ようやく、束になっていたレポート作りの仕事を完了した。今週中にあと原稿を2本書き上げれば、週末はゆっくりと過ごし、月曜日は晴れて日本へ出発だ。
アルヴィンド(夫)の日本への入国ヴィザ(査証)は、無事に取得することができた。ひと安心だ。
「ああ、おいしい寿司が食べられる!」
と数日前から、日本の話題が出るたびにご機嫌だ。だからあなたは、なに人なのですか? という話だ。
「僕は、前世のうち、少なくとも一度は日本人だったに違いない。そしてミホは、インド人だったに違いない」
と、巧みに箸を使いながら夕餉を食する夫。深く頷く妻。
さて、彼の訪日が確定したので、わたしの予定も若干延長し、2週間強の滞在にした。2週間以上もあれば、ゆっくりできそうだと思っていたのだが、予定を入れ始めると、なんだか日数が少なく感じるから不思議。
11月17日の便でムンバイを発ち、成田経由で18日の午後、福岡着。
19日は、午後、衣類(冬対策)や靴のなどあれこれ調達。そしてヘアカット。夜は高校時代の友人らと再会。
20日は、午後、西日本新聞などクライアントへの訪問。
21日は、早朝の列車で熊本へ。隔週でインドをレポートをしているFM熊本まで、ご挨拶&収録に参上。
22日はアルヴィンドが香港から福岡入り。「週末だけ滞在しよう」のはずが、「せっかくだから休暇を取ろう」と、結局は1週間、滞在することになった。夜は家族そろって寿司ディナー!
23日、24日と続く連休は家族で過ごす。妹おすすめの「串カツディナー」も組み込まれている。
25日から28日までは、アルヴィンドの強い希望により、3泊4日で京都あたりへ旅行へ行く予定。紅葉の季節だし、連休明けだし、時期としてはいいと思うのだが、これはまだ下調べをしていない。週末にでも、計画を練ろうと思う。
彼とはすでに、京都へは2回も行っているのだが、お気に入りの三十三間堂や金閣寺やバッテラや祇園(先斗町)関係は、はずせないらしい。龍安寺は、もう行かなくていいらしい。銀閣寺、清水寺はどうする? と考え中らしい。
京都から戻って翌日の29日は、アルヴィンドが一足先にムンバイへ戻るので、空港まで見送り。
30日は、大学時代の友人や知人との会合。
12月1日は母校の香椎高校へ。校長先生及び同窓会に勤務されている方とランチ。
12月2日、3日は予備日。現在、連絡待ちの件も含め、ミーティングや買い物などで過ごすことになりそうだ。
そして翌4日にはインドに戻るべく、早朝福岡を出て、成田経由でムンバイへ。ちなみにこの全日空便は全席ビジネスの小型飛行機ゆえ、一旦、日本最西端な長崎で給油して、ムンバイへ直行するらしい。行ったり来たりな感じである。
と、ざっと決まっているだけでこんな感じだ。なんてことを、ここにいちいちレポートすることもないのだが、書いていると、なんだか気分が盛り上がって来た。
とはいえ、ぎっしりと予定を入れると疲れるので、適度に快適さを保ちつつ、行動したいと思っている。旅行中というのは、予定を詰め込みすぎて疲労困憊してしまうのが常なので。何より食べ過ぎに気をつけねば!
ところで今回、とても楽しみにしていることの一つに、到着翌日の「散髪」がある。そう。ヘアサロンに行くのだ。日本で髪を切るのは、1996年の渡米前以来のことで、実に12年以上ぶり。
米国時代初期の、わが経済恐慌時代は、リーズナブルな地元のヘアサロンに通っては、ひどい目にあっていた。それがたとえニューヨークでも、洗練されていない店は、はさみを使わず「バリカン」で、カットしたりするのだ。
日本時代は常に「刈り上げ含むベリーショート」が常だったわたしが、髪を伸ばし始めたのは、当時出会ったばかりのアルヴィンドから「懇願された」こともあるが、散髪頻度を減らしたいがためという理由もなかったわけではない。
話がそれたが、米国の一般的ヘアサロン。カットばかりか、シャンプーもまた、ワイルドだ。顔に水がかかろうが、首筋に水が流れ込もうが、洗面台に載せた首がもげそうに(ちぎれそうに)痛くなろうが、おかまいなしである。
やがて、ミューズ・パブリッシングのビジネスが軌道に乗り、経済的に余裕ができたころから日本人が経営する美容院に通うようになった。状況は劇的に好転したた。しかし、ワシントンDC時代は、やはり地元のサロンに何度かお世話になり、そのたびにアグレッシヴなサーヴィスを受けていた。
そんな雑なサーヴィスにも、すっかり慣れてしまった。
インドに来てからは、半年ごとの渡米時に、主にはニューヨークで行きつけのIZUMI SALONに通っていたが、最後に切ったのは半年前のこと。今回、米国には行かず、日本に行くことにしたわけで、つまりはついに、日本で髪を切る好機を得たわけだ。
ちなみにムンバイにもいいヘアサロンはあるようだ。先日はフォーシーズンズホテルに英国のなんたらとかいう有名サロンの技術を提供するサロンがオープンした。そこに行ってみようかと思ったが、料金表を見れば、愕然とするほど値段が高い。インドにしては、ではなく、先進国にしても、高い。
