今回のハンピ旅の、大きな目標の一つとなっているKRSMAのワイナリー行き。非常に小規模なワイナリーにつき、特にワインティスティングのプランが用意されているわけではない。
今回の訪問に際しては、以前、お会いしたことのあるバンガロールのセールスマネージャー、そしてワイナリーの担当者と何度かやりとりをしたあと、実現の運びとなった。朝食はワイナリーで準備してくれるという。
創設者である夫妻(Krishna and Uma)の名前をくっつけて命名されたKRSMA。
製薬関係のビジネスをする夫妻は、マラソンの魅力にとりつかれ、世界各地のレースに参戦。同時に、世界各地のワインを味わい、インドでもおいしいワイン造りをしたいという情熱に駆られた二人は、適した土地を探し始める。
そしてたどりついたのが、ハンピから70キロほど離れた、ぶどうの実る土地だった。
最初はバンガロールとニューヨークでしか販売されていなかったが、現在はハイデラバードとモルディヴでも売られているらしい。
このワイナリーについては、あれこれ綴りたいところだが長くなるので、関心のある方はぜひ、ホームページをご覧いただきたい。
●KRSMA ESTATE (←CLICK!)
Google Mapでは、ハンピを通過しないルートが記されていたが、ドライヴァーはハンピ経由のルートを選択。そのせいなのか、到着までに3時間以上かかったのだった。
南インドながら、北インドと南インドの朝食が混在する店。それにしても、田舎は、なにもかもが安い。
朝日に包まれるハンピ。あたりは緑豊かな田園風景が続く。緑あふれる道中の様子。この時間帯はまだ、空気も澄んでいて、視界が透き通っている。
ハンピ周辺には、クマのサンクチュアリがあるらしいが、ここはラッコっぽい動物の保護区のようである。
緑あふれる道中の様子。この時間帯はまだ、空気も澄んでいて、視界が透き通っている。
今回の旅を機に、じっくりと踏み込んで調べてみようと思った人物、アンベードカル。都市部でも貧困層エリアではよく見かける彼の肖像だが、今回の旅では、本当に至るところで、彼の姿を見かけた。インドのどんな偉人よりも、崇められているような気がしてならず。
移り変わる光景を経て、確かに3時間以上は走っていたはずなのだが、繁田さんとずっと何かしら話をしていたせいか、たいした時間の長さを感じることなく、気が付けば、到着。
到着! しかし門扉の鍵がかかっている。ドライヴァー、ホーンを鳴らす!
眺めのよいブドウ畑。数カ月前に収穫を終えたばかりで、今はあいにく寂しい姿ではある。
振り返れば、これまでの人生、いくつかのワインの産地を訪れた。
・イタリアのトスカーナ地方、キャンティクラシコ(ひまわりと糸杉の絶景)
・カリフォルニアのナパやソノマ
・ワシントンDCのヴァージニア州郊外
・フランスはシャンパーニュのポメリー
・スペインはアンダルシア、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ。ティオ・ぺぺ(ヘレス/シェリー酒)
・ポルトガルのポート。ポートワイン
・バンガロールのナンディヒル、グローヴァー
ほかにもまだあるはずだが、際立って思い出すこれらの旅。しかし今回のワイナリーほど「僻地」にあり、わざわざやってきたという感じにさせられたことはなかった。
よほどのワイン好きでなければ来ないだろう……というロケーションである。
このワイナリーを管理するのは、バンガロール出身の青年、アニール。彼はそもそも、「ココナッツの発酵」にまつわる諸々の研究をしていたらしいのだが、そのプロジェクトが諸事情にて中止となった。
それにかわるものとして、ワインの勉強をすべく、ドイツとフランスのワイナリーに、それぞれ一年ずつ在籍し、ワイン造りを学んだという。現在はここに暮らし、このワイン畑の管理を任されている。
