わたしが教職課程のある大学に進学したのは、「高校の国語教師」を目指していたからだった。
中学時代のわたしは諸事情あって、とてつもない反抗心の塊だった。家族との不和、友人とのトラブル。自分の撒いた種だったとはいえ、学校へ行くのが辛くてならない時期があった。
教師らとの著しい軋轢で、人生初のどん底気分を味わっていたころ、しかし同時に、「自分が学校の先生になれば、苦しい子供たちの心の声を少しはわかってやれるかもしれない」とも、思っていた。自分もまだ子供だったくせに、そう思っていた。
大学は、日本文学科へ進んだにも関わらず、しかし子どものころから憧れていた「海外」を訪れたかった。日本文学科には留学制度がなかったので、個人で業者を探した。そして大学2年、20歳のとき、初めて日本を離れ、米国西海岸で1カ月のホームステイをした。
その1カ月の経験が、人生を、進路を、大きく変えた。
福岡で高校教師になるかわりに、東京で出版関係の仕事に就いた。大学教授の計らいで、海外旅行ガイドブックを制作する編集プロダクションに職を得た。世はバブル経済華やかなりしころ、しかし食べて行くのに精一杯の薄給。
今でいうところのブラックな職場環境の極みだ。
DTP、インターネット、ワープロさえも使っていなかったころ。自分の「手」と「足」が勝負だった。そこで働きながら学んだ書籍やガイドブックの編集の仕事、スケジューリングの技は、自分なりの努力で磨きがかかった。
2年半の間に、わたしは台湾、シンガポール&マレーシア、スペインのガイドブック制作に携わった。その間、日本国内取材もあちこち、でかけた。
25歳のころ、創業したての小さな広告代理店に転職した。1990年、バブル経済が崩壊し始めたころのことだ。
その会社では、日本の石油会社大手が発行するクレジットカードの請求書に同封される小冊子を作っていた。
小冊子の目玉は海外特集。その石油会社がある国でドライヴするという前提だった。わたしはその企画・編集、すなわち制作の仕事を任された。
インターネットがない時代。書店や図書館、各国政府観光局に赴き、資料を大量に持ち帰っては読み込んで、取材先の企画を立てた。
27歳でフリーランスとして独立するまでの2年半で、カナダ、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランス、スウェーデン、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコをなどを取材した。
今思えば、恐ろしいほどの過密スケジュールで、たいへんな失敗をしたこともある。その話に言及すれば、益々長くなるので、割愛。
休暇では、中国、インドネシア、モンゴルなどを、バックパッカーで旅した。モンゴル旅はまた、格別に稀有な経験ができたので、ボーナスをつぎ込んで旅日記を自費出版した。まるで小学校の文集のような、手作り感のある冊子ではあったが、それはわたしにとって初めての、出版物だった。
旅の企画書にスウェーデンを入れたのは、子どものころから行ってみたいと思っていた場所のひとつだったから、というのもある。幼稚園児のころ、学研の子供百科を愛読していたのだが、そこに「スウェーデンの踊り」という写真があった。民族衣装を着た男女が踊っているその写真が印象的だった。
取材同行を依頼していたライターの女性と相談したら、「ガラス王国がいいのでは?」と提案された。調べてみれば、なんとも魅力的だ。そこを取材のメインにした。
取材時、まずはデンマークのコペンハーゲンに入り、そこから高速船でスウェーデンの最南端、マルメに入った。そこでレンタカーを借り、北へ向かって旅をはじめた。
カメラマンの男性とともに、夕暮れ時、黄金色に包まれた麗しき港町、マルメを眺めつつホテルへチェックインし(確かサヴォイホテルだった)、一足先に現地入りしていたライター女史と合流、そのホテルのアンティークな風情に心を奪われたことを、ついこの間のことのように思い出す。
スコーネ地方、ベクショーやボーダなどのガラス王国、エーランド島……。初夏の緑と淡い色合いの花々が揺れるドライヴルートは、夢のように麗しかった。
ストックホルムはあくまでも旅の最終地点。1泊しただけで帰国したので、今回が2度目とはいえ、初めてのようなものである。
夕べは熟睡できたこともあり、朝から頭が冴えて、延々と綴ってしまった。
今日はこれから朝食だ。夫がミーティングに出かけている間、街の様子を眺めにゆこう。
◎朝食のスウェーデン料理を味わいながら、遠い日の食を思い出す。
思い返せば、27年前にスウェーデンを訪れて以来、「スウェーデン料理」にしっかりと向き合ったことがないということに気づいた。
たった今、ホテルで朝食をすませたのだが、その個性に心が躍った。先日、英国を訪れたときには、数十年前とは異なり、明らかに欧州の食のグローバル化、すなわち「どの国でも同じような料理を食べられる」ことを肌身に感じた。イタリアン、フレンチが違和感なくそこにあった。
ストックホルムの空港もまた、目に入る限り、ボーダレスの雰囲気だった。
しかしここの朝食は、いきなり違った。「似て非なる」が、しっかりと、浮き上がっていた。
夕べに引き続き、山ほどの乾燥したフラットブレッド、クリスプブレッド。パンも多彩な穀物が用いられた、よく噛んで食べなさいと言わんばかりの、どっしり、がっつりしたものが並ぶ。
