上の2冊は、タイトルのセンスこそ、まったく異なるとはいえ、同じ本だ。
左が原書。右が邦訳本。
先月、デリーで会った繁田女史から、そのわずか3日後、わたしたちが出会う契機となった十年来のクライアントN女史から、同じ本を勧められた。キャスリーン・フリン著『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』。同じ本を別の人から同じ時期に勧められる奇遇に、これは読むしかないと、Amazon.jpから注文した。
二人の勧めどおり、この本はわたしにとって、直球ストライクであった。もうひとりのわたしがコルドン・ブルーに通って、本を書いたんじゃないか、と思うくらいに。
「丸鶏を調理することの意味」や「残り野菜でのスープ」の記述に始まり、「詰め込まない冷蔵庫」「加工食品やインスタント食品を避ける」「低脂肪、ノンファットはむしろよくない」「オイルや塩、バルサミコ酢、醤油など、調味料は良質のものをこまめに購入」「天然のスパイスを使う」「日本のカレールーは添加物だらけ」「加工食品を買うときには原材料名をチェックせよ」「料理は難しくない」といったあれこれが、料理のプロの視点から描かれていて、ひたすら頷きながら読んだ。
映画『フード・インク』の描写もあり。ジュリア・チャイルドやジェイミー・オリヴァーに対する「感じ方」も共通しており。
わたしは「こだわり」という日本語が好きではない。だから自分をして「食にこだわっている」という風には形容したくない。日本、米国、インドに住まい、さまざまな生活環境を経験したうえで、50歳を過ぎた心と身体が自然にたどり着いたところの「生きる基本」が、「健康的な食生活」だったのだ。
それは、ややこしいことでも、難しいことでもない。人間が地球の一部として、自然なものを口にする古来の食習慣に、「柔軟な姿勢で」立ち返るべきではないか、というライフスタイルだ。「過去へおいしく回帰」することこそ、人間の心身の健康が保たれるということを、インドでの食生活を経て殊更に、実感している。
無論、わたしは完璧主義ではないから、時には手を抜く。基本的には、「身体によいもの」を意識するが、たとえば夫の出張時は適当なものを食べる。ジャンクフードを食べることもある。無論このごろは、それらがあまりおいしいとは思わなくなってしまったが。
★ ★ ★
わたしは週に一度、Skypeで英語の授業を受けている。たまに英作文の練習もする。先週は、この本を読んで「食について書こう」とひらめき、日本の食をテーマにした作文を書いた。英語で書いているうちにも、これは日本語でも書いておきたいと思った。英語の文章と日本語の文章は、内容が異なる部分もあるが、それは読み手の国籍(非日本人/日本人)の違いを念頭においてのことである。
前半に日本文、後半に英文。ぜひ、読んでいただければと思う。日本文のほうが、記述が込み入っていて、具体例も多く、長い。なにしろ、するする書けるから。
このようなことを書くと、必ず異論、反論が上がる。それを覚悟のうえで、しかし、自分自身の経験値に基づいてのリアルな考察を、敢えて書き残す次第だ。
●昭和40年代。個人的な経験に基づく、日本の食生活の変遷
1964年、東京オリンピックが開催された。有色人種の国家がオリンピックの主催国となるのは、史上初のことであった。またこのオリンピックは、日本が世界へ向けて、敗戦からの復興をアピールする象徴的なイヴェントでもあった。東京オリンピックを契機に、高度経済成長は益々加速し、日本人のライフスタイルは目まぐるしく変化した。食生活についても、例外ではない。
わたしは東京オリンピックの翌年の昭和40年、高度経済成長期の最中に、日本第4の都市、福岡に生まれた。昭和40年代は、日本の外食産業が急成長した時期でもあった。わたしの両親は、週末ともなると、わたしたち娘を「洋食」を食べに天神へ連れ出してくれたのだった。
中でもよく訪れたのは、新天町のレストラン「ロイヤル」。ロイヤルホストの前身だ。江頭匡一氏によって創業されたロイヤルは、米国のダイナーを意識して作られており、ファミリーレストランの先駆けでもあった。
パンケーキにハンバーグステーキ、グラタンにドリア……。5歳か6歳のころだったろうか、生まれて初めて「イタリアン・ピザ」を食したのもまた、このロイヤルだった。バヤリースのオレンジジュースしかなかった時代に、ロイヤルは米国から輸入されたオレンジ果汁100%のジュースを出していた。父はそのジュースが大好きで、よく飲んでいた。
母はショッキングピンクのゼリーがたっぷり入ったゼリーサンデーを、わたしと妹は、ストリベリーパフェやプリンアラモードを大喜びで食べた。くり抜いたオレンジや、メロンの皮を器にしたシャーベットもまた、魅惑的で目に楽しく、おいしかった。
天神ビルの1階にあった「サンビーム」というカフェのソフトクリームを食べるのもまた、家族の週末を象徴していた。ヴァニラ、ストロベリー、チョコレート。どの組み合わせを選ぶかを思案するのも、うれしいひとときであった。