朝食はワインとともに……ではなく、メイドが作ってくれた南インドの典型的な朝ごはんのひとつ、ウプマをいただいた。セモリナ粉をつぶしたものに、豆やカレーリーフ、ピーナッツなどが混ぜられている。おいしい。ちなみにウプマには、セモリナ粉の代わりに米を潰したものがメインのものもある。
ワイナリーの話も去ることながら、繁田女史、アニール青年のインタヴューが楽しそうだ。事実、インドにおける「デキる」若い世代のライフスタイル、生き様は、多様であると同時に、なにかしらの特徴があり、その点についてを話しの中から探り出すのは、極めて面白いのだ。
近々結婚するというフィアンセはバンガロールに暮しており、彼女もキャリアを持っている。彼自身は、喧騒の都会が嫌いで、この静かな場所で本を読んだりして過ごすのが幸せらしいが、彼女はどうなのだろう、遠距離結婚になるのだろうか……などと、余計な心配をしたりもする。
約50エーカーの土地。このごろは雨が少ないのが問題だという。一方で、空気が乾いていることから、カビの心配はない。水が少ない分、ぶどうは濃厚。KRSMAでは、収穫した果実重量の56%程度が、果汁として得られるという。ブドウの種類などにもよるのだろうが、彼曰く、ドイツでは平均して70%、ニュージーランドでは80%程度だとのこと。
ワイナリーの内部は写真を公開できないのだが、非常に清潔でコンパクト、機能的であった。貯蔵タンクを除いた重要な機材の多くは、フランスやイタリアから輸入されたもの。管理が行き届いているとの印象を受ける。
アニールの話で心に残った一つは、過剰な農薬を使わない、ということだった。なるたけハーバルなものを散布するようにしているとか。ニンニクやショウガ、チリ、アロエベラ、ニームなどを使った天然素材の農薬は、インドでは結構、普及している。
もっとも、それらでは追いつかない問題が発生した時には、適宜、薬を撒くらしいが、それでも極力抑えているとの話に、心なしか安心したのだった。
ほどよく冷んやりとした室温に保たれた蔵の、オークとブドウの入り混じった香りがもう、なんとも言えず、すばらしい。わたしの好きなサンジョベーゼは、このところ不作らしいという残念なニュース。カベルネ・ソーヴィニョンもいいのだが、個人的には軽やかなサンジョベーゼが好きなのだ。
というわけで、お待ちかねのワインテイスティング……といいたいところだが、訪問者がほとんどいないこのワイナリー。自分で買って、飲む。という流れである。
ここまで来て、この場で、飲まずにはいられようか、いや、いられまい。
というわけで、ほどよく冷えた白、ソーヴィニョン・ブランを開ける。
するとこれがもう、バンガロールで普段飲んでいるのとは格段に違う、芳香のよさ。味わいのよさ!
ワインとは、輸送や管理の状況で、味が劣化してしまうのは免れないのだな……という哀しい事実も認識しつつ、しかし、この場で飲むワインのおいしさに、感嘆する。
アニールを囲み、飲む語るオヤジ的日本女子。結局、朝から1本空けてしまった。わたしよりもはるかにお酒が強い、なぜか顔を隠す繁田さん。7割以上は、彼女が飲んだ。はず!
アニールのメモ。インドの人たち、こういう小さいメモ帳を携行している人が少なくない。アカデミックな人々にもよく見受けられる。今時の若者にあって、こういうアナログなメモ帳を使っているあたりにも、なんだかキュンとしてしまう。味わい深いアニール青年。
繁田さんの分6本も含め、計2箱分を購入。彼女はこのあと、フブリ経由ムンバイからさらにどこかへ出張が続くので、一旦バンガロールの坂田マルハン宅で預かることに。彼女の分、間違って飲まないように、しっかり確保しておかねば。
にしても、たっぷりと飲んだ後に、この箱を自ら運ぶ彼女のタフさよ。
酒への愛がほとばしっている。
最後に3人で記念撮影。もう、ここに来ることはないとは思うが、機会があれば、バンガロールで会いましょう!
