出会って16年。かなりの歳月が流れたが、しかしどんなに月日を重ねても、善くも悪くも退屈させられることのない、わが夫の存在感。
彼との出会いがわたしをこの国に導いてくれたことには違いなく、今がそれなりに楽しいと思える日々を送っている人生。縁、出会いとは、本当に不思議なものである。
ここ数日、仕事が重なり、その上、2週間ぶりに「サロン・ド・ミューズ」をオープンしたりして、旅の記録が中断していた。
備忘録として、どうしても残しておきたく、もう数日、カシミール旅の余韻にお付き合いいただければと思う。
【夢現(ゆめうつつ)。睡蓮浮かびし湖上を、舟で渡る朝】
6月28日(木)。前日に引き続き、この日も早朝起床。湖上市場の見学のためだ。
結論からいうと「早く起き過ぎ」だったのだが、レヌカが見逃してはならないからと、見学希望者には4時に起床するよう、促していたのだ。
まだ夜が空けぬ暗闇に包まれた湖面を、ボートで緩やかに滑ってゆく。やがて、村にほど近い場所にたどり着くころ、空が白み始めた。
小さな村の近くであるせいか、さほど多くの船は見られず。こればかりは、ボートハウスが連立する賑やかな湖畔の市場を訪れた方がよかったかもしれない。
それでも、野菜や花を摘んだボートが行き交うのを眺め、チョコレートやビスケットを売るボートでおやつを買い求めたりと、楽しいひとときであった。
それにしても、高地に咲く花の、なんと可憐で愛らしく、やさしい色合いであることか。どの花を組み合わせも、味わい深いアレンジメントになりそうな風情。
いや、ボートそのものがすでに、麗しきアレンジメントである。
さて、夜が空けてまもない湖面を、再びボートハウス目指して滑り行く。湖面が鏡面のごとく艶やかに、空を映し出している。
無数の睡蓮の葉が浮かぶあたりを、その葉をかき分けるようにして進む時の、なんともいえぬ、夢現な感じ。惜しむらくは、薄黄色の睡蓮の花が、まだ蕾だったこと。
せめてあと1時間後であれば、満開の中を行けたことだろう。次に訪れるときには、再びここで、満開の睡蓮を眺めたいものである。
宿へ戻り、朝食をすませた後、チェックアウト。決して「快適!」とは言い難いボートハウスであるが、しかし、家庭料理はおいしく、オーナーのフレンドリーなやさしさに打たれた。
朝食のオムレツは、庭で飼っている鶏の卵から作られていて、その黄身の色の鮮やかさにも驚いた。もちろん、とてもおいしかった。
さて、ボートハウスを出た我々は、手工芸品の工房がある町外れの村を目指す。行き交う人々の顔立ち、独特の建築物をみるにつけ、ここは異国だ、と思う。
空の青さと、村から漂う空気が、スペインとフランスの国境あたりの、ピレネー山脈を思い出させる。光と陰の陰影もまた。
今でこそ、レンガとコンクリートを用いた建築物が増えているが、これは「昨今の趨勢」らしい。そもそもカシミールの伝統的な建築物とは、木造なのだとのこと。
一見、不安定に見えるこのような構造の建物を、多く見かけた。また、光を多く採るために、あちこちに窓を付けている家も多い。
カシミールは他のインドの地域と異なり、冬が長い。寒い冬のあいだ、部屋で工芸品作りを行うにも、光が必要なのだ。
さて、最初に訪れたのは、シルクカーペットの工房。この写真は、縦糸、横糸ともにシルク製。カシミールの絨毯は、素材や柄はもちろんだが、その「ノット」の多さ、つまり目がより細かい方が高級とされている。
インドに移住当初、近所にあったカシミール製品の専門店へよく出入りしていた。そこで働く好青年なエイジャズ(今はマイソールに移転)を通して、わたしはカシミールのことを学んだものだ。
彼の店でカーペットについても学び、そして購入した。パシュミナヤギのこと、糸紡ぎのこと、カシミリ・カワティのこと、ジュエリーのこと……。
日本の家族や友人らをつれて、その店をよく訪れたものだ。わたしがテレビ出演した時にも、彼の店を訪れ「カーペット選び」のシーンを撮影してもらったものである。
また、彼はときどき、知り合いが作るカシミール料理を我が家に手配してくれた。その料理のおいしさが忘れ難く、わたしにとっては、エイジャズがカシミールに開く窓のような存在だった。
