実家を離れる前に。父の形見の数珠と般若心経扇子を持ち帰ることにした。
そして、何十年も使われていない書棚を開く。すべてを、インドに送りたくなる。
1970年代に父が購入した、ほとんど、手つかずのブリタニカ国際大百科事典。しかし、購入以降、毎年届いていた「国際年鑑」は、当時からパラパラとめくっていたことを思い出す。
なにげなく、1984年版を手に取って、パッと開いたページが「インド」だった。最早「マジシャン並み」である。
日本の経済も、そして父の事業(建設業)も、高度経済成長の波に乗って右肩上がりだったころ。今思えば「瞬間的」だったとしか思えぬ、日本のバブル経済と、父の事業の繁栄。その羽振りがよかった時期の名残が、本のページから滲み出る。
母が愛読していたという、主婦の友社から発行されていた『Dame』という雑誌の、クオリティの高さに目を見張る。雑誌と呼ぶには憚られるほどの、重厚感ある内容だ。古びた昭和の写真が懐かしい一方、上質なライフスタイルを提案するグローバル視点の記事が、今も新鮮だ。
海外のロイヤルファミリー紹介、名窯巡り、伝統的な手工芸の紹介、名画、名酒、グルメに音楽……。学べる記事が凝縮されている。
遥か遠い昔に乳がんで他界したジャーナリストの千葉敦子。彼女のニューヨーク・レポートが連載されていて、ぐっとくる。田辺聖子、宇野千代、平山郁夫……今は亡き人々のインタヴュー記事も興味深い。
これほどまでに掘り下げて取材し、丁寧に編集した雑誌を「商業誌」として制作するのは、今の日本では多分、不可能だろう。調べてみたところ、発行されていた期間は、1984年から1987年という短い数年間。まさにバブル経済のまっただ中の「作品」である。
かなり重いが、気になる数冊をインドへ送ることにした。さて、今日はこれから下関へ向かう。福岡では、かつてなく、連日好天に恵まれたことをありがたく思う。また、来年!
I left Fukuoka and came to Shimonoseki today. Shimonoseki is a port town located in the westernmost part of Honshu. The reason why I visited this town is that I will do lecture at my alma mater, the Baiko Gakuin University tomorrow. I checked in a seaside hotel with a nice view overlooking Kyushu on the other side. It is a nostalgic sight.
千早から鹿児島本線に乗り、小倉から山陽本線に乗り換えて下関へ。我が母校、梅光学院大学(旧梅光女学院大学)で講演をするため、懐かしき海峡の街に1泊する。
2001年に、梅光が女子大から男女共学に変わったとき、わたしが通っていた山陰本線沿いの梅ケ峠という山々に囲まれた超田舎の、しかし風情あるキャンパスは閉鎖された。
2002年、拙著『街の灯』が出版された折、現キャンパスの位置する梅光学院大学へ、講演へ訪れた。そのとき以来ゆえ、今回は16年ぶりの訪問となる。
現在、梅光学院は、教育のグローバル化を目指して大改革が行われている。今回、わたしをお招きくださった高橋氏、そして学長、副学長とともに、先ほど夕食をいただいた。お話を伺うにつけ、時代の流れに見合った教育の重要性と、一筋縄ではいかない変革のプロセスを思う。
わたしも微力ながら、海の外へ飛び出した者のひとりとして、世界に開かれた目を持つことの楽しさを、学生たちに伝えることができたらと思う。
海峡越しに本州を望む、埠頭にあるこのホテルからの眺めはすばらしい。
わたしは大学3年のとき、大学祭実行委員長をつとめ、勉強もそこそこに、ほぼ半年以上、「画期的な学園祭」を実施すべく、東奔西走していた。高校の国語教師になるつもりで大学に進んだはずが、大学2年の夏、ロサンゼルスで1カ月間ホームステイをして、視界が開けたのだ。
あのころのわたしは、コペルニクス的大転回に、頭が少々ぶっ飛んでいたようでもあった。あの夏、新たに生まれ直した気さえする。
大学祭実行委員長をしていたときの活動記録ノートは、今でも自宅にある。明日の講演で使うべく、何枚か写真を撮って来た。
(Photos: 1986) 大学側から出る学園祭の予算は極めて少ないため、パンフレットを充実させて広告費で稼ぐことにし、主要スタッフとともに、地元の商工会などに足を運んだ。それだけでは飽き足らず、地元「六大学」のグループを結成して、男子校の学生らと、互いに助け合った。
更には、地元の商工会の人たちと交流を図り、地元のイヴェントを手伝う代わりに、広告費を出してもらうという契約なども取り付けた。
(Photo: 1986) 当時、第1回目だった『巨大ふぐ鍋祭り』や、下関の一大イヴェント『馬関祭り』では、今でも梅光の学生たちが手伝いをしているという。32年前のわたしたちが始めた活動が、今でも続いているとは、感慨深いものだ。
(Photo: 1986) 大学時代の写真は極めて少ないのだが、たまたまこの埠頭で行われたイヴェントの写真が見つかった。NTTのイヴェントの手伝いをしたときには、シーナ&ロケッツの二人に出会えて大感激だった。まさに、今このホテルの目の前の埠頭で、写真を撮影している。
回想は尽きず。そろそろ明日に備えて寝るとしよう。