朝。ホテルの窓の外から、賑やかな声が聞こえて来る。カーテンをあければ、そこには制服姿の子どもたち。
隣の建物は、学校だったのだ。寺院の火災が発生して以来、数日に亘って休校となっていた学校も再開。この日は、幸い、街全体が、日常を取り戻した。
わたしたちは予定通り、工房巡りを実施できたのだった。
ところで6月30日と言えば、我々の米国での結婚記念日。10周年の去年までは、決して忘れることはなかったのに、なんと今年は、さっき、思い出した次第。
まあ、この時節、わたしたちには記念日が多いので仕方がないといえば仕方がない。
車窓から、カシミール独特の、積み木細工のような構造の家屋を眺めながら、目的地へと向かう。ちなみに、壁に十字形に木材がはめ込まれているのは、耐震のためだ。
このあたりは、日本同様、地震が発生するのだ。
この写真。ほうきを運ぶおじさんはさておき。向こう側に広がる広大なグラウンド。
この日は羊飼いらの姿が見られたが、ここは「イード (Eid ul-Adha)」と呼ばれるムスリム(イスラム教)の祝祭日に用いられるという。
スリナガールのイスラム教徒は90%以上。イードの折には、この広々とした敷地を人々が埋め尽くすという。想像するだに、壮観な光景だ。
なお、イスラム教徒が主流とされているジャンムー・カシミール州ではあるが、東側のラダック地方はチベット文化圏に属しており、チベット仏教が信仰されている。
文化大革命による被害を受けた中国のチベット自治区よりも、むしろラダックの方にチベットの伝統文化が残っているともいわれ、曼荼羅美術もまた、すばらしいようだ。
ラダックの中心地は、レー。レーにもまた、訪れてみたいものである。
さて、この日、最初に訪れたのは刺繍工房。職人たちが、黙々と作業をする部屋に入り、彼らの手元を見た途端、うわ〜っという感嘆の声が、心の底から溢れて来た。
見てるだけで、胸に迫り、目頭が熱くなってくるほどである。なんというか、すごすぎる、のだ。
これは、仕事をしているのか。好きでなければやっていられない、仕事をしながらも趣味の世界なのか。いや、そんな定義などナンセンス。この刺繍こそ、人生なのか。
カニ・ソズニ (KANI-SOZNI)と呼ばれるこの伝統刺繍。特に、今彼らが手がけている、一面刺繍に覆われたものは、1枚のショールを仕上げるのに軽く2年の歳月を費やすという。
完全なる芸術だ。
ぎっしりと布が埋め尽くされているようで、しかし光にかざすと、地の色が生かされているのがわかる。
この工房は、カシミールの中でも最も高品質の商品、いや作品を創出しているところで、テキスタイル省などから賞を与えられてもいるようだ。
インドは全国的に、色柄が鮮やかで、色調のコントラストが強いものが好まれるが、しかしカシミールの刺繍は、派手なものばかりでなく、色味が穏やかなものも少なくない。
これらは、日本人の嗜好にも合うような気がする。
一方、こちらはヴィヴィッドな色合い。個人的には、この強烈な色合いにひかれる。
ここでは、もっとシンプルで、手頃な商品も売られていたが、しかしこのような芸術級の作品は、いずれも2年以上の歳月をかけて仕上げられる。
1枚あたり、最低でも30万円程度から、とのことであるが、それはそうだろう。むしろ、その仕上がりと、携わる歳月を考えれば安すぎるほどだ。
いったい、どのような人たちが、これらを買い求めるのだろう。
このような手刺繍に価値を認める人が減っているというのは、紛れもない事実。
最近では、インドでもミシンによる機械刺繍が進んでおり、わたしがインドに暮らし始めたここ6、7年の間にも、老舗サリー店などに置かれている手刺繍の商品が激減している。
若者たちは、お金になる仕事を求めて都会へと出てゆき、伝統を受け継ぐ人もいない。その趨勢を、誰にもとめることができない。
上の写真は、16色の糸が用いられているという。最初に赤、次に黄色と、順番に作業を進め、そのあと、1カ所を集中して仕上げ、全体の色合いを見る。