家族そろって食べることが好きだったこともあり、当時から、わたしも妹も肥満傾向にあった。特に妹は小さい頃からアレルギー体質で、ちょうどそのころから患者が増え始めたところのアトピー性皮膚炎を患っていた。
●おいしく空腹を満たせれば、何でもよかった若かりしころ
中学生になってからは、わたしは常にお腹を空かせていた。部活でバスケットボールをしていたこともあり、男子並みの旺盛な食欲だった。弁当を持参していない日は、4、5種類の菓子パンを一気に食べたりしていた。また週末には2、3種類のカップ麺を一度に食べることもあった。ポテトチップスやかっぱえびせんの一袋一気食いは当たり前。ファンタグレープやコーラの類の、500mlの瓶入りの一気飲みも日常だった。
大学を卒業し、東京で働き始めてからの20代の生活は、不健康の極みだった。薄給のうえ、過酷な労働。今でいう「ブラック」な職場環境の中で、ゆっくり食事をする暇もない。コンビニで買う、添加物にまみれたおにぎりやサンドイッチ、ほっかほか亭の弁当、安い中華料理店の食事などが食生活の中心だった。
一方で、1日1箱のタバコ。鷲尾いさ子の「鉄骨飲料」では刺激が足らず、時任三郎の24時間働けますか「リゲイン」だの、タモリの「ユンケル」だのといったアンプル剤を常飲していた。
こうして思い出しながら書いているだけで、具合が悪くなってくる。当時のわたしは、慢性的にお腹を下していた。それでも若かったから、凌いでいけたのだと思う。今、あのころと同じ食生活をしたならば、1日で体調を崩すだろう。
●日本を離れて……。結婚後に目覚めた食の重要性に対する認識
30歳になったわたしは、ニューヨークへ渡った。一人当たりのポーションが日本よりもはるかに多い「アメリカン・サイズ」を食する日々。当初は1年間の滞在予定だったゆえ、体重計を購入していなかったのが災いした。日本ではなかなか見つけられない大きなサイズの服が、ヴァラエティ豊かに揃っていることも原因となり、気がつけば数カ月のうちに5キロ以上も増量していた。その体重は以降10年間、増えることはあっても、減ることはなかった。
36歳になり、世界同時多発テロを機にニューヨークを離れ、ワシントンD.C.に住む夫と暮らし始めるようになってようやく、わたしはゆっくりと料理をする時間と、料理をすべきだという衝動を得た。ついには、健康的な食生活について、考え始めるようになったのだ。近所に良質の食材を扱うホールフーズ・マーケットがあったのも幸いだった。一般のスーパーマーケットよりは割高だが、明らかに肉や野菜のクオリティが高い。違いを知ることで、良質の食材を食することの大切さを実感していった。
わたしが40歳の時、我々夫婦はインドへ移住した。当時のインドは、加工食品やインスタント食品が今よりずっと少なかったのが幸いした。自然の素材を使っての調理が日常化したのだ。日本人駐在員家族のように、東南アジアや香港などへ「買い出しの旅」に出かけることもない。日本やニューヨークで調達する日本米、味噌、しょうゆ、海苔、ごま油など最低限の日本食材とインドで購入する新鮮な食材とで、日本料理を作るようにもなった。
やがて、アーユルヴェーダの理念に触発され、冷凍した食品や加工食品を口にする機会が激減した。現在、我が家の冷凍庫を占拠しているのは、作り置きした手作りの猫の餌、である。新鮮な食材を必要な分だけ購入することから、冷蔵庫も概ね、がらんとしている。
オーガニックの食材を日常的に購入し調理するうちにも、徐々に身体はデトックスされていった。アーユルヴェーダのトリートメントのおかげで、中学時代から患っていた腰痛から解放された。病気になりにくく、年齢の割に安定した体力を維持できるようにもなった。
●MSGアレルギーの発症で、日本での外食が不自由な身に
一方で、残念な状況にも直面している。年に一度の帰国時には、毎年何を食べようかとあれこれ思いめぐらせ、楽しみにしていたものだ。しかし4、5年前から、日本滞在中の食事に問題が生じるようになった。新鮮な寿司や刺身、添加物の入っていない家庭料理はもちろん、おいしく味わえる。しかし、外食選びが非常に難しくなってきた。普段、自然のものばかりを食べていることから、MSG(グルタミン酸ナトリウム=化学調味料)アレルギーが深刻になってきたのだ。
たとえば好物だった豚骨ラーメンが食べられなくなった。一般の豚骨ラーメンのスープには、大さじ1杯ほどもの、大量のMSGが含まれている。日本では「調味料(アミノ酸など)」と表記されているところの化学調味料=味の素。だしの素、ほんだしの類も含めたMSGは、天ぷらやそばのつゆにも、お吸い物にも、うどんのスープにも、ハンバーグなど挽肉料理にも、餃子にも、おでんのだしにも練り製品にも、お好み焼きや焼きそばのソースにも、サラダのドレッシングにも、とにもかくにも、あらゆる食品に加えられている。
