ドレスデンを訪れるに際しては、再建された聖母(フラウエン)教会を見ることが最大の目的で、あとはすでに過去2回訪れていたから、ツウィンガー宮殿のミュージアムを再訪できればいい……くらいに思っていた。
ところが、24年の間にも、聖母教会だけでなく、旧市街のホテル周辺、半径200メートル以内の各所で、再建が進み、新たな見所が生まれていたのだった。
1945年の空爆で壊滅的な被害を受けたこの町は、戦後も地道に復興のための再建工事が行われており、東西ドイツが統合する前に、ツヴィンガー宮殿やゼンバー・オペラなどの建物は整えられていた。
しかしその後も、町の随所で、再建は続けられており、今日訪れたレジデンツ宮殿もまた、2006年に完成したという。
もっとゆっくりと過ごしたかったとの思いを抱きつつ、足早に、いくつかのミュージアムを巡る。
この町の歴史や見所を詳細に綴りたいところではあるが、取りあえずは、今日訪れた場所の写真を残しておきたい。
絞り込んで絞り込んで、何十枚になるだろう。
ドレスデンはすでに、冬のような寒さ。朝は寒さに凍えそうになりつつも、町を散策する。あいにく終日曇天であったが、雨が降らなくて幸いだった。
◎マイセン窯の歴史。シルクロードを辿ったボーンチャイナ、古伊万里、柿右衛門
24年前、すでに大まかな再建は住み、ポーセリン・ミュージアム(陶磁器コレクション)に入ることができたものの、がらんと殺風景な印象が否めなかったツヴィンガー宮殿。歳月を経て、ミュージアムは陶磁器館のほか、絵画館、数学・物理学博物館も完成していた。
ザクセン公アルブレヒトによって、アルベルティン家の宮廷都市となったドレスデンは、16世紀頃から、エルベ川河畔に発展し始めた。ドレスデンが最も発展したのは、18世紀初頭、フリードリヒ・アウグスト1世の時代で、彼の時代にバロック様式の壮麗な建築物が次々と建立された。
ミュージアム群に所蔵されている宝物の数々は、アウグスト1世の時代に、世界各地から集められたものである。
陶磁器コレクションもそのひとつ。マイセン窯の陶磁器類は、中国の白磁や日本の古伊万里の装飾の影響を受けて変容してきた。ドレスデンは古伊万里のふるさと、佐賀県有田市と姉妹都市でもある。
この陶磁器館では、中国や日本から渡って来た陶磁器類のほか、マイセンが両国の陶磁器の影響を受けて製造した作品の数々も展示されている。
特に有田の「(酒井田)柿右衛門」の作品は好まれたようで、マイセンにも「KAKIEMON」シリーズがあるのだった。
それはさておき、陶磁器の展示説明の場所に、
「日本では17世紀初頭まで、ポーセリン(陶磁器)は製造されていなかった。豊臣秀吉によって、朝鮮半島から強制連行されたコリアンの陶工たちによって、有田焼は育まれた」
ということが、ばっさりと言及されている。事実ながらも、日本人にしてみれば、苦い史実でもある。
展示を順に巡って行けば、マイセン窯の、黎明期の簡素なものから、デコラティブで精緻なものまで、時代の流れが見られて興味深い。他にも見るべき場所はたくさんあるのに、ここだけで長い時間を過ごしてしまった。
ツウィンガー宮殿のエントランスには、白磁のマイセンで作られたカリヨン(鐘)がある。これが1日数回、音楽を奏でる。
ツヴィンガー宮殿の庭園や建築物は、一部修復作業が行われていたものの、概ね、改修作業は終えているように見えた。
古い建築物を再構築するに際しては、外観は過去のまま、しかし内部は現在の利用目的の便宜を図るべく、利便性の高い空間になっている。
聖母教会のドーム同様、多くの人たちが訪れることを想定して設計されているので、中に入ると近代的な建築物の中にいるような錯覚を起こすくらいだ。
今回の旅。24年前に撮影したドレスデンのポジ(ポジティヴフィルム)を何枚か、持参していた。DTP(コンピュータによるデスクトップパブリッシング)以前、印刷媒体を制作するには、写真をポジで撮影する必要があったのだ。
一般的なネガ(ネガティヴフィルム)よりも、フィルムも現像代も高く、ゆえに1枚1枚、丁寧に撮影したものだ。3カ月旅の荷物の3割近くは、フィルムで占められていた。
いくらでも好きなだけ、デジタルに撮影できる今となっては、信じがたいほど異なる価値観。
しかし、被写体をじっくりと吟味して、1枚1枚撮影するほうが、反射神経や集中力が鍛えられ、感性や審美眼が磨かれてようにも、思うのだ。
◎小規模ながらも味わい深い作品群。ラファエロの天使らもそこに。
