The Shivavilas Palace Heritage Hotel (ITC) where I am staying is located in the village of Sandur, about 40 kilometers from Hampi. Although it is inconvenient for sightseeing of Hampi, the hotel is really comfortable and valuable to stay.
Today, I visited the traditional craft facility where the Maharaja built the foundation. Gandhi has visited here in 1934, Khadi has been made. Embroidery crafts of the Lambani tribe is also remarkable. I feel that I am traveling far from my home but here is the same state as Bangalore. I am impressed by the diversity of India.
静かな朝。鳥の声で目覚める。世界遺産に指定されている遺跡の街、ハンピを観光しに来たとは言いがたい、今回の変化球な旅路。実は滞在しているホテルは、ハンピから約40キロ離れたサンドゥールと呼ばれる村にある。かつてのマハラジャのパレスを改築して作られたITC系列のホテルだ。
単にレヴューがよかったことで決めた宿。ハンピから遠いのが気になったが、ここを選んだのは本当に幸運だった。広々とした部屋、親切なサーヴィス……。長逗留したくなる雰囲気だ。
First half of the journey is over. Naho left Hampi this morning. She is based in Delhi and working in India about 10 years. It was really fun to share the time with her.
早朝、空港がある最も近い街、フブリに向けて出発する繁田さんを見送る。近いといっても約165キロ、4時間近くかかる。フブリ空港からムンバイに飛ぶという。詰まったスケジュールの合間を縫っての2泊3日。
長いドライヴも、車窓からの光景ひとつひとつが、この国の広さや多様性を物語り、お互い語るに尽きず。
「わたしたち、まだまだだね〜」
と、幾度となく、口にした車中。改めて、この国に対し、謙虚に向き合うべしとの思いを新たにした。
旅の鍵は、体力と好奇心だということを再認識しつつの、本当に楽しい二人旅だった。旅の第二弾、第三弾の実現も、近い将来また。
繁田さんを見送りしのち、ホテルの周囲を散策。そしてのんびりと朝食。
朝食が消化するころ、ボディマッサージを受けるべくスパへ。スパのクオリティは「まあ、普通」であったが、旅の疲労感を癒すのにはほどよかった。
マッサージのあとは、冷蔵庫で冷やしておいた白ワイン、ソーヴィニョン・ブランを。久しぶりの、のんびりとしたひととき。
ランチはルームサーヴィスで。ファンシーな食事は望むべくもない、スタンダードすぎるメニュー。クラブハウスサンドとフライドポテト。作りたてが、おいしかった。
このまま部屋で読書などしてのんびり過ごしたいところではあったが、せっかくの旅。少しは出かけたいものだ。
とはいえ、あまり遠出はしたくない。ハンピ観光は明日にするとして、ホテルの近くの寺院などがあれば行ってみようと、気軽にレセプションに尋ねた。
「地元の女性の職業支援をしている手工芸制作のNGOがあります」と勧められる。
前代のマハラジャが創設した地元の女性の職業支援施設で、350名もの女性たちが携わっているという。素朴なルームキーのキーホルダーが気になっていたのだが、どうやらこれは、そのNGOで作られたものらしい。
そこは行かねば! と急に気分が盛り上がる。
●スワデシ・スワラジ。ガンディの理念が息づく手工芸のNGOへ
ホテルから車で10分ほどの場所に、その施設 SANDUR KUSHALA KALA KENDRAはあった。
かつてガンディがこの地を訪れた際「南インドのオアシスだ」と表現したらしく、彼の銅像がある。ガンディが不可触民の子らをしてハリジャン(神の子)と呼んだ、その子らを慈しむように屹立する像。
広大な敷地の一隅で、まず目に留まったのは屋外で石を彫刻する人。
ナンディ像。他にもさまざまな神様の像が彫られていた。気にいるものがあれば、せっかく車で来ているのだから、買って帰ろうと思ったが、あいにく「これだ」というものに出会えず。しかし今、この写真を見るに、このナンディ像、魅力的だったと思う。庭に置けば、猫らがよじのぼること間違いなし、ではあるが。
マハトマ・ガンディが提唱したところの手紡ぎ、手織りの綿布、カディ。リズミカルな機織りの音が、部屋中に響き渡っている。心が高揚する。
チャクラで糸紡ぎする人あり、カディを織る人あり……。
スワデシ、スワラジ。ミューズ・リンクスのセミナーでは必ず触れるガンディの理念の一つ。
インドが独立するためには、自国の産業を確立する必要があった。しかも当時すでに多くの人口を抱えていた国にあっては、人々が「手に職」を持っていることが大切だった。
スワデシ(国産品)のないスワラジ(独立)は、生命のないただの屍に過ぎない。
そしてスワデシがスワラジの魂であるならば、カディこそがスワデシの根幹だ。
カディを身につけることは、インドの独立を象徴する一つの行いでもあったのだ。
インド独立運動の一環として、100年以上に掲げられたスローガンが、未だに息づいているインド。それが、目の前で一斉に展開されている様子に、目頭が熱くなる。
ここにはまた、ランバニと呼ばれる部族がいて、彼らの伝統的な刺繍仕事が反映されたテキスタイル製品が作られていた。彼らは遊牧民で、欧州のジプシー(ロマ族)が出自であるという。
カルナタカ州にも、欧州、中央アジア、アフガニスタンを流浪してたどり着いたジプシーが暮らしていたとは……!