以前は、MSGを摂取しても、大量でない限りは大丈夫だった。少し摂りすぎても、肌が痒くなったり、目の奥が熱くなったり、喉が渇いたりという程度で済んでいた。しかし、数年前からは、嘔吐や下痢、頭痛、さらには視覚障害を伴うようになり、旅行中の体調に大きく影響を与えるようになってしまった。ゆえに、大好きだった豚骨ラーメンもちゃんぽんも、怖くて食べられなくなった。日本食だけではない。タイやヴェトナム、中国などアジア各地の料理もまた、MSGが大量に使われているケースが多く、これらの店へ行くことがなくなった。
なお、MSGは身体に悪くない、という説もあるので、わたしはここで、これを完全に否定するつもりはない。MSGを日常的に大量摂取していても、健康な人はたくさんいるようだから。ただ、個人的な体験として、身体に合わなくなる人が存在する、ということを言及するまでだ。
●戦後の高度経済成長と日本の食文化の変遷
日本人以外の友人知人らから、折に触れて「日本食は、健康にいいよね」と、言われる。褒められるのはうれしいが、複雑な思いが心をよぎる。確かに、ある側面については同意する。たとえば第二次世界大戦以前。日本人は現在に比べればずっと、旬の新鮮な素材を使った、健康的な食生活を送っていた。
さまざまな魚介類に新鮮な野菜。岩塩や味噌、醤油、醸造酢など天然の調味料。梅干しや漬物などの発酵食品。伝統的な製法に基づいた日本の料理は、日本の気候や日本人の体質や生活習慣に適したものであった。天然の発酵食品などは、天然の旨味と滋味に満ちている一方、製造に時間がかかり、大量生産ができないという難点もあった。
第二次世界大戦後の高度経済成長期、日本には、米国を中心とする欧米の食文化が怒涛のように流れ込んできた。同時に日本独自のインスタント食品や加工食品が次々に開発されていった。それは同時に、食品添加物が激増する契機でもあった。
1970年の大阪万博もまた、日本人のライフスタイルや食生活を変化させるべくきっかけとなった。ファストフードのケンタッキーフライドチキンが日本に進出。名古屋に1号店を開店した。
翌1971年には、日清がカップヌードルを発売開始。これは日本の、いや世界の食生活に大きな影響を与える出来事だった。無論、カップヌードル以前の1960年代に、日清の創業者である台湾出身の実業家、安藤百福によって、インスタントラーメンであるところの「チキンラーメン」は発明されていた。
1971年はまた、日本におけるマクドナルド元年でもあった。東京の銀座三越に1号店が開店したのだった。
加工食品の普及に伴い、台所の家電も変化を見せはじめた。炊飯器はもちろんのこと、電子レンジや、大きな冷凍庫を備えた冷蔵庫などが市場に出回り始めた。電子レンジは調理時間を短縮し、冷凍庫は食品の長期保存に貢献。利便性が向上した分、人々が「鮮度の高い旬の食べ物」を口にする機会が減り始めた。
加工食品やインスタント食品の台頭は、同時に防腐剤や香料、人工着色料、化学調味料といった食品添加物を増加させることにもなった。
食品添加物の代表格といえば、グルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料。昨今ではうまみ調味料とも呼ばれるいわゆる「味の素」だ。食品成分表には、「調味料(アミノ酸など)」と記されており、あらゆる食品に添加されている。欧米ではMSGと呼ばれ、忌避される傾向にある添加物だ。
化学調味料は手軽に料理に旨味を加えられるとして、瞬く間に日本の食卓に浸透した。今では添加されていない加工食品を見つけることの方が難しい。
わたしは昔ながらのシンプルなおかきが好きだ。以前は日本へ帰国するたびにまとめ買いをしていた。本来、もち米と水、塩、油などが原料であるはずのおかきだが、昨今では「調味料(アミノ酸など)」が含まれていないものを見つけるのは難しい。
MSGを含む食品添加物は、当然ながら人体に悪影響を及ぼさないものとして認可され、使用されているわけだが、しかしわたしを含む一部の人にとっては、アレルギー症状を引き起こす原因となる。著しい喉の渇き、皮膚のかゆみや発疹、眼球の火照り、視覚障害など……。摂取量や体質によっても症状は異なるようだ。
●1971年から25年以上もの間、「自然塩」の製造が禁止されていた!
ところで「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」(略して塩業近代化臨時措置法)というのをご存知だろうか。わたしは、つい最近、書物を通して初めて知り、驚愕した。1971年に施行されたこの塩業近代化臨時措置法。民間企業が日本の海水から塩を製造することを禁止するものだった。
理由の一つは、「イオン交換膜製法」なるものが編み出され、大量の塩が作られるようになったこと。また、日本の工業化推進のためでもあった。海に面した広大な塩田は、工業用コンビナートに好適な立地だったからだ。
