今年、年末年始の一週間をアーユルヴェーダグラムで過ごした。一年に一度、ゆっくりと自分を省みることができる時間を、敢えて設けることの大切さを、今回はことさら、しみじみと感じた。
というのも、去年の終わりは3泊4日のみの滞在、その前年はクールグに旅をして、アーユルヴェーダグラム滞在をスキップしていた。そのせいか、じっくりと来し方行く末を考えるという作業を怠ってしまったようにも思う。
夫と二人、初めてアーユルヴェーダグラムに滞在したのは、2009年の終わりだった。2年に亘るムンバイ&バンガロールとの二都市生活を終え、バンガロールに戻ってきた年の瀬。夫はそのとき、リーマンショックの煽りから職を失い、転職活動をしていた。
ニューヨーク、カリフォルニア、ロンドンと、各地へインタヴューに飛ぶも、望むポジションが得られなかった日々。夫婦ともに心身のストレスが溜まっていたときだったからこそ、このときの滞在は、意義深いものだった。
身体だけでなく、心も診てくれるドクター・マンモハンの言葉に啓発され、考え方やライフスタイルを見直しはじめた。
2010年、2011年、2012年、2013年と5年間連続で過ごしてきた。しかし、2014年は「なんだか、飽きたね」という夫婦揃っての思いもあり、この年の年末は、クールグのリゾートで過ごした。これはこれで、よかった。しかし、なにかひとつ、心が引き締まらなかった。
そして1年前の2015年の終わり。やはりアーユルヴェーダグラムに戻ることにしたものの、仕事などの都合もあり3泊4日と短い滞在だった。これもまた、中途半端だったと、今回3年ぶりに、きちんと1週間滞在して、思うのだった。
午前と午後、自分の心身の具合に合わせられたオイルトリートメントを受ける。その他、ヨガや呼吸法、瞑想のクラス。食事はヘルシーなヴェジタリアン。朝晩、庭をウォーキングする。空いた時間には、読書をしたり、考えごとをしたり、書き物をしたりして過ごす。
そんな中、1年半前、自分が50歳になったときに、「節目だ」と騒いではみたものの、将来へのヴィジョンをきちんと考えていなかったことに思い至った。
気がつけば、51歳。今年は52歳。多分、そうこうしているうちに還暦だ。いや、そこに至るまで、元気で生きていられるという保証は、どこにもない。ゆえに、日々を大切に生きねばという、少しありきたりな思いは、常にある。しかし、大切にという言葉を具体的にする「行動」が伴っていない。
年初、いたずらに目標を立て、しかし実行できずに後悔することに辟易していた時期もあった。故に、あまり細々と、目標を立てなくなったここ数年であった。
しかし、これはこれで、よくないということにも気づく。
2016年最後の日没を眺めつつ、緑の中を歩きながら、考えていた。
多分、それぞれに満たされた人生を送った人の、最後の言葉に、「思いのこすことはない」というのがある。
翻って自分。思いのこすこと、ばかりだ。
ゆえに、今年の、いや、これからのわたしは、「思いを、のこさない」生き方を目指そうと思う。
20歳のころ、夏目漱石の『三四郎』を読んで「囚われない」という生き方を、意識してきた。この汎用性のある言葉を拠り所に、自分自身の考え方を育んできたように思う。
これからは、「思いを、のこさない」だ。
行きたいと思った場所には行く。
会いたいと思った人には会いに行く。
読みたいと思った本はさっさと読む。
見たいと思った映画は見る。
書きたいと思ったことは速やかに書く。
面倒臭がらず、丁寧に着実に暮らす。
歳を重ね、「やろう」と思いつつ、やれなかったことの多さを省みたとき、ちょっとした努力で実現できたことも多かったのだということにも気づいた。
「食い扶持を稼ぐために働く」ということをせずに居られるのは、ありがたいことだ。ありがたいことだがしかし、たやすく、目的を見失う。
それでは、いけない。
自己実現のために、わたしは死ぬまで、働き続けたい。そこで得られる対価は、自分自身が育んできた経験、キャリアの証だ。
世のため、人のため、自分のために、自分を、もっと有効に活用しなければ、と思う。
今年で5年目を迎えるミューズ・クリエイションの活動。これはすでに、わたしの暮らしの中で、大きな一つの柱となっている。これを大切に守っていく一方で、自分自身がやりたいと思うことを、もっともっと、見つけ出して、する。書いておきたいと思うことを、怠らずに書く。
油断するとすぐに怠惰に走る自分に、本質的には出不精で、家に引きこもるのが好きな自分に、拍車をかける。
小さな一歩が、大きな変化を生むこともある。少し迷うくらいなら、踏み出す方を選ぼう。
しっかりと眠る。
毎朝のエクササイズ、そして呼吸法を続ける。いつも年初の数カ月までしか続かない習慣を、できる限り続ける。
健全なる精神は、健全なる肉体に宿る。
思えば、アーユルヴェーダの教えというのは、貝原益軒の『養生訓』に通づるものがたくさんある。今一度、読みかえそう。
今年は、書棚を整理して、自分にとっての「良書」の再読にもつとめようと思っている。過去の人々の、含蓄ある言葉にも、耳を傾けたいものだ。
今年もよろしくお願いします。