そこで、全体のイメージを掴み、更なる作業を進めて行くとのこと。
なにも、2年半もかけねばならないような、大きなストールでなくていいのだ。小さなスカーフのようなもの、あるいは洋服のアクセントなど、この刺繍が生きる方法は、いくらでもあるだろう。
何十年も時間がとまってしまったかのような工房は、「ビジネス」という側面においても、遅れを取っているのには違いない。
インドの有名デザイナーズブランド、タルン・タヒリアーニなどは、カシミールに独自の契約工房を持ち、オリジナルのストールなどを作っている。
タルン・タヒリアーニを通すと、一段と高価になってしまい、なかなか手が出るものではない。
職人たちの作業を眺め、デヴィカやレヌカから、廃れゆく伝統工芸の現状を聞くにつけ、いてもたってもいられないような気持ちになる。
どんなにささやかなことであれ、わたしになにか、できることはないだろうか。
ひとまずはこうして、ブログで世界に向けて発信すること。それだけでも、多分、意味はあるだろう。
さて、ひとしきり見学した後は、商品販売の部屋へ移動。ここではもう、次から次へと、すばらしい作品が広げられ、目が泳いで仕方がないのだった。
ばさっ、ばさっと広げられるたびに、うわ〜っ、きれ〜い、と歓声があがる。もう、どれが自分の好みで、どういうのが欲しいのか、わからなくなってしまう。
どれもこれもが、本当にすてきで、絞り込めないのだ。結論からいうと、この日は予定が詰まっており、買い物の時間は15分程度しかなかった。
そんな短時間で、膨大な商品の中から、選べるはずもなく。後ろ髪を引かれつつも、結局は「また、ゆっくりと来よう」と決めたのだった。
「ぼく、これが欲しい」とアビール。「しばらく、このままにさせて。幸せ〜」と、羽織ったまま、うっとりと停止。
彼の言う通り、本当に、「すてき!」と思うものを羽織ったら、脱ぎたくなくなるものなのだ。サリーにせよ、ストールやショールにせよ。
ちなみにストールとショールの違いであるが、ストールは肩に羽織ってちょうどいいサイズ。ショールは身体にぐるりと巻き付けられるほどの大判サイズだ。
だが、平均的な日本人には、どちらもかなり大きい印象。日本人向けに小ぶりのストールを作ってくれるよう、依頼することも可能だとのこと。
どれもこれも、「これでもか!」というくらいに、緻密な刺繍が施されている。正直、「ここまでしなくても」と思えるものさえ、多々ある。
下の写真。このストールが気に入ったのだが、しかしわたしは、すでに黒地のストールを数枚持っている。これほど精緻な刺繍ではないものの、それらを使いこなす機会がない。なにせ、バンガロール、基本常夏なので。
職人たちの仕事ぶりに、アルヴィンドも心底、感嘆しており、「一枚、買って帰れば?」と言ってくれるのだが、しかし、どうにも決めることができなかった。
微妙に呆けたような、困ったような表情の我。この時のわたしは、職人たちの仕事ぶりにノックアウトされており、脳みそがフリーズ気味であった。
刺繍工房での衝撃、覚めやらぬまま、次に訪れたのは、ペーパーマシエの工房。窓が広く、日の当たる上階で、職人一家が作業をしている。
カシミールのペーパーマシエ製品。土産物店などでよく目にする商品だが、ここで作られているものはまた、格別に精緻なデザインで、高品質。一見して、その違いがわかる。
成型された木の上に、紙を小さくちぎって水に浸し、小麦粉と水を混ぜ合わせたもので練り、粘土状にしたものをはりつけていく。
それを乾燥させ、魚の油を塗り(これがペーパーマシエの「微妙な臭み」の理由)、塗装。上に絵を記す。
詳細はさておき、工房ではペーパーマシエ作りの実演を見せてもらうことができた。
素材作りもさることながら、わたしが最も興味深かったのは、ペインティングの作業。使われている絵筆は非常に原始的。
筆は猫のシッポ。持ち手のストロー状の部分は、イーグルの羽根の付け根だという。
ところで今回の旅ほど、自分の「老眼進行」を恨んだ旅はない。老眼鏡とサングラスをとっかえひっかえ、付け替えて、実に大忙しであった。