1971年、わたしが6歳のときから、1997年、日本を離れた翌年31歳になるまで、日本では、古来使われてきた海水による塩の製造が、禁止されていたのだ。わたしにとって、日本の塩とは、日本専売公社(現日本たばこ産業:JT)が国内需給確保を目的とし、イオン交換膜製法によって製造していた人工の「食卓塩」であった。
思い返せばニューヨークに移り住んでしばらくして、実家の母から「おいしい塩があるのよ」と送られてきたのは、瀬戸内海の岩塩だった。1997年に塩の専売法が廃止されたことを受け、日本国内での塩作りが再開されての結果だったのだ。
古来、日本人が口にし続けてきたところの天然の塩には、本来人間にとって必要なミネラルが含まれている。一方、イオン交換膜製法にて、廉価に大量生産される「食卓塩」は、鋭い塩味がするだけで、まるやかさや旨味がないのはもちろん、ミネラルが含まれていない。
当時から、スーパーマーケットで見かけていた「伯方の塩」というのは、なんだったのか。詳しくは、「伯方の塩」のサイトをご覧いただきたい。
http://www.hakatanoshio.co.jp/history/birth.html
http://www.hakatanoshio.co.jp/history/
ウィキペディアの記事が伯方の塩サイトを的確に要約していたので転載する。
1971年(昭和46年)4月に成立した「塩業近代化臨時措置法(塩専売法)」により、従来日本人が行っていた流下式塩田製法が全廃され、イオン交換膜製塩への切り替えが起こり、製塩業は化学工業化された。1806年(文化3年)から続いていた伯方島の塩田も1971年(昭和46年)12月に廃止となり、松山市でこれに疑問を持った菅本フジ子、西本友康らによって自然塩存続運動が起こる。菅本らが塩田製塩の存続を訴え、5万人の署名を集めて関係各省へ訴えた結果、1973年(昭和48年)、日本専売公社は「メキシコ・オーストラリアから輸入される天日海塩を用いること」などを条件として塩田製法を用いた塩の販売が認可され、「伯方の塩」が生まれた。塩専売法は1997年(平成9年)に廃止され、日本においても海水からの塩の直接採取が認められるようになったが、伯方の塩にはメキシコのゲレロネグロ、オーストラリアのプライスのものが用いられている。
当然ながら、当時から食卓塩に移行することに危機感を覚えていた人は大勢いたのである。しかし彼らの声はかき消され、日本人の大多数が、人工的な食卓塩へと移行するのだ。
わたしが子供のころ、多くの家庭の食卓には、赤いキャップの味の素と、やはり赤いキャップの食卓塩、そして青いキャップのアジシオが並んでいた。ところで、「アジシオ」とは、なんだったのだろう……と、先ほど調べてみて驚いた。味の素でコーティングされた塩のことであった。
ところで塩の取りすぎは高血圧の原因になると言われて久しい。しかし調べてみる限り「天然の塩」を取りすぎて高血圧になるとの記述は見当たらなかった。この場合の塩とは、あくまでも人工的に作られた「食卓塩」のことを指すのだということもまた、最近知ったことである。ちなみに「減塩」とうたわれた商品は、塩を減らしてなお味をよくするため、別の食品添加物が使われているケースもあるとの話もある。
とはいえ、現在は海が汚染されており、海の塩も、作られる場所や製法、銘柄によってクオリティは変わるだろう。一概に自然塩がいいと言い切れないところが、難しいところだ。
ともあれ当地インドでは、ヒマラヤの岩塩や天然の海塩が廉価で手にはいるので、我が家では常用している。しっとりとした海塩は特に、ほのかな甘みと苦みが塩味の向こうに漂っていて、コクがある。海塩と新鮮な胡椒、オリーヴオイルやバルサミコ酢があれば、ややこしいドレッシングなど使わず、野菜をおいしく味わえる。漬物などもおいしく仕上がる。
我が家に関して言えば、『食のブログ』にもしばしば記しているところであるが、日本食を作るのに最低限の調味料だけを準備している。
良質の
・しょうゆ
・みそ
・ごま油
・天然だし(茅乃舎のだし/野菜だし)
最低限、上記があれば、インドで入手できる食材で、おいしい日本食を作ることができる。
●24時間営業のコンビニエンス・ストアが一般化。個人商店、専門店の減少
日本におけるコンビニエンス・ストアのパイオニアである米国発祥のセブン・イレブン1号店が日本にオープンしたのは、1974年のこと。「朝7時から夜11時まで営業」に因んでの7ELEVENだったが、翌年には24時間営業を開始する店舗が見られはじめ、現在に至るまで、コンビニエンス・ストアといえば24時間営業が基本となった。日本式のコンビニエンス・ストアは、台湾やタイ、韓国、中国などにも影響を与えてきた。コンビニエンス・ストアの拡大はまた、店頭に置かれる「自動販売機」の爆発的な普及にも貢献。「利便性重視」の飲食傾向に益々拍車がかかった。
利便性重視の傾向は、食生活を含む日本人のライフスタイルを大きく変え続けている。かつては、町村の中心部にある商店街には、豆腐店、米穀店、酒店、鮮魚店、精肉店、八百屋、漬物店、和菓子店、パン店……と、個人商店がひしめき合い、日々、店の人と交流を図りながら、新鮮な素材を購入し、夕餉の準備にかかっていた。共働きが増えたなどの社会的背景もあり、人々は食品をまとめ買いできるスーパーマーケットを利用するようになった。