またしても、心打たれて目頭が熱くなる。ジプシーの出自がインドとの説も聞く。インドの伝統舞踊であるカタックダンスが、フラメンコの原点であるとの話も聞く。
どの時代に、どのような往来が、展開されていたのだろう。
ジプシーの往来の歴史をきちんと調べねばとの思いを新たにする。
のちに友人のデヴィカにこの話をした。ランタンボール拠点のダストカールというインド手工芸の支援をするNGOの創設に関わり、バンガロールやカシミールで貧困層の女性たちに、手工芸を伝授し自立を促している彼女。
彼女が主催したカシミールの手工芸旅に参加したことは、わたしの大切な宝だ。
その彼女が、ダストカールに関わり始めた当初、この施設で手工芸の指導をしたのだという。
つながっている……と痛感する。
インドは本当に、広くて、深い。
わずか3日の旅の間にも、インドの多様性の「ものすごさ」を肌身に感じて、頭の中で整理がつかない。わたしが暮らすバンガロールと同じカルナタカ州だというのに。
地形も、自然も、食も、言語も、文化も、習慣も、数十キロごとに変化するこの国。
色柄や素材が異なる無数の布をパッチワークにしたような、この国。
たまらない。
NGOの訪問を終えたあと、ホテルから十数キロ先にあるクマラスワミ寺院を目指す。ここはハンピよりも古く建立されたという。道中の光景がまた、これまで通って来たものとは異なり、赤さが増す。赤土の赤だ。
この界隈にはかつて36もの鉄鉱の採掘場があった。2011年、当時のカルナタカ州知事による鉱山を巡る大汚職事件が取り沙汰され、州知事は辞任に追いやられた。州知事が、とある鉱山に違法に操業許可を与え、長年に亘り、違法に採掘させていた事実が明るみになったのだ。
州知事の家族が所有する財団に、この鉄鉱会社が多額の金を融通していたことも発覚。これは、お金の問題にとどまらず、環境汚染、密輸、劣悪な就労問題など、さまざまな問題をはらんでいる。
違法に操業する鉱山を取り調べるため18カ月もの間、全ての鉱山が操業停止を言い渡されたそうだ。結果、多くの鉱山が違法操業だったことが発覚し、残ったのは8つ。そのうちの一つが、インド鉄鋼大手のジンダル・スチール。ハンピを訪れる前、ジンダルの工場エリアを通過してきた。工場あり、発電所あり、住宅地あり、学校、ホテルあり……と、非常に整備された「ジンダル城下町」が道路沿いに広がっていた。
マハラジャもまた、鉱山を持っているとのことで、ホテルの一隅には、その模型と鉄鉱石が展示されていた。
バナナ畑の向こうに鉄鉱石を秘めた赤土を抱く鉱山、そしてボタ山……。見るからに、貧困が滲み出ているバラックのような住まい。今回の旅、どこへ行くにも、アンベードカルの肖像をあちこちで目にする。
いや、ここに限らず、インドの貧しいエリアでは、アンベードカルの存在は、偉大であるに違いない。
彼は、最低位カースト(ダリット/アンタッチャブル)出自でありながら、米コロンビア大学に進み、インド憲法の草案を作成、法律家、教育者として尽力、晩年には、ヒンドゥー教によるカーストの縛りから解放されるべく、約50万人ものダリットと仏教に改宗した。このあたりのことを、もっと丁寧に調べなければ。
アンベードカルの遺志を継ぐ日本人僧侶、佐々井秀嶺氏の話は、以前、耳にしていたが、今回繁田女史に彼のことを綴った本を勧められ、早速購入した。彼の拠点であるナーグプルを訪れたいと、強く思う。
思うところ多く、備忘録にはとどまりきれない記録。
鉱石を積んだトラックが暴走する、赤土に染まった山道を走り抜け、クマラスワミ寺院寺院へ。
こぢんまりとした寺院ながら、時間が途絶えたような、穏やかで清澄な空気に包まれている。ぼんやりと、しばらく、過ごす。
そして夕飯もルームサーヴィス。サラダを頼んだら、インド料理の生野菜付け合わせが出てきた。昼間も食べたはずのフライドポテトを再び。非常に偏りのある食生活だが、まあ、1日くらいはいいだろう。なにしろ、ワインが主役につき。