I went to the Dumbo area in Brooklyn today. I walked across the Brooklyn Bridge for the first time. The wind across the river was very comfortable and refreshing. Although the outward trip was cloudy, the return trip was endowed with a splendid blue sky!
今回のニューヨークは8泊9日の滞在。久しぶりに、ゆとりある滞在だったので、実は未踏だったブルックリンのダンボ地区へ行くことにしていた。と、折しもFacebookに、ブルックリン・ブリッジを歩いて渡ったことがニューヨーク旅のいい思い出だとコメントしてくださった方がいて、グッドタイミング!
そうだ、歩いて渡ろう! と即決定。
天気予報は「雨」だったが、幸い雨は降らず、行きは曇天。それでも、川面を渡る風を受けながら橋を渡るのは心地よく、途中でマンハッタン島を何度となく振り返りつつ歩く。
やがて左手の彼方に、自由の女神が見えた。思わず、合掌したくなる。
映画『ワーキングガール』の"Let The River Run”の旋律が脳裏に渦巻く。あの映画を初めて見たのは24歳のときだった。当時のわたしは、まさか自分が将来、マンハッタンに暮らすことになろうとは、思いもしなかった。
ダンボ地区を散策し、眺めのいいカフェでスパークリングワインとサラダでランチを取っているうちにも、空は徐々に晴れ渡り……。
結局は帰路も橋を歩いて渡ったのだった。曇りと晴れ。一日に異なる情景を楽しめて幸運だった。
最初はネットで仕入れた情報を元に、有名なピザ屋などでランチをとろうと思っていたが、川縁まで歩いていると、Empire Storesという新しいコンプレックスを発見。写真に載せているレンガ作りのビルディングがそれだ。その中にあるカフェテリアでランチを取った。
このビルディングには、ブティックやレストランが入っていて、とても雰囲気がいい。お勧めだ。
[New York 21] マンハッタンで、インパールを思う
Facebookのおかげで。今日はブルックリン・ブリッジを歩くに至った。そして夕刻、英国在住の梶岡潤一監督、主演による短編映画『インパール1944』の上映会及び講演会へ赴く契機を得た。
以前から訪れたいと思いつつ、機を得ていない旅先の一つ、マニプール州、ナガランド州。インパール作戦の舞台となった場所。
2014年、インパール作戦から70周年を迎える年に、そのインパール作戦を描く映画 “My Japanese Niece” という映画が公開されるはずだった。梶岡氏は、2012年に出演のオファーを受けていた。以来、撮影の準備などのために二度、渡印したにも関わらず、撮影は始まらず。わたし自身、この映画が製作されるというニュースをかつて目にして、その公開を楽しみにしていた一人だった。
結局、インパール作戦70周年追悼式典が始まっても撮影が始まらなかった。しかし、平久保正男著『真実のインパール』という書籍に感銘を受け、ご自身、なにもせずにはいられなくなり、初監督作品『インパール1944』を製作するに至ったという。
今回は、6日から2日間に亘ってアジア・ソサエティーで開催される「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト2018』にて、梶岡監督の作品『杉原千畝を繋いだ命の物語 ユダヤ人と日本人 過去と未来』が上映されるのに先立ち、『インパール1944』の上映会が行われた。
わかりにくい場所である上、よく知られるテーマではないだけに、来訪者は少なかったものの、アットホームな雰囲気の中、18分間の上映。インパール作戦そのものを描くというよりは、戦地へ赴いた人の命運とその後に対する問題提起のような内容だった。
戦争を終えて後、戦地で闘った元日本兵と元英国兵が、「敵と味方」という在り方で生き続けるのではなく、「若くして無念のうちに死んだ人」と「九死に一生を得て生き延びた人」という見方で捉え、生き残った者同士が国境を越えて、英霊を弔い、同時に次代に向けて平和を訴えるという生き様。
インパール作戦を生き延びた平久保正男氏は、戦後、商社に勤務。定年退職をしたあとの64歳から亡くなる88歳まで、まさに、英国でその活動を行い続けたという。その彼の物語が、この映画の軸となっている。
『真実のインパール』。この本もまた、読まなければ。
あれこれと思い巡らせ喧噪のストリートを歩けば、路傍にて、物乞う退役軍人。この国は、間断なく、戦争を続けている。