●なるたけ、自然に近い昔ながらの食べ物を
海外に暮らして20年あまり。日本のことを少しでも悪く書けば、なにかと反感を買うことは覚悟している。そもそも、悪く書きたいわけではない。しかし、離れて暮らしたからこそ、見えてくることもあり、それが結構、大切なことであったりもするのだ。もしもわたしが日本に住み続けていたならば、MSGアレルギーになることもなかっただろうし、特に敏感になることもなく、食品添加物の含まれた食事をしていただろう。
歳を重ね、自分自身、さまざまな経験を重ね、さらには周囲の人たちの生き様を目にするにつけ、疾患とライフスタイルの関連に思いを馳せずにはいられなくなった。健康的な食生活や十分な睡眠、ストレスを溜めすぎない生活、適度な運動などがいかに大切かを、痛感するのだ。
異国に住み、「日本料理は、健康的でいいですよね」と褒められるたびに、素直に「ありがとう、そうなんです」と答えられないのは、わたしが屈折しているからでもなんでもなく、共感できない現実だからだ。
利便性や廉価さ、華やかさを重視した食生活は、選択肢のひとつとして、もちろん在ってしかるべきだと思う。インスタント食品やファストフードを全面的に否定するつもりは、当然ながら、ない。しかし、毎日の、日常食であっては、たぶんならない。
ややこしい料理をする必要はないのだ。そのことは、冒頭の本が示している通り。
たとえば、日本人は日本流に、ごはんに味噌汁、野菜など、昔ながらの、素朴ながらも健康的な「一汁一菜」で、十分だと思うのだ。おかずがないときは、おにぎりに梅干し、卵焼きでもいいと思う。インスタント食品を食べるよりは、多分ずっといい。
海外に20年以上暮らしても、わたしはおにぎりを食べると、力がわいてくる。味噌汁を口にすると、ほっと五臓六腑に染み渡る。そして胃腸の具合が悪いときに救われるのは、梅干し。自分の中の日本を、身を以て感じる。
ここ数年は、上記N女史のお母様が漬けてくれる梅干しをいただいていて、折に触れて、助けられている。梅干しは、日本のスーパーフードだと切に思う。あくまでも、添加物の入っていない、できれば手作りの梅干しに限って、であるが。
「一汁一菜」を基本にし、折に触れて、足りない「華」となる料理を食すればいい。そしてとても忙しい時や、食材がないときなどに、非常食としてのインスタント食品を摂取すればいい。
そのような食生活を心がけていれば、多分、病気になりにくく、心身が健やかでいられると思うのだ。
★ ★ ★
◎MSGアレルギーが決定的になった日の記録
さよなら一風堂。(2015年5月ニューヨーク旅記録) (←CLICK!)
◎ミューズ・クリエイションのメンバーに「一汁一菜」を語っていたときに教わった土井善晴氏の本。にまつわる記事。この本も読みたく取り寄せ中。
「一汁一菜でよいという提案」
Truly healthy Japanese cuisine for daily meal, again.
In 1964, Olympic Games were held in Tokyo . It was the first Olympic Games held in color ethnic countries. About twenty years after the defeat, it was also an event symbolizing the revival of Japan. The Olympic Games was also a major opportunity to change the lifestyle including the Japanese eating habits. I was born in Fukuoka, which is the fourth largest city in Japan, the year following the Olympics.
When I was 6 to 7 years old, it was a time when the food service industry in Japan rose sharply, and my parents used to eat out on the weekends to make their daughters eat new western food.
Italian pizza, hamburger steak, beef steak, gratin, soft cream, fruits parfait, pudding a la mode. Everything was fascinating and tasty, but these were quite rich and heavy meals for children. My younger sister and I were quite fat since we were small children. My sister had been suffering atopic dermatitis since she was young.
