「僕も、カシミール、行こうかな」
「は? 何言ってるの? 明日の朝、早いんだから、寝せて。おやすみ」
「僕、本気なんだけど。月曜のプレゼンの準備が早めに終わったし、スリナガールだけでも行きたいな。明日、デヴィカに聞いてくれる?」
1カ月前に誘った時には、「工芸品? 興味ない」と、関心を示さなかったくせに、何を今更この男は。
多分、ここ数日、「妻がカシミールに行く」と周囲に言った際、色々な人から、「なぜ一緒に行かないのか」と尋ねられ、心が揺らいでいたのだろう。
「3泊だけでも、十分だと思うんだよ」
そら、十分かもしれんが、この期に及んで、どの口がそれを言う。
せっかくの、今までにない旅の形を楽しもうとしている矢先に、話をややこしくせんといて。
しかも妻は、自炊不可能な夫のため、不在中の1週間分の食料を作り、冷凍保存さえしているのに。
そんなことは、どうでもいいといえばどうでもいいが、しかし、やはり「今更」である。
さて、翌朝6月27日(水)。8時45分バンガロール発のスパイスジェットに搭乗する。2時間半かけてニューデリーまで飛び、そのまま同じ便でスリナガールへと向かう。
予定よりやや遅れ、午後2時にスリナガールの空港に到着した。着陸前の機内からは、深い青空、そして雪をいただく山々が見渡され、それだけで心が湧き立つ。
スリナガールは、山と湖と川の街。中でも、もっとも広いダル湖には、いくつものボートハウスがあり、観光客の宿となっている。
途中で、スリナガールを案内してくれるレヌカと、その友人の男性、アビールと合流。二人の案内で、湖の中でも静かで景観のいい場所にあるボートハウスにチェックインすることになった。
ボートに揺られながら、対岸にあるボートハウスを目指す。それにしても、暑い。カシミールは夏期でも気温はさほど上がらないのが常らしいが、今年は記録的に暑いらしい。
「バンガロールよりも暑いね」と、同行者たちと口々に語らいつつも、その眺めのよさに心を洗われる思いだ。
そんな矢先、
「僕、これからデリーに飛ぶから。パパのところ(実家)に一泊して、明日の朝、スリナガールに向かうよ」
と、夫から電話。確かに空港で、一応デヴィカに確認し、「合流、ノープロブレム」の旨は一応告げておいたが、まさか本気で来るとは……。
こうしてさらっと書いてはいるが、実は電話でのやりとりだけで、いろいろあった。いろいろあったが、もうそのあたりには触れまい。
木造のボートハウスは、外観の彫刻の意匠も味わい深く、なんとも風情がある。船内のインテリアもまたチャーミングだ。
ハウスボートは岸に固定してあるので、よほど強い風が吹いて波が揺れない限りは、さほどの揺れを感じない。設備は最低限だが、カシミールの刺繍が施されたカーテンやベッドカヴァーなどが愛らしい。
今夜、ここに1泊し、明日は別のホテルに移動する。
チェックインをすませるやいなや、お待ちかねのランチ。何がうれしいって、この青菜! 以前、バンガロールのホテル、ITC Windsorでカシミリフードのフェアがあった際、初めて食べて気に入ったのがこの野菜。
現地ではハーク (Haaq/ Haak)と呼ばれるホウレンソウに似た野菜。ケールと同じだという人もいる。
これを初めて食べたとき、「懐かしい味!」と思った。
小松菜、もしくはかつお菜にそっくりの味なのだ。なぜ「もしくは」なのかと言えば、小松菜とかつお菜、どっちがどの味だったか、よく思い出せないのである。
今調べてみたら、かつお菜とは、福岡の伝統野菜のよう。全国区ではないので、知らない方も多いかもしれない。
ケールもかつお菜もアブラナ科の野菜なので、このハークもきっと、その仲間に違いない。ともかく、この野菜がおいしくて、いきなり幸せだ。
スリナガールにいくつかあるムガール帝国時代の公園。その一つであるシャリマー庭園 (Heritage Mughal Garden Shalimar)を訪れる。
夕暮れ時の心地よい風を受けながら、色鮮やかな花々を眺め、緑を仰ぎ、ムガール帝国時代の建築物の名残を眺めしあと、芝生に座って、同行者と語り合う。
ツアーの参加者は、わたしたちと同時期に米国からバンガロールへ移住したインド系米国人のキラン、英国人駐在員夫人で元ナースのカレン、そしてケララ出身インド人夫婦と双子の4歳男児の家族そしてわたし、という構成。
この小人数でも5日間、いろいろあったのだから、大人数のツアーとは、そしてそれをコーディネートする添乗員とは、どれほど大変な仕事だろうか……と思わされる旅でもあった。
仕事での視察旅行のアテンドやコーディネーションには仕事柄、慣れているが、こういうプライヴェートの旅行、しかも子ども同伴。たまらんな、と思うこと、多々あったが、それもいい経験である。
さて、翌日からは、いよいよ手工芸品を作る現場を訪問だ。