ちなみに彼とは現在、「Facebook友」であり、今回の旅の写真についても、コメントを寄せてくれた。
下記、過去のブログの一部リンクをはっておく。ストールを広げているのがエイジャズだ。記事には店の情報を記しているが、すでにこの店はなくなっているのでご注意を。
■カシミールの山岳地帯に思いを馳せつつ、パシュミナストールを求める。
※ついでに書き添えておくが、わたしはこのブログでは、基本的に店舗情報を掲載していない。過去、ガイドブックの編集者を経験している立場上、電話番号や住所の間違いは、ときに大変なトラブルのもとになることを痛感しているからだ。
そもそもこのブログは個人の趣味で書いていることで、仕事ではない。読者の便宜を図りすぎる必要はないと思っている。店舗に興味のある方は、ネットで検索すれば見つかる場合が多々ある。
さらに、インドに関して言えば、上記の記事のように、店舗の栄枯盛衰が激しく、情報がたちまち古くなる。過去をさかのぼって改訂するのは困難だ。
このほかにも、まだ理由があるのだが、とりあえず上記のような理由で店舗情報を記していないということを、説明しておく次第だ。
左上の写真。右側では、縦糸、横糸、絹。左側では縦糸が綿で横糸が絹のカーペットを織っているところ。
縦糸に横糸を八の字を書くように引っ掛けたあと、櫛のようなものでトントンと目を揃え、糸を切る。その作業の繰り返し。
ノットの数は、ここでは1インチあたり30×30、すなわち900を超える緻密なカーペットを作っているらしい。我が家で購入したカーペット(といっても、小ぶりで、壁に架けている)のノット数も、900を超えている。
右上の写真は、パターンを記す記号(文字)が記された紙。
上の写真、くっきりと見えているのは「裏面」で、もさもさとしているのが「表面」だ。カーペットができ上がった後、表面をハサミできれいに切りそろえるのである。
作業の手を休めて、織り機から作業中のカーペットをとりはずし、見せてくれた。これが、裏面。裏から見ても、十分に美しいのである。
床に敷いているカーペットは、パーティの時など、人々が大勢来て、カーペットをよく吟味せず、踏みつけられる可能性が高い場合は、裏返しにしておくといいよ、とエイジャズが教えてくれたものだ。
裏からでも、十分に美しい故、そのアドヴァイスに納得した。もっとも我が家では、職人が9カ月かけて織り上げた「芸術品」を床に敷くのが惜しくて、壁にかけているのだが。
本来は、全部織り上がってのちのハサミだが、作業の工程を、間近でしつこく凝視しているわたしに、職人さんが、切っているところを見せてくれたのだった。
触ると、すべすべ、滑らか〜。である。幸せな触感!
この職人さん。作業の手を休めて、フッカーを吸っているところ。フッカーとは水タバコ。イスラム圏で非常に一般的な喫煙具である。
煙草の葉には、スパイスやフルーツ、花などの香りづけがされている。インドでは、フッカーを備えている喫茶店やバーなども見られる。
さて、次はパシュミナ織りの工房見学だ。夏でも肌寒いはずのカシミール。今日も本当に暑い。道を行き交う人々の顔が、本当に違う。目の色が澄んだ人も多く。
ところで右上の写真。これが、わが愛すべき野菜、ハークである。これ、バンガロールでも育てられないかしら、と真剣に思っているところだ。
カシミールでは、素朴なベーカリーをあちこちで見かけた。その素朴さが、何とも言えぬ風情を漂わせており、近寄らずにはいられない。
タンドールのような釜で焼く、ベーグルのような見た目のパン。ナンと同じ要領で、底に炭火が焚かれた釜の内壁に、ペタッとはりつけて焼くのである。
今回は、ツアーだった故、自由行動もままならなかったが、次回はスリナガールの町中のベーカリー探検をしたいと思っている。
なにしろ、ビスケットやパウンドケーキ風の焼き菓子が、本当においしいのだ。バターが多用されているものもあり、食べ過ぎは危険だが、ともあれ、おいしい。
さて、こちらはパシュミナ・ショール。カニ (Kani)と呼ばれる伝統的なワークだ。
パターンが描かれた図案を見ながら、無数の色の糸を交差させつつ、織り上げてゆく。
伝統工芸を引き継ぐ世代が少なく、これらが廃れることが懸念されているとのことだが、青年の姿も見られ、ささやかに安心する。