とはいえ、滅多に切るわけじゃないし、帰国前に切っていこうかとも考えたが、しかし愕然とするほど高い上に「失敗作」となるのはいやだ。わざわざ限られた滞在時に時間の無駄かとも思えたが、しかし無難に日本で切ることにした次第。
さて、最近の我が髪はといえば、バサバサと伸び放題。見ようによっては「ゴージャス」だが、見ようによっては「ヤマンバ的」である。それは同時に「インドマダム的」でもある。
ところでわたしの後頭部は「絶壁」だ。だから、絶壁を隠すべくふんわりと見せる「テク」をなんとしても、お願いしたいところ。これはしかし、インドの、米国のスタイリストには、難しい願いである。
なぜなら、一般的な米国人、一般的なインド人に「絶壁は存在しない」からだ。
みな、後頭部を撫でてみたくなるほど、きれいな曲線を描いた形をしている。同じ人間なのに、どえらい違いだ。ううぅ。うらやましい。
マイハニー(夫)にしても、おでこも、後頭部も、見事に形よい曲線を描いている。手のひらで包み込める感じの、いい塩梅の曲線。一方、わたしの後頭部はつかみどころがない。かわいげがない。……とまあ、そう自虐的になることもないだろう。
そんな次第で、ともかくは日本の美容院に行けるのが楽しみなのだ。で、どの美容院に行くかといえば、インターネットで検索した結果、天神西通りにあるAVEDAのプロダクツを扱うサロンに決めた。
この際、そこが評判のいい店か否かなど、細かいことにはこだわらない。インドで適当な店を選ぶよりは、間違いなくいいはずだ。
AVEDAの自然派商品は米国時代、よく使っていてなじみがある。カットのついでに、ナチュラルプロダクツによる地肌と髪のトリートメントもしてもらうことにした。
「どこか、かゆいところなどは、ありませんか?」
な〜んて尋ねられたら、どうしよう!
「あ、ちょっと耳の後ろのところ、もう少し、すすいでもらえますか?」
な〜んて答えたりして。うふふ。
なにがうふふだ。
ともかくは、12年ぶりの日本の散髪。楽しみだ。
日本での楽しみ。それは日本ならではのものを調達することだ。わがジャーナルノートと一隅には、お買い物リストがしたためられている。
体重計(体脂肪などをチェックできるもの)、ICレコーダー(音声を録音する機械)、電子辞書(軽くて賢いもの)、デジタルカメラなどなど。
それに加えて衣類。このところ日本ではやっているというスパッツ、いやエリンギ、いやレギンスを調達してみたい。レギンスは、インド服のトップに非常に好適だということに気づいたのだ。
それから、下着や靴なども、自分の体型にフィットするものを入手したいところだ。ただ、日本はサイズが小さいのが難。靴は最近、大きい人も増えたから、24.5センチでも結構あると思うのだが、かつては、少なかったものだ。
それに、日本の衣類は、全部「お子様サイズ?」みたいな小ささだし。米国で巨大サイズの人間や衣類を見慣れている身には、毎度、衝撃的なほどである。そういえば、大きいレギンスって、あるんだろうか。伸縮性があるから大丈夫だろうか。
ああ、今の日本がさっぱりわからない。
あと、忘れちゃならぬのが、書籍類。大量購入で船便という手もあるだろう。
それから大事な食料品。米国で買っておいた米もそろそろ切れるころ。日本米を調達しておかねば。農薬やらカビに汚染されていないやつを。良質の醤油とみそ。それ以外は、ノリとか、だし昆布とか、鰹節、とか軽いもの系か。
インドの食材で、さほど苦労なく、日本料理を含め、好みの味を実現できているので、持ち帰れない刺身や寿司系を食べだめておくのが優先であろう。
それにしても、日本滞在中、ドライヴァーもいないし、メイドもいないし、そういう生活に、耐えられるのだろうか、わたしったら。インドですっかり横柄なマダム化しつつある自分を「軌道修正」する意味でも、定期的な帰国は必要なのかもしれない。
ところで、今回、気になったことがある。
久しぶりに福岡へ帰省することをして、友人知人らがメールで「帰福」という言葉を用いていることに、新鮮味とも違和感ともつかぬ印象を受けたのだ。これは日本全国に亘って、一般的な表現なのだろか。
と思っていた矢先、熊本在住の知人のメールにも、「帰熊」という表現が見られた。熊。熊に帰る。特に理由はないが、ちょっと笑える。失礼。
とあらばやはり、他県でもこの表現方法を使用しているのだろうか。
鹿児島の人は「帰鹿」なのか。なんだか日本酒の名前みたいじゃないか。
鳥取の人は「帰鳥」なのか。なんだか「焼鳥」みたいな字面じゃないか。
長崎の人は「帰長」なのか。なんと読めばいいのか。キチョウ、なのか。キナガなのか。まさかキオサというひねりはあるまい。それにしても「婦長」に字面が似すぎているではないか。
神奈川の人は「帰神」なのか。なんだか神々しいじゃないか。
愛知の人は「帰愛」なのか。「愛に帰る」だなんて、美しいじゃないか。それは愛媛県にしても同じことじゃないか。
日本全国で、このような使われ方をしているのだろうか。興味深いところだ。
久々の日本帰国を前にして、普段使わない脳みその一部分が、無駄に活性化しているような気がする。今日はアーユルヴェーダのマッサージについてを書こうと思っていたはずなのだが……。
そろそろ、寝た方がよさそうだ。