数日前に記した通り、今回の原稿は、要点をまとめるのに苦心した。削除すべき箇所については、今回、担当編集者のアドヴァイスを仰いだ。削除直前の、それでも結構絞り込んだ状態の原稿を残していたので、ここに掲載する。
■『激変するインド』ムンバイ同時多発テロについての原稿、入稿直前の未削除分
2001年9月11日、わたしが住むニューヨークと、夫が住むワシントンDCが、同時多発テロの舞台となった。テロ後も次なる攻撃の噂が絶えず、国全体が不穏な空気に包まれていた。
「いつも通りの生活をしましょう。それがテロに屈しないという意思表示になります」
時のニューヨーク市長ジュリアーニ氏の言葉に共感しつつも、感情的になりがちだったわたしに比べ、夫は冷静だった。その理由を問うたとき、彼は淡々と話し始めた。
「米国で起こったテロは、世界中に知れ渡る。でもインドではずっと昔から、何度もテロが起こっては、罪のない多くの人々が殺されているんだ。海外のメディアはとりあげないから、知られていないだけなんだよ」
日本の約10倍の国土に、約10倍、つまり10億を超える人々が暮らすインド。地方により言語や習慣や文化が異なるのに加え、著しい階級差、貧富の差が存在する。また、ヒンドゥー教を筆頭に、イスラム教、キリスト教、シク教、仏教、ジャイナ教など、宗教もさまざまだ。
まるで異国が共存しているような多様性に満ちたインドにおいて、イデオロギーの違いに端を発するいさかいが起こることは、想像に難くない。
インドで起こるテロは、国内の各宗教過激派によるものと、海外(主にはパキスタン)のイスラム過激派によるものとがあり、その根源は複雑だ。
久しい英国統治時代を経て、1947年に独立したとき、ヒンドゥー教を国教とするインドと、イスラム教を国教とするパキスタンとに分断された。両国の国境そばに位置するカシミール地方の統治やバングラデシュの独立を巡って、印パはこれまで三たび戦火を交えている。テロが起こるたび、両国間の緊張が高まる状態だ。
先月下旬、われわれ夫婦は数年ぶりに日本を訪れ、紅葉を楽しんでいた。27日の朝、テレビを見て愕然とした。いつもムンバイの自宅の窓から眺めているタージマハル・パレス&タワーホテルから、煙が上がっているではないか!
夫のオフィスの目前にあるオベロイ及びトライデント・ホテルでも、テロリストとの銃撃戦が展開されているという。いずれのホテルもわが家の近所にあり、食事や買い物にしばしば利用している場所だ。
従来、インドでのテロといえば、鉄道やバス、商店街などが標的となることが多く、中流層以下の庶民が犠牲となってきた。2006年にはやはりムンバイで通勤電車を標的とした同時爆弾テロが起こり、約200人が命を落としている。
今回のテロはしかし、従来のような爆弾テロ、自爆テロとは異なり、戦場さながらの銃撃戦が展開された。加えて政治や経済を動かす富裕層らも利用する場所で起こり、外国人も被害に遭ったことから、世界各地へ大々的に報道されるに至った。
ホテルをはじめ、駅、映画館、飲食店などで、外国人を含む170人以上が殺害され、約300人が負傷した今回のテロは、パキスタンの関与が疑われているが、未だ確証はない。
国内においては、インド政府のテロ対策の甘さや警察当局の仕切りの杜撰さが指摘されるなど、不満が噴出している。また、印パの関係悪化や、インド国内における宗教間の軋轢もまた懸念される。
特殊な訓練を受けたと見られる今回のテロリストたちの出自は、イスラム過激派だと見られているが、言うまでもなく、過激派とはごくごく一部の道に外れた人々である。
一般のイスラム教徒たちが偏見を持たれたり、傷つけられるようなことがあっては、更なる悲劇を生むばかりだ。不毛な憎悪の連鎖を食い止めるためにも、個人レベルでの他者への理解や協調の重要性をも痛感する。
さて今回、標的の一つとなったタージマハル・ホテルは、インド最大の商都ムンバイにおけるビジネスや社交の中心地だ。財界人のパーティや国際的なイベントが開かれ、海外要人を迎え入れるなど、単なる高級ホテルには留まらない重要な存在感を放っている。
このホテルは、インドの大財閥タタの創業者、ジャムセジ・タタによって1903年に設立された。英国統治下にありながら、成功を収めていた晩年のあるとき、しかし彼はムンバイの高級ホテルで、インド人であることを理由に入館を拒まれる。
その屈辱を機にホテル建設を決意し、当時最先端の設備を備えたこのホテルを完成させたのだった。すなわちタージマハル・ホテルとは、インド人の誇りの象徴でもあるのだ。
12月21日の夜、部屋の窓から、1カ月ぶりにライトアップされたタージマハル・ホテルの姿が見えた。被害の少なかった新館が営業を再開したのだ。多くの従業員とゲスト、そして妻と二人の子供を失いながらも、再開に向けて果敢に指揮をとる支配人カランビール・カン氏の姿には、多くの人々が心を打たれた。同日、トライデント・ホテルもまた営業を再開した。
土地の人や観光客でいつもにぎわっているレオポルド・カフェも今回、テロの標的となったが、数日後には営業を再開した。買い物帰りに立ち寄り、いつものようにビールを注文したが、ガラス窓に残された弾痕に、現実を認識した。帰りしな、殺された従業員家族への募金箱に寄付金を捧げて店を出た。
テロを機に海外からの渡航自粛が相次いでいるが、しかしここは戦場ではない。いつも通り、人々は喜怒哀楽も豊かに、それぞれの生活習慣に従って、生き生きと、生きている。インド人に嫁ぎ、インドに住む者として、わたしもまた臆することなく、この国での生活を営んでいこうと思うのだ。