When I was a teenager, I was always hungry because I played sports a lot. On a day without a box lunch, I ate a few cup noodles or ate 4 or 5 pieces of confectionery bread at once. Drinking 500 ml of carbonated juice at the same time was also a routine matter.
After graduating from college, and I started to work in Tokyo. I almost never cooked due to the hard work and crazy timing. My income was very low, and I couldn’t afford to purchase the high quality meal. I usually ate cheap lunch box, a couple of rice balls or sandwich with plenty of food additives from the convenience stores. I also often visited cheap Chinese restaurants, which were using plenty of MSG in dishes. Additionally, I was smoking a box of tobacco per day, and drinking a bottle of ampoules. If I do same eating as I did at that time, I definitely would be sick in a day.
When I was 30, I went to New York and I was eating “American size” meals on a daily basis. As a result, I put on more than 5 kilogram in a few months. The weight did not decrease over the next ten years. When I was 35, I got married and had time to cook for us. I finally began to think about healthy eating habits for our life.
We shifted to India when I was 40 years old. I was fortunate that there were few instant foods and processed foods, and as much as possible, I started to cook at home. Eventually, I also touched upon the philosophy of Ayurveda and I became more aware of the importance of eating habits year by year.
By the age of 47, MSG allergy has occurred. Until then, I was looking forward to eating my favorite variety of Japanese cuisine when I returned to Japan, but my body did not accept the new kind of Japanese foods. It is because MSG is used in every dish for soup of Tonkotsu (pork bone broth) ramen noodles, sauce of tempura, fish soup stock of miso soup, salad dressings and mayonnaise, etc. Not only Japanese cuisine, but Thai, Vietnamese, Chinese…, a lot of Asian countries’ cuisine contain MSG.