ほどよく酔って、気分がよい我々。さすがに一瞬、うとうとしたが、何やら語り合ううちにも、時は瞬く間に流れる。
ハンピに近づき、川が迫るあたりには、白鷺と水田の光景が広がる。遠い昔、バリ島のウブドゥへ行ったときに、ライスフィールドをサイクリングしたことを思い出す。
取り立てて、何もない路傍に、遺跡らしきものが現れるさりげなさが、味わい深い。
ハンピに到着し、ドライヴァーの勧めに従って、可もなく不可もないという感じのツーリストホテルにあるダイニングルームで、可もなく不可もないという感じのランチ(インド料理)を食べる。その割に、結構、値段が高い。こういう観光地での食事、なかなかに「これだ!」というものに出合うのは難しい。
明日の朝にはハンピを発つ繁田さんに、行きたい場所を尋ねる。地図を眺めつつ、川向こうの「ハヌマーンの丘」が気になる様子。またしても、高い場所だ。結局、「入場料を払わねばならない、世界遺産に指定されている場所」には一切、立ち寄ることのなかった我々。
参考までに書いておくが、世界遺産を巡るためのパスは、外国人の場合、1日500ルピー。インド人の場合、数十ルピー(忘れた)。インド在住者は、AADAARカードを提示すると、インド人料金で購入できる。
ドライヴァーのロザリオに「川向こうに行く」というと、またしても「そこは遠い」「階段を575段も登らねばならない」「階段を上りきらないと、森のようになっていて、景色が見渡せない」「そんなことなら、さっきワイナリーの帰りに立ち寄るべきだった」など、なぜかいちいち、消極的。
1日の走行キロ数は300キロで契約しているし、それを超過した場合は然るべき料金は払うし、そもそも全然超過していないにもかかわらず、自分が行ったことのないところには、どうにもしぶしぶ感をアピールする。
変な奴だ。
ともかく我々は、川向こうの丘からハンピを眺めたいのだ。というわけで、丘に到着。どう考えても、森に囲まれて景色が見渡せないとは思えない、山の様子。ロザリオ。嘘をついてはいけない。
アンジャナ・ヒルとも呼ばれるこの丘。ハヌマーンのお母さんが、アンジャナというお名前だったという。
自分一人だったら、決して登ろうとしなかったであろう丘。膝が痛くなったら、途中棄権するから……などと言いつつ、登り始める。
休み休み、登るのだが、その都度、目前に広がる光景が麗しくて、より高みを目指してしまう。膝の痛みはあまり感じない。
今回の旅。デリーから来た繁田さんは「ハンピは涼しい」と言い、バンガロールから来たわたしは「ハンピは暑い」という。しかしこの高さまで来ると、わたしにとっても、心地よく、涼しい。
ちょうどこのあたりだったか、
「わたし、実は高所恐怖症なんですよ」
と告白する繁田さん。
はい?!
散々、高みを目指しておきながら、高所恐怖症とはこれいかに。
面白いことを言う人だ。
高所恐怖症の意味を理解していないのではないか、と察せられる。
中盤、ハヌマーンが憑依したのか、足取りが急に軽くなり、時折、階段を駆け上ってみたりする。岩山を抱えてみたりもする。
国民的ヒーロー、大切な神様であるところのハヌマーンが生まれた場所にしては、本当に地味。ハヌマーンの像の一つも欲しいくらい、地味。
「ハヌマーンが生まれた場所です」って書いてあるだけ。
日没までには1時間以上、あったのだが、ここで日没を見ずに丘を下るわけにはいかない。
というわけで、ここで風に吹かれながら、それぞれに、ぼ〜っと過ごしたのだった。
日没を見送ったあと、丘を下る。登るよりも、下る方が足腰に堪えるので、じわじわと、慎重に降りる。
贅沢な夕景に満足し、ホテルへ戻る。
昨夜、「少なめに」とお願いしていたはずの夕飯だが、むしろ昨夜よりもヴォリュームが増しているコース料理。
朝、ワイナリーで調達したカベルネ・ソーヴィニョンを開ける。なんかもう、本当においしい。幸せ。
夕飯のあとも、部屋の前のコリドーで、夕闇を眺めながら、グラスを傾けつつ、語り合う。
わずか2泊3日ながら、インドを語りながらの特殊な女史旅、想像を超えて、本当に楽しかった。
互いが持つインドに関する知識や見解のあれこれを、打てば響く感じで語り合い、共有できた相乗効果が、実によかった。