なにしろこんな緻密な絵柄。コンタクトレンズをしていると、老眼鏡なしでは見られないのだ。
他の参加者が、出されたお茶菓子を味わいつつ休憩しているときにも、絵を描く職人さんに、ぐっとにじり寄って眺めているわたしに、職人さんが、「やってみる?」と筆を差し出してくれた。
いやいや、そんな、作品を台無しにするから、と辞退するも、これはデモンストレーション用だから気にしなくていいとのこと。お言葉に甘えて、筆を握らせてもらう。
案の定、握りにくい筆だ。さらには、絵の具のノリが一定しないので、自分の手の甲で筆ならしをする。いきなり鳥は上級なので、花(のようなもの)を描かせてもらう。
右上の写真、上の方の、正体不明の花を、描かせてもらった。筆の運び、絵の具のノリを一定させるのが難しい! 線の太さを自由に操れるようになるまでは、練習が必要だ。
ちなみに、師匠が描いてるこれらの鳥は、カシミールに暮らす鳥だとのこと。
それにしても、わずかこの一輪を描くだけで、相当な集中力を要した。なにしろ、小さいんだもの。このような作業を、黙々と一日中やり続けるなんて、無理。と、痛感した。
この工房で出されたカシミリ・カワティがまた格別で、身体が浄化されるような気持ちである。
カシミリ・カワティとは、この地方で飲まれている伝統的な健康茶。サフランやカルダモン、シナモンなどを煮出した湯にグリーンティを入れ、さらにアーモンドなどをトッピング。
砂糖や蜂蜜で甘みを添えて飲む。
各家庭、各飲食店で独自のレシピがあるようだが、必ず使われているのはカルダモンとサフランのようである。
かつて、エイジャズの店で、初めてこのお茶を飲んだ時には、サフランの香りが強くて、即座に「おいしい!」とは感じなかった。
しかし、飲み進むうちに味わいがしみてきて、「おいし〜」と感じるようになるのだ。
身体によいお茶であることを、身体を通して実感しているようである。
このお茶に加えて、ここで出された焼き菓子がまた、おいしいこと。
というか、このあたりでは、そこいらのどのベーカリーでも、それなりにおいしい焼き菓子が手に入るようである。
この写真の焼き菓子は、先ほど訪れた刺繍の工房で振る舞われたもの。
これらもまた、素朴でおいしかった。ランチ前に、どれだけ飲み食いするか、という話ではある。
工房見学のあとは、またしてもショッピングタイム。しかし、最早、自分が何を欲しているのか、わからない状態。
刺繍製品に比べれば、値段も手頃。お部屋に飾るのにも好適とあり、アルヴィンドも積極的に選んでいる。彼が気に入ったのは、ゴールドを基調としたアンティークのペーパーマシエの箱。
わたしたちの購入したものは、また別の機会にご紹介するとして、ともあれ、かさばらない程度にすてきな作品を数個、買い求めたのだった。
【新たな命、吹き込まれて。胡桃の木の彫刻品】
カシミール、ハンドクラフトを巡る旅の最後を飾るのは、胡桃(クルミ)材細工の工房であった。木屑で埋め尽くされた工房であるが、靴を脱いで入場。作業の様子を見せてもらう。
いきなりだが、上の作品。一目見て気に入った。カシミールに暮らす動物たち、すべてがカップルなのだ。その愛らしさに惚れ、最終的にはこれを磨いてもらい、購入したのだった。
忘れてはいたものの、この日は我々の米国版結婚記念日。「らしい」買い物であったと、今更ながら思う。
右上の樹木の彫刻も、すばらしかった。なにしろ、7層になっているのだという。
この花々もまた、カシミールに咲いているものだという。すべてが、この地の自然に育まれた作品なのだと思うと、よりいっそうの愛着や親しみが増すというものだ。
工房巡りを終えて、ようやく遅いランチである。本日は、カシミール料理の人気店AHDOO'Sを訪れた。
ベーカリーが併設されたレストランだ。
デヴィカ曰く、カシミール料理とは、全体に塩分がきついとのこと。確かにそれは言えているが、ともあれ、食べたかったマトンのミートボール料理が味わえたのがうれしい!