* * *
The impression of most foreigners is that Japanese food is very healthy. I agree with this to a certain extent. If you go back in time to pre WW 2, Japanese people were eating healthy seasonal food. Variety of fish, seasonal vegetables, purely natural seasoning like sea salt, soy sauce, miso paste, plum preserve and various pickles made from traditional natural method. These foods suit the Japanese lifestyle, climatic conditions, and seasonal availability of products. On the other hand, these fermented foods and seasonings, which contain nourishment and natural “umami flavor”, are time consuming to make, so it is difficult to mass-produce.
After WW-2, there was a fast and rapid growth in the economic conditions in Japan. The Japanese were influenced by the western fast-food culture, especially American concept of convenience food. At the same time, Japan developed its own instant foods and processed foods one after another.
The Osaka World Expo, which was held in 1970 triggered major changes of the life style of the Japanese at the time. In that year, KFC also opened their first shop in Nagoya. Around the same time, American style diner, which was called “Family restaurant” also opened in Japan.
In 1971, Nissin introduced instant ramen packaged in a foam cup, which was called “Cup noodle”. Cup noodle was a trend setting food, which brought a major change in the eating habits. Prior to Cup noodles, instant noodles were already invented and sold by Mr. Momofuku Ando who was the founder of Nissin. 1971 was also the year, the first McDonald’s outlet opened in the high-end department store in upmarket Ginza, Tokyo.
Kitchen appliances like microwave, rice cooker, refrigeration were introduced to the Japanese market. The microwave introduced time saving cooking methods, refrigeration helps to preserve food for a longer time which in turn led to the concept of instant food. People started to eat less fresh and seasonal food.
With the rise of instant foods and processed foods, food additives such as preservatives, artificial flavoring and sweetener have been developed one after another. As of 2016, the number of allowed specified additives is 454 items, which is the largest number allowed by any country.
A representative of food additives is MSG (Ajinomoto) which is written as “Amino acid seasoning” in the packages of food in Japan. MSG became very popular, as it enhance the rich Umami flavor to the dish instantly. Now it has become difficult to find processed foods that do not contain MSG. Even a traditional rice snack, which used to be made with only glutinous rice, water and salt, now has MSG sprinkled on it. Some people experience allergic symptoms of MSG, like thirst, rash, itching throat and visual impairment etc.
Traditional Japanese used sea salt, but the government controlled production of salt from 1971 to 1997. The law stipulated that private companies should not produce salt from Japanese seawater. One of the reasons is that “the ion exchange membrane manufacturing method” had been developed and a large amount of salt had been made by the method. The law was also for promoting industrialization in Japan. The vast salt fields facing the sea were suitable for industrial complexes like petrochemical complex, etc.
Natural salt contains minerals such as potassium, calcium, magnesium, etc. which are essential for human beings. On the other hand, inexpensive and mass-produced table salt did not contain natural minerals, and is the cause of many health issues. It has been said that excessive salinity is a source of hypertension, but that is a misunderstanding. It is a symptom that appears when an artificial table salt is ingested. Ingesting natural salt does not cause hypertension. A seemingly health-conscious food, that appealed, "reduced salt" may be adding chemical seasoning instead of reducing salt, sometimes it is far from health food.
The American based seven eleven is the pioneer of convenience store, opening their first store in 1973 in Japan. Concept of seven to eleven was evolved into Japanese style which was open 24 hours a day. Japanese-style convenience stores also heavily influenced those stores in other Asian nations, such as Taiwan, Thailand, South Korea, and China. This led to vending machines coming up, providing even more convenience to obtain hot or cold instant beverages and food.
The trend did not change just the food habits, but the entire culture of food and social lifestyle in Japan. People, who would socialize and meet at the small community shops, like the local fish and pork shops, rice, and traditional sweets shops, were now going to impersonal convenience stores and supermarkets. This led to the lack of demand for the small business, which went out of business. Losing traditional methods of producing food, passed down the generations. The new generation millennial Japanese are not even aware of some of the traditional food and culture that goes along with the small community shops.
I do not want to become negatively oriented towards the food of my home country. However, I hope the basic eating habits of Japanese people return to old-fashioned healthy ways, rice, miso soup with tofu and vegetables, natural preserves, and fresh seasonal fish etc., with natural seasonings. These good quality produce are full of natural goodness, which eventually nurture our health and enrich the ones.
Even if it is a bit expensive, I hope to educate people about our traditional foods and their health benefits to the body in the long term. Educating people will help them respect our tradition and be well informed. It is an investment in our body health and our future.