こちらはシンプルな白い糸に、金糸(ザリ)で模様を入れながら織り上げている。こういうシンプルなものが、実は使い勝手がよい。
パシュミナの糸は非常に繊細でもろいので、織る前に糊付してコーティングする。織っている最中はだから、ごわごわとした肌触りなのだ。
織り上がった後に洗い、そのフワフワとした感触が誕生するのだ。
パシュミナ織りの作業をひとしきり見学した後、今度は「糸紡ぎ」の見学。パシュミナヤギ、といっても、白やグレイ、アイボリーなど、微妙に色が異なる。
そもそも、高地に暮らす野生のヤギの、毛が生え変わる時に抜けた毛を集めて紡いだものがパシュミナとされていたようだが、現在は野生種のものを商品にすることは法律で禁止されている。
最高級なのは、ヤギのあごのあたりの毛、らしい。
家畜としてのヤギから集められた毛を、このような塊で買い取る。そのごわごわとした毛をほぐし、細くてやわらかな毛(フリース)部分を取り出し、それを紡ぐ。
その細さ、髪の毛よりもずっと細く、クモの糸のようである。
左上は5gの毛。これを60ルピーで買い取る。彼女はフルタイムではなく、内職として糸紡ぎをしており、1日時4時間程度の作業。2週間かけて紡ぎ終える。
右上が、5g分が紡がれた糸。紡ぎ手によって、その長さは異なる。長ければ長いほど、よい。ちなみに5gが0.5〜1マイルもの長さになるという。
でもって、彼女は腕がいいので、1マイル近くまで紡ぐことができるとのこと。この糸は、150〜180ルピーで売られる。即ち100ルピー前後の利益。
2週間の内職で、200円未満の収入という計算。フルタイムなら1週間。フルタイムで1カ月、糸を紡ぎ続けて得られる利益が1000円に満たない。
いろいろなことが頭を渦巻き、ひと言で語り得ない。
この子らが大きくなるころに、この「伝統的な製法による、手工芸としてのパシュミナ」はどうなっていることだろう。
中国産の安価なパシュミナが世界に出回っている昨今。この、手づくりの有り難みを理解し、手に入れようと思う人たちのもとに、どれほど流通できるのか。
別の工房では、イヤフォンで音楽を聴きながら、身体をリズムに乗せつつ、パシュミナを織る青年。多くの若者が、村を捨て、街に働きに出る昨今。
彼らのような存在が、この伝統工芸を守る支えなのである。
今回の旅の間、いくつかの手工芸品の工房で、日本の人たちと取引がしたい、というオーナーの声を聞いた。デザイン、サイズ、価格帯……彼らはフレキシブルに対応するという。
インドの伝統的なストールにしろ、ショールにしろ、日本人にはサイズが大きすぎたり、中途半端だったり、というものもある。
また、刺繍が凝りすぎていたり、色が鮮やかすぎたり、といったこともある。そのあたりの、日本人のテイストを加味しながら、彼らが日本のマーケットに入り込む余地は、多分、明らかにあるだろう。
それをしている人もあるだろうが、しかし、カシミールの工房まで足しげく通い、買い付けや取引をしている人は、決して多くはないだろう。
ともかく、肌触りがいい。
この上質なストールや、ショールが、いかに使い心地がいいかは、すでに実証済みである。
軽くてコンパクトだから、旅行などに持参しやすい。
軽いのにしかし、身体に羽織るだけで、驚くほどの温もりに包まれる。
若い人にはもちろん、高齢の人たちには、冬を凌ぐために日常的に使って欲しい商品である。
わたしも母に、何枚かを贈ったが、タンスの肥やしにするのではなく、気軽に使って欲しいと伝えている。
洗濯には、合成洗剤ではなく、天然素材のシャンプーなどを使う。軽く洗って軽く絞り、陰干しすればノープロブレム。
わたしも5年ほど前、エイジャズの店で買った、ナチュラルカラーのパシュミナストールを愛用。ニューヨークや日本へ行く際に持参している。
頻用は問題ないが、パシュミナの糸は繊細で切れやすいので、引っ張ったり、ひっかけたりには気をつけるべし。
以下、過去に記したパシュミナ関連の記事のリンクをはっておく。
何気に溶け込んでいるこの男。マイハニーがデリーから到着して、この場で合流だ。確か前日の朝、
「1週間、元気でね!」
と別れを告げて来たはずなのだが、なぜ、ここにいる?!
