思い返せば、初めてパリを訪れたのも1月だった。あれは湾岸戦争ただ中の1991年。当時、小さな広告代理店に編集者として勤めていた25歳のわたしは、某石油会社の情報誌の取材のため、外部のライター、カメラマンとともに、ドイツ取材を経て南仏へ入った。
ピレネー山脈の山麓にある街、ポーを拠点にカルカソンヌ、アンドラ王国、アルル、エクサン・プロヴァンスなどの町村を経て、コートダジュール(紺碧海岸)沿いの街へ向かって車を走らせた。
たとえ冬でも、南仏は暖かい、と言われていた。なのにその年は十数年ぶりの雪に見舞われ、カンヌも、マルセイユも、ニースも、モナコも、曇天の雪景色。
晴れやかな南仏の青空のもと、バイクを走らせているシーンを撮影する、という当初の目的は果たせず、しかし小さなビストロで味わったブイヤベースのおいしさは、忘れがたい。
南仏での取材が悪天候のためずれこんでしまい、本来は、パリで2泊する予定だったが1泊に。翌日の帰国を控えて、前日、南仏から一路、雨や雪の道のりを、北を目指したのだった。
冷たい夜、無事にパリへ到着した。ネオンに彩られたエッフェル塔や凱旋門。すでにパリを訪れたことのあったカメラマンとライターが、まるでツアーガイドのごとく、車窓からの風景を案内してくれた。
それから数年後。27歳でフリーランスのライター兼編集者になったわたしは、一年のうちに3カ月の休暇をとって旅をすると決めた。そしてその通り、翌年28歳の春、欧州放浪の旅に出たのだった。
その拠点が、パリだった。パリには友人、美砂さんがいて、彼女の家に数日間、居候をさせてもらった。
ある日、近くのマルシェで大きなアボカドを買った。たしかイスラエル産だった。それを二人で夕飯のおかずにした。醤油をかけたそのアボカドの、おいしかったこと!
そういえば、美砂さんが作ってくれたオムレツもまた、おいしかった。彼女曰く、おいしさの決め手はバターだった。ほんのりと酸味のきいた、濃厚で風味豊かなバター。それをフライパンで溶かして、ただ塩こしょうをしただけの溶き卵を焼く。
以来、フランスのバターには一目置くようになった。
日本を出発する前は、細かな旅の行程を決める時間的な余裕もなく、大ざっぱな行き先だけを考えていた。パリで旅のノートを買い、3カ月間の行程を考えた。そして3カ月間有効のユーレイルパスを携えて、列車の旅を始めたのだった。
いくつもの街を訪れ、ひたすらに歩き、安宿に身を休めた。地図、ノート、ペン、カメラ、フィルム、そして最低限の衣類と洗面具を詰め込んだ鞄ひとつで。
概ねひとりで、概ね無口で、黙々と、3カ月。当時のわたしはと言えば、なにやら辛いことも多かった。特には不毛な恋愛など。それがたいそうな反動となって、行動力に拍車がかかったようでもあった。
逆境をバネにする女。と自らを密かにそう呼んでいた。それは今でも、あまり変わらないかもしれない。
その翌年。29歳のときには、英国へ3カ月の語学留学へ行った。その帰りに、雑誌の取材でスイスやイタリアを巡り、最終的にパリへ戻って、やはり美砂さんの家にお世話になった。
尤も、彼女はそのとき、他の街へ旅行へ出るということだったから、わたしに鍵を託してくれ、何日でもいてくれていいからと、言ってくれたのだった。
だから一人で、暮らすように住んだ。2週間ほど過ごした後、仕事が待っている東京へと戻った。美砂さんが好きだという、赤ワイン、サンテミリオンをお礼に買い、部屋に残して。
最後にパリを訪れたのは、1999年のニューヨーク時代。
当時は休暇のたびに、アルヴィンドと欧州を旅した。このときは、二人でベルギーをドライヴ旅行したあと、フランスのシャンパーニュ地方、ランスに入り、ポメリーなどのセラーを訪れ、シャンパンを楽しんだ。
そのあと、ヴェルサイユ宮殿などに立ち寄って、パリへ入り、数泊滞在したのだった。アルヴィンドはそのままデリーへ里帰りをし、わたしはニューヨークへ戻った。
そう、『街の灯』の「ひまわり」の夏だ。あのとき誕生日を祝ってくれるアルヴィンドがいなかったのは、彼が里帰りをしていたから。……あれから9年もたっていたとは。
パリの初日は、センチメンタルな追憶ばかりが、心を満たしている。
●今回のパリは5泊の滞在。最初の2泊は、La Tremoilleというホテル。
シャンゼリゼ大通りと、高級ブティックが立ち並ぶモンテーニュ通りに挟まれた場所にある。
パリでは先週から、セールの時期が始まっているようだ。
そんなに買い物をするつもりではないのだが、誘惑が多そうで怖い。
すでに、ホテルのすぐ近くで、半額になっていたすてきなブラウスを購入してしまった。
●ランチはホテル近くのビストロで。軽くすませようと思ったのだが、人々が食べているステーキがおいしそうで、ついつい注文してしまう。
無造作に扱われるバケットの、そのパン屑や、ワインのシミがついた紙のテーブルクロスが、パリ。気取ったお店もいいけれど、こういうカジュアルなビストロもまた、居心地がいい。
●初日の今日は、なによりも、食べ物の様子に気を取られてしまう。食料品店のショーウインドーを、のぞきながら歩いているだけでも、楽しい。
●小雨の降るシャンゼリゼ大通り。気温はさほど低くないが、風が強くて寒い。雨宿りをするように、ブティックに立ち寄りながら、通りを散策する。
●欧州の、焼き菓子の店の、かような独特の雰囲気が本当に好き。フランスだけでなく、イタリア、スペイン、ポルトガル、オーストリア……それぞれの国の焼き菓子に、独特の歴史あり、文化あり、味わいあり……。
ところで、雰囲気のよい店や高級店では、マナー違反だと思われるので写真撮影を控えるようにしているのだが(そうは思われないだろうけれど)、あまりにも「そそる」情景だったので、素早く一枚を撮影。もちろんフラッシュは焚かずに。
●右上の写真は、サントノーレと呼ばれるスイーツ。これとタルトタタン、それから「マリー・アントワネット」という名のブレンドティーを注文した。
タルトタタン(上の大きい写真の手前に写っているどっしりとした茶色い菓子)が、最高においしかった。柔らかすぎるほどに甘いリンゴ。カラメルの染み込んだ生地と相まって、濃厚な風味が得も言われず。ほんのりと温かなそれに、サワークリームを添えて食べればまた格別で。
すでにランチを食べ過ぎていたにも関わらず、こんなにリッチなスイーツを味わい、これが最早、夕食代わりだ。マルシェで赤ワインでも買ってホテルへ戻ろう。夜はそれだけでもう、幸せだ。
●遠い過去の旅を思い出して、今回はノートにメモを記そうかと思う。
手書きで文章を書かなくなって久しく、手が速やかに動かない。
キーボードを叩くスピードの方がはるかに早いから、筆記が思いに追いつかないのだ。
けれど、急ぐことなどない。
ゆっくりと、お茶を飲みながら、この懐かしい感覚を楽しんでみよう。