みなでシェアしての食事につき、写真撮影もかなり適当で、うまくピントがあっていないが、雰囲気はつかんでいただけるかと思う。
Gushtabaと呼ばれるこの料理。マトン肉を棒で叩いてミンチにするのである。その滑らかなミートボールの味わいと、ソース(カレー)の調和がたまらない。
茶色いソース、白いソース、どちらもそれぞれに旨味があって、おいしいのだ。
各々の料理の正式名称、実はよくわからないのだが、ともあれ、上の二皿は、エイジャズに差し入れしてもらった料理と同じもの。
これは、ITC Windosorのカシミール料理フェアの時に、ハークの存在とともに、知った。
インドは蓮の国だというのに、特に南インドにおいて、レンコンはあまり一般的ではない。
たまに、ラッセルマーケットなどのローカルな市場で、こぶりのそれらを見かける程度である。
歯ごたえもほどよく、美味なる料理である。
このほか、もちろんハークの煮込みなども味わい、実に満足のランチである。
ところでカシミールの主食だが、ナンやチャパティ風の小麦粉系もあるが、どうも米飯が主体のようである。
そして食後はミルキーなデザート。そして毎度おなじみカシミリ・カワティで締めくくる。ここで見た、このカワティ専用のポットに、目が釘付け。
中央の筒に炭を入れて、保温しているのだ。ジンギス汗鍋風の構造である。
あまりに惚れてしまい、これは後日、パハルガム(ペヘルガム)を訪れた際に購入した。でもって、早速、先日の「サロン・ド・ミューズ」にて、みなにカワティを振る舞ったのであった。
右上の写真、なぜか色が飛んでて昭和なムードが漂っているが、ともあれ、このポット、飾るだけでもすてきだが、実際に使っても、なお楽しいのである。
炭はどうしたかといえば、階下の駐車場に店を広げているアイロンレディから、炭を2つ3つ、もらった。というか、10ルピーで買った。
そう。インドのアイロン業者は、未だに炭を使っているのだ。
ところがアルヴィンドが、なかなかトイレから戻らない。
ふと、店内を見回せば……。
こんどは店主と、世間話をしている。
この人、こんな人だったっけ?
出会ったころは、さほどフレンドリーなキャラだとは思わなかったのだが、年々、人も変化するものだろうか。
ともあれ彼は、明日の朝、バンガロールに戻らねばならない。3泊4日の旅を、フルに濃密にするべく、ローカルの人々との会話も、大切にしているのであろう。きっと。
食後は、希望者のみ、デヴィカとレヌカの案内で、ローカルの商店街へと繰り出した。昨日までは静かだった町並みが、まるで別の街のように賑やかだ。
ここで、カシミール名物のサフランや胡桃、松の実、干しアンズなど、ドライフルーツ類を購入する。
うれしかったのは、カシミールのハチミツが買えたこと。特に高級品でもない、手頃なハチミツであったが、ヒマラヤの高原のハチミツだもの。きっとおいしいに違いない。
事実、それはさっぱりとまろやかな風味で、非常においしいハチミツであった。
バンガロールでカワティを作るべく、サフランも多めに購入。天井のファンをとめ、秤に載せて計量する。なにしろ、鼻息でも吹っ飛んでしまいそうな、軽いものなのだ。
その後、周辺の市場を軽く散策。巨大なショウガやズッキーニに驚いたり、カシミールならではの大きな唐辛子に見入ったり……。
さりげなくレンコンが売られているのも、うらやましい。大根も、バンガロールのミニサイズに比べると大きい。
喧噪の市場で疲労困憊となりながらも、買い物を無事済ませ、ホテルへ戻る。
わたしと夫は、ホテルで休憩。明日のための荷造りなどを始める。他の一行は、このあと、わたしとアルヴィンドが二人で訪れた公園へ訪れるべく、夕方、再び出かけたのだった。
そのときに、事件が起こった。
実は、昨日の朝、新しい参加者が合流していた。かつてバンガロールに住んでいた米国人女性で、今回、1カ月の予定で、長期出張に来ていた。
7歳の娘と二人暮らしの彼女。デヴィカとも親しく、今回、パハルガムへ同行するのを楽しみにしていたのだった。
その彼女が、公園で足を滑らせて、足首を骨折してしまったのだ。娘に心配をかけまいと、他の参加者は、いろいろと気を配りつつ、彼女を病院まで搬送。
そのときに活躍したのが、元ナースのカレン。彼女のお陰で、適切な処置をしてもらえ、大事に至らずにすんだ。
と、軽く書いているがここはインド。病院へ行き、CTをとってもらい、ドクターの処置を受け、ホテルに戻るまでの約4時間、どれほど大変だったかは、想像に難くない。
デヴィカもレヌカもアビールも、そしてカレンも疲労困憊ながら、怪我をした彼女を気遣い、ケアをしている。
結局、母娘は2泊したのみで、バンガロールへ戻ることとなり、実に気の毒である。
デヴィカは、始終多忙なその友人を案じ、だからこそ、自然美に包まれ、のんびりとしたパハルガムへ連れて行きたかったらしく、心から残念そうであった。
わたしはと言えば、出る幕はなく、ただ見守ることしかできなかったのだが、この小さな旅のグループに、ナースであるカレンが参加していたことは、本当に不幸中の幸いであったと思う。
医療に携わる仕事をしている人を、切に、すばらしい、と感じた一件であった。