それらを、自らガシッと掴み、歯の粗い包丁で、力を込めてグイグイと切る。
乾いたパンに合うチーズもまた、あれこれと。欧州は、本当に、乳製品が豊かだ。インドもまた乳製品が豊かだが、発露が仕方が全く異なる。
海洋王国を胃袋で感じさせる、キャビア(タラコ)のクリーム、スモークサーモン。マヨネーズ風のあれこれ。ニシンやタマネギのマリネは、思いのほか甘みが強く、ほのかな酸味。
マリネ類は、遠い昔、バイキングの時代からの食文化であろう。肉類もまた豊富で、ハムやソーセージも滋味がある。スクランブルエッグも、マッシュルームのソテーも、素材の旨味が滲んでいる。シンプルなのに、おいしい。
27年前の取材時には、ガラスを焼いた余熱を使って調理する「ヒットシル」を体験した。あれはコスタ・ボーダあたりだったか、ガラス工場の一隅にあるダイニングホールで、ニシンやジャガイモなどのグリルを楽しんだものだ。
そういえば、エーランド島のご家庭でいただいた、ミートボールとジャガイモ、それにベリーのソースをかけての料理が、ことのほかおいしかったことを思い出す。
そして特筆すべきは、ストロベリージュースにはじまる豊かなベリー類。この国は、ベリーが豊かな国だということを思い出す。
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スウェーデン映画といえば、イングマール・ベルイマン監督。スウェーデン取材から戻ったあと、名作『野いちご』を見た。あの、モノクロの、針のない時計のシーンの、なんとも強烈な印象だったことか。
もうひとつ、印象的なスウェーデン映画に、ロシア人映画監督のアンドレイ・タルコフスキーが制作した『サクリファイス』がある。
朝から過去の記憶がわき出して、なかなか部屋を出られない。
さて、現在10時半。打ち合わせを終えた夫と合流する2時まで、このホテル界隈を、のんびり散策してみよう。
夫は本日、ミーティングが2本。わたしは束の間、自由な時間。
今回滞在しているホテル。映画をモチーフにした内装だが、かつてはPubというデパートメントストアだった。往年の名女優、グレタ・ガルボは、そのデパートの婦人帽子売り場で働いていたのだという。故に、映画に因んだモチーフが随所に見られるというわけだ。
スウェーデン人女優といえば、イングリッド・バーグマン。映画『カサブランカ』の彼女の美しさといったら! 知的に愛らしく麗しく、自らの愛に直球(世間では「不倫」と呼ばれる)で生きた女性。
さほどスウェーデンと関わりなく生きて来た気がしているが、しかし、そこここに、あったということに気がつく。力持ちの少女、『長靴下のピッピ』もそう。
ホテルの前の市場には、山のような花、そして山吹色のマッシュルームと赤い木の実がたっぷり。
なんとなく引き込まれたハンバーガーとビールの店でランチ。スウェーデン料理とは関係ないが、ビーフパテが極めておいしく、満足であった。食べ過ぎた。
北欧のデザインの、独特の色遣いと美しさ、楽しさ。
看板の、アルファベットの扱いさえ、独特。文字を四角に納めたり、縦横自在に配したり。
オールドタウンを散策しつつ、たまたま目に留まったファッションブティック。オーガニックコットンなど天然素材の、やさしげな衣類やラグ、インテリア・リネンが魅力的だ。ストックホルム在住の女性が起こしたファッションブランドだという。77歳、今でも現役なのだとか。
着心地のいいトップを見つけたので、購入した。インドに移住して以来、化繊が苦手になったので、肌に優しい素材はうれしい。
別の店では、植物がモチーフになったテーブルリネンやポーチ、バッグ類に引き込まれて、しばらく過ごす。この店もまた、Made in Sweden。ここだけの店だという。子供のころから好きだったデイジー柄、そして植物柄のテーブルランナー、そしてついつい、猫柄のバッグを買う。
随所で見かけるアンティークショップ、そしてガラス製品のブティック。ただのんびりと、街を歩いているだけで、楽しい。
旧市街(ガムラスタン)を散策していたら、遠方に麗しい教会が見えた。黒い尖塔、レンガ作り、黒地に金色の針。何様式というのだろうか。初めてベルギー取材をしたときに、この教会を目にしたときには、独特の重厚さに、心を動かされたものだ。
引きつけられるように近づいて、中へ入ってみた。スウェーデン王室の墓所ということで、入場料も取られるのだが、せっかくだから入ってみることにした。
歴代の国王の紋章が連なる中、目に留まったオリエンタルな文様。よく見れば、蒋介石の名前が。なぜ、ここに蒋介石? 更にはタイ国王の名前もある。もしや……と思って探したら、菊の御紋に昭和天皇のお名前が。世界各地のロイヤルファミリーの歴史を刻んでいるのだろうか。理由はよくわからぬが。
夕方まで、旧市街を歩き、夫と合流したあとは、ノーベル博物館へ。入るなり、どっと疲労感に襲われて、見入る根性は損なわれていた。旅は長い。ぼちぼち行こう。
夕食は、前夜の料理が忘れられず、再び同じシーフード店へ。軽めにすませたかったのだが、一皿のポーションが大きくて、おののく。昼間、ハンバーガーを完食したのが悔やまれる。
夫は白身魚とムール貝のグリル、わたしは本日のおすすめチキン。おいしかった。しかし、食べきれなかった。この記録を書いている今@バンガロール、食べたい。無性に食べたい!