他のツアー参加者と挨拶を交わし、一気に、場に溶け込むあたり、さすがである。なにがさすがなのか、ようわからんが。
いきなり登場して、いきなりパシュミナを吟味し始める夫。
毎度、いい味だしてる。
せっかくだから、1枚購入しようと、あれこれ見比べる。が、いい感じのものが多すぎて、何が何だかわからなくなる。
すでにストール類はあれこれと持っているがゆえ、手持ちの柄と重ならないもの、実用性が高いもの、パシュミナの質がいいもの、更には大げさではなくても、上質の刺繍が施されているもの……。
というわけで、上のストールを選んだ。あくまでもナチュラルに近いパシュミナに、緻密な刺繍のボーダーが入っている。これならば、下に柄物を着ていたとしても、反発し合わず、上品に羽織れる。
お買い物のあと、この店でランチをごちそうになる。そしてカシミリ・カワティ(詳細は後述)をいただいて、おいとまする。
食後は、本日最後の工房、クレワル (Crewal)と呼ばれるチェーンステッチの工房訪問だ。
本当は、作業の光景を見たかったのだが、訪れたときには、職人たちが「お昼寝中」だったこともあり、先に商品を見せてもらうことに。
ここがまた、すごかった。膨大な商品の山。これらすべて、「チェーンステッチ」。すなわち刺繍製品なのだ。
クッションかヴァーやらラグやらマットやらなんやらかんやら、である。素材は、シルク(絹糸)とウール(毛糸)の2種。シルク製は表面に光沢がある。
右上の写真。クリックして拡大していただくとよくわかるかと思うが、とにかくでかい。ダイナミック。こんな大胆柄もまた、すべて「手刺繍」なのである。
ここまで来るともう、「ここまでするか?!」というくらいの勢いだ。
ともあれ、このマットのインパクトは絶大。自分の家には似合わないが、しかし、結構、好みの柄である。
と、同行しているキラン、彼女とわたしは、旅の間、好みが近いなと感じていたのだが、案の定、彼女もこの柄が気に入ったらしく、クッションと合わせてご購入。
ここに来て、睡魔に襲われた。
欲しいものを選ぶセンサー、フリーズ。
一方、マイハニー。
妙に張りきって商品を吟味。
「これはどう?」
「新しい部屋に、これ置こうよ」
と、積極的だ。
と、夫が、奥の方から古びたクッションを発掘。
この柄、気に入った!
なんでも、数十年前に作られたものらしい。
オーナー曰く、同じものを作って配送してくれるという。お値段も、「本当にそれでいいんですか?」というほどに安い。安くて申し訳ないほど安い。
地色を2種類指定して、発送を依頼した。来月届くはずで、楽しみである。
夏のカシミールの日没は遅い。日が暮れるのは8時を過ぎたころ。
日はまだ高いものの、すでに時計は夕刻をさしていたころ、ツアーの一行はホテルにチェックインしてリラックス。
わたしとて、今朝は4時起床。その後、濃密な工房巡りを経験したゆえ、ゆっくりとお茶でも飲みつつくつろぎたいところ。
だが、夫がそれを許さない。
「ミホ。湖、見に行こう。ぼく、公園も見たいから」
チェックインして10分も立たぬうちに、再び外出である。
ああ、もう!
件の火災の余波が懸念されていることから、基本、街は厳戒態勢。従っては、軍によって、あちこちの道路が閉鎖されており、随所で渋滞に見舞われる。
にもかかわらず、街は観光客であふれていて、大賑わいだ。
そんな中、昨日とは異なるムガール帝国時代の庭園、ニシャート・バーグ (Nishat Bagh)を訪れた。実際、この公園は、山並みと湖面の双方が一望でき、昨日に増して、景観がすばらしい場所であった。
なにしろ、咲き乱れる花々が美しい。どれもこれもをカメラに収めたくなるほど、可憐で、心を和ませてくれる。
観光客の多さには辟易するほどであったが、しかし、ここは訪れる価値ありのすばらしい公園である。
わたしの好きなマグノリア、即ちタイザンボク(泰山木)があちこちで咲いていて、その姿がまた麗しい。