて2003年の12月8日に発行されたビジネスウィークマガジンは「The Rise of India [インドの台頭]」という特集を組み、約10ページに亘って、インド経済の現状と将来の見通しを、一部、中国経済とそのバックグラウンドと比較しながら分析・紹介している。
米国議会は次年度[2003年10月~2004年9月]のH1Bビザの発給枠を、従来の19万5000人から6万5000人へ大幅に減らすことを発表した。この大きな削減は、インドと米国両方のIT業界に打撃を与えることになるだろう。
インド最大のITサービス会社、タタ・コンサルティング・サービスのCEOであるS. Ramadoraiは、しかし楽観的である。「[たとえ米国が]雇用を海外 [インド]に広げたとしても、企業はビジネスをうまく運営していけるだろう。 [...] 顧客は単に、インドにプロジェクトを送ってくれればいいのだ。それはインドのビジネスチャンスが増えることにもつながる (Einhorn)。
現在、米国の政治家や専門家らの間で話題になっているトピックスのひとつが、インドや中国で低賃金雇用を実施するアウトソーシングについてだ(Einhorn)。もしも、米国とインドの利益が均等に分配された場合、この傾向はインド経済を活気づける一つの起爆剤となりえるだろう。
「技術や才能の恩恵を被る国の利益は、他の国の犠牲の上にあると、頭からきめてかかる人が大半だろう。しかし「頭脳循環」は現在のところ、高度技術者である移民たちによって、双方に利益をもたらしている。つまり利害関係がうまく成立しているといえるだろう(Saxenian 28-31)。
(VII. インドの新経済)
21世紀の始まりとともに、インドの新世紀も開けようとしている。インドの長い歴史の中で、今は最も重要な時機であることは確かだ。今こそ、未開拓の可能性に着目すべきだろう。しかしながら、インド経済の発展には数々の障害が横たわっている。多くの懐疑派は、インド経済の将来に対して悲観的だ。
インド政府と関連機関は、ビジネス基盤の整備と、ビジネス法の制定に早急に着手するべきだろう。同時に他の根本的な問題の解決も急務だ。
たとえばインドが抱える膨大な人口(10億人超)のうち、26%は貧困にあえいでいる (Waldman A7)。またわずか65.38%というインド国民の平均識字率は、初等教育拡充の必要性を示している(Census of India, 2001)。
ハイウエイの不足もまた、産業の成長を阻む理由となっており、新設が急がれる。
事実、ボンベイとプネ間に最近完成したばかりのハイウエイは、すでにインド経済の発展に貢献している。「プネで運び込まれるソフトウエアや自動車部品などの工場製品などは、[ボンベイに移送され]、効率よく海外に輸出されるようになった。このことで、プネはインドの新しい経済都市としての地位を築き始めている(Business Week, 78)」。
ともあれ、インドは大きなチャンスを目前にしているには変わりない。国連によると、「発展途上国の挑戦は、プロフェッショナルな人材を自国に留めると同時に、帰国する人々を支援することによる」(BBC News)。
現在、欧米との関わりを持つ若きインド人のプロフェッショナルたちは、母国の新しい経済基盤の構築に貢献するため、欧米とインド間を結ぶ「橋渡し」としての役割を果たすべきだろう。
AnnaLee Saxenian. "Brain Circulation" The Brookings Review, Winter 2002. 28-31.
Avalos, George. "Foreign Technical Workers in Walnut Creek, Calif., Area Aid Home Countries" Knight Ridder Tribune Business News, 19 Apr. 2002.
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Constable, Pamera. "India's Brain Drain Eases Off" Washington Post, 14 Sept. 2000: A23.
Creehan, Sean. "Brain Strain: India's IT Crisis" Harvard International Review, Summer 2001: 6-7.
Einhorn, Bruce. "An Irresistable Offshore Tide for Jobs" Business Week Online, 19 Nov. 2003.
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Waldman, Amy. "Sizzling Economy Revitalizes India" New York Times, 20 Oct. 2003: A1.
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