今年は「読書をしよう」と決めたはずが、まだ1冊も読了していない。新居の「月光ライブラリ」は、我がブログの保存版「深海ライブラリ」と対をなす存在。天窓から降り注ぐ陽光、もしくは月光。たまたま見つけた「月面のようなカーペット」がお気に入りだ。
先週末は、夫と二人、久しぶりにのんびりと新居で過ごした。思い返せば、10月の一時帰国以降、ホリデーシーズンやら来客やらイヴェントやらで、空白の週末がなかったことに気づく。平日に余白を取ってはいたけれど、静寂の週末も大切だと気づく。
カーペットの上に座り、月光ライブラリに佇んでいるだけで、満たされた気分になる。
本の背表紙を眺め、パラパラとめくって、紙を撫でて、目に留まる部分を走り読み、読んだ気分になっている。「この本を読みたい!」と購入する衝動に、読書をする時間が追いついていない。昔はそんな自分を責めたりもしたけれど。
これはこれで、いいのかもしれない。
最後の写真は、新居に移った際、文庫本を書棚に移している時のもの。大学時代に読み漁った文学。黄ばんで汚れ、破れた本に歳月の流れと愛着を見る。
若かりしころの読書、映画鑑賞、そして世界旅は、今のわたしを育む上でかけがえのない財産だ。それは、歳を重ねるほどに痛感する。40代を過ぎて読んだり観たりした作品よりも、10代、20代、30代の作品から受ける感銘は、時間的には遠いのに、深く心に刻まれて忘れないから。
ゆえに、この「月光ライブラリ」。若き人たちにも活用してほしいと思う。1冊の本が、1本の映画が、人生を変えることもある。
しかし、若きただ中にあるときには、そのことに気づかないものでもあり。この情報が溢れかえっている時代においては殊更に。地図を広げて、地名を、道を、指でなぞり、旅を夢想するひとときの心の高まりなど。決してGoogle Mapでは得られない、無垢な高揚がそこにはある。
今から約30年前。フリーランスのライターとして東京で働いていたころに出合ったこのコピーを、折に触れて思い出す。
当時わたしが抱えていたプロジェクトのサポートしてくれていた、コピーライター志望の学生。
在日コリアンの金さん。彼女が学校で作って評価されたと話していたコピーだ。あれから歳月を重ねて、この言葉が身に沁みる。
日本を離れる時、米国を離れる時、たくさんの本を処分した。それでも子供のころから捨てられないままの絵本や、一時帰国の際に買い集めた本。ここ10年は、たとえ割高でも、日本のアマゾンで注文して取り寄せる。
これらの本は、わたしと日本、わたしと日本語をつなぐ、大切な存在でもあるのだ。
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