ツヴィンガー宮殿内のアルテ・マイスター絵画館もまた、快適な空間だった。パリの滞在中にも言及したが、昨今の都市部における有名ミュージアムは、どこもたいへんな人出でゆっくりと作品を鑑賞することが困難だ。
そんな中、ドレスデンはまだ、比較的マイナーな旅行先だということもあり、中国人団体バスツアーの一行を見かけこそすれど、さほどの喧噪ではない。
絵画館には、けだるい表情の二人の天使でおなじみの、ラファエロ作「システィーナの聖母」も所蔵されており、ゆっくりと鑑賞することができた。
我が好みのフランドル絵画や、イタリアルネッサンスの絵画も豊かだ。ルーベンス、レンブラントなど著名な画家の作品も少しずつ所蔵されており、コンパクトに見て回れるのが魅力的でもあった。
とはいえ、ドレスデンの滞在は2泊3日。ゆっくり過ごせるのは1日しかなく、見て回りたい場所が多すぎて、足早に去らねばならなかったのが悔やまれる。
近い将来の再訪を心に決めた。
◎とてつもない財宝の海。そして最高に価値の高いダイヤモンドはインドから
ツヴィンガー宮殿に隣接するレジデンツ宮殿は、ザクセン王アウグスト1世の居城でもあった場所。何人もの妻(愛人?)を持ち、子供が何百人もいたとの説もあるらしい。
このレジデンツ宮殿内にある財宝のギャラリーが凄まじい。美しいなどという形容を超えて、すさまじい。
貴金属で作られた調度品……と呼べばいいのか、豪勢な置物類が、これでもかというほどに展示されている。戦時中、これらはどこへ避難していたのだろう。
中でも目を見張ったのはムガール帝国(インド)の王宮をイメージして作られた置物。
そして、「このミュージアムで一番、高価である」と記されていた、このインド産のダイヤモンド。グリーンダイヤモンド41カラット。
世界最大のダイヤモンドとして、ホープダイヤモンド(45.52カラットのブルー・ダイヤモンド)がワシントンD.C.のスミソニアン・ミュージアムに所蔵されているのは、何度か目にして知っていたが、このようなダイヤモンドもあったとは。
No one knows how it came from India to Dresden or how much it cost.
「この(ダイヤモンド)の値段がいくらで、どのようにしてインドからドレスデンへもたらされたのか、誰も知らない」
と書かれているが、いかがなものか。どう考えても他の財宝や遺跡など価値ある品々同様、英国がインドから略奪したものが、欧州諸国にもたらされたに違いない。
宝飾や貴金属類の豪奢さに驚き、武器展示館の迫力に圧倒される。
ここもまた、本気で鑑賞すると丸一日はかかるので、足早に館内の半分しか見て回る余裕がなかった。
さほど興味はないので軽く流したが、しかし思わず写真を撮らずにはいられなかった。
馬もたいへんだっただろうな……と、思う。
ドレスデン最終夜、ゼンパー・オーパー(オペラ劇場)へ。ワーグナーが1843年から1849年まで指揮者を務めており、「タンホイザー」を初演したのは、このゼンパー・オーパーだったという。その壮麗な建築物からして、タンホイザーがよく似合う。
しかしこの夜は、バレエを鑑賞したのだった。演目は、『ラ・バヤデール』(La Bayadère)。奇しくもインドの物語に着想を得たもので、 「インドの舞姫」という意味だ。1877年にロシアのレニングラード・キーロフ劇場で初演されたという。ロミオとジュリエット的悲恋の物語である。
このバレエが、想像を遥かに超えてすばらしかった。劇場の雰囲気や音響がいいのはもちろんのこと、演出、パフォーマンス、すべてにおいて、引きつけられた。
特に、『白鳥の湖』を彷彿とさせる、敢えていえば「ジャングルの白鷺」的、幻想的なシーンは、本当に印象的だった。調べてみたところ、振り付けは、『白鳥の湖』、『くるみ割り』などの名作を手がけたフランス人のマリウス・プティパだという。道理で似ているはずである。どちらもニューヨークのリンカーンセンター(ニューヨークシティバレエ)で見たが、大好きな作品だ。
ちなみに、ニューヨークよりもかなり廉価で、気軽にチケットを購入できるところもすばらしい。
思えば24年前。ゼンパー・オーパーで観劇すべく、予約を入れたいとホテルのフロントに相談したら「予約なしで直接、見られる」と言われた。ゆえに、バックパッカーらしからぬ、パリで買っておいたシャネルスーツ風を着込んで、いそいそと出かけたにも関わらず、結局はその場でチケットは買えず、門前払いを受けた苦い思い出があった。
24年後、ようやく、中へ入ることができた。よかった。