米国からインドに移って変わった日常のあれこれは非常に多いが、ソーシャルライフ、つまり社交の充実もそのひとつ。米国時代はパーティを開くのも、訪れるのも、半年に一度程度。友人らと食事というのも一カ月に1、2回程度であった。
インドではドライヴァーがいて、送り迎えをしてくれるから、多少渋滞などがあるにせよ、気楽に外出できる。
マンハッタンではタクシーをつかまえれば速やかに帰宅することもできたが、ワシントンDCやカリフォルニアは自分で運転して帰らねばならず、お酒もあまり飲めない。リラックスできなかった。
尤も、わたし自身は自分一人でいるのも好きだし、アルヴィンドと二人で過ごすというのも楽しいと思っているから、そう頻繁に人と会いたいという衝動はないのだが、インドでは味わい深い出会いが少なくないので、外出が億劫ではなくなったということもある。
何度か自分の家で場を設け、何度か友人知人の家へ赴いた。
渋滞の道路を郊外へ赴く車窓から、街の表情の、目まぐるしく変化するさまを目撃する。
埃っぽく喧噪の昼間に比して、夜はネオンや看板が夕闇に映え、昼間よりもくっきりと新しい店が浮かび上がるので、街の変化がむしろ手に取るようにわかるのだ。
こんなところに、新しいスーパーマーケットが。
あのレストランは何料理だろう。
あれは新しいショッピングモール?
政府機関に勤める若者たちの帰宅風景。
このトラック、通勤バスらしい。
インドでは、このような風景が珍しくない。
危険をむしろ、楽しんでいるようにすら見える。
腕の筋力を鍛えているようにすら見える。
それにしても、青年らの、すらりと伸びた四肢の美しさ。
ところで、毎月第二火曜日に、PWG (Professional Women's Club)の集いが持たれる。
今月は、我が家がホストとなってミーティングを催した。
PWGとは、OWC (Overseas Women's Club)の会員だが、毎週木曜日朝のCoffee Morningには参加できない仕事で忙しい女性たちのためのクラブ。
ただ集まってネットワークを広げるだけでなく、毎回、ゲストスピーカーを招いてのレクチャーも行われる。今回は、インド哲学を通して、インド文化やインドの人々の精神、考え方を探る、というもの。
自国の常識や価値観を押し通していては、この国では決してうまくいかない。無論、この国に限らずいかなる異国においてもそれは言えるが、この国は殊更に、うまくいかない。
そのことは、ここで働く、いや生活をした経験のある人なら、だれもが味う苦みである。広大なインドを、さらにはひとくくりに語ることはできず、たとえばここ南インドには、南インド独特の文化がある。
それぞれが、自分たちの経験を披露しながら、日々、目前に現れる障壁を「いかに乗り越えて行くか」を語り合う。
PWGのいいところは、会合の空気がいつも「前向き」なことだ。OWCのCoffee Morningでは、あいにく不満を交換し合うばかりの人たちも少なくない。
インド人への文句。ドライヴァーへの不満。メイドへの怒り。インフラの悪さへの嘆き。レストランのまずさ……。堂々巡りの憂鬱である。
しかし、PWGの人々は、不満が少ない。不満よりもむしろ困惑で、その困惑をいかに解決するかを模索している。
彼女たちの多くは、多分、自分たちがこの国に住むことで受けている恩恵についてを自覚している。インド以外の国々への居住経験者も少なくない。
自分たちが、この国で仕事を「してやっている」のではなく、「させてもらっている」という意識があるとないとでは、多分、視点が異なる。
この会合では、「インド人が」「インドが」という枕詞付きで、忌々しげに語る人を見たことがない。そんな次第で、わたしはこの会合を気に入っている。
さて、今年に入り、早くも2週間が過ぎようとしている。
ここに日々を綴らない間にも、インドは日を追うごとに、よくも悪くも、変化している。わたし自身も、わたしを取り巻く人々も。
そういえば先日、好ましくない変化があった。
いきつけだったアーユルヴェーダのスパ (Grand AshokのRejuve)。先日久しぶりに赴いたら、何かが違った。エステティシャンは同じなのに、なにか「心地よさ」が足りない。
館内の雰囲気も、何かが違う。些細なサーヴィスの、しかし不手際がいくつかみられた。おかしい。
スパ全体をマネジメントしているはずのドクター・グプタに、新年の挨拶も兼ねてお会いして様子を尋ねようと思ったところ、見慣れない男性が「わたしがマネージャーです」と言って現れた。聞けばドクターは辞めてしまったのだという。
とてもいいドクターで、アドヴァイスもやさしく的確で、母も随分お世話になったのに……残念極まりない。
わたしにとっては、居心地のよいスパだったのだが、ドクター・グプタがいなくては、もう魅力が半減である。今後、行くことはないだろう。
また、新しい場所を見つけなければ。