ありがとうという言葉。これは、有ることが難しい、すなわち「滅多にないこと」に対する感謝を伝える言葉、「有り難い」からきている。仏教用語とも言われている。今となっては、手書きの手紙の存在自体が「有り難き」ものとなってしまった。
昨日から、超絶久しぶりに、旧居の書斎の掃除をはじめた。1日では到底終わらず。
COVID-19パンデミック以前。夫はオフィスに勤務していたから、2階の書斎はわたしがほぼ、独占していた。しかし、2020年3月のロックダウンを機に、夫が在宅勤務となった。二人で1つの書斎をシェアするのは不自由につき、わたしは1階のダイニングルームを自分の書斎にした。
かつて、ここはミューズ・クリエイションのメンバーが毎週金曜日、手工芸品などの制作に使っていた部屋でもある。書斎よりも広く、庭にも通じており、ロックダウンの日々においては、こちらの方が好都合であった。やがて新居の完成に伴い、気持ちは新居を整える方に傾いた。書籍や資料など、半分以上は新居に移したものの、まだまだ旧居にも残されたものが多い。
そもそも、新居が完成した暁には9割程度の生活機能を移す予定だった。しかし、未だコミュニティ全体が工事中で、猫らの引っ越しも不可能なことから、2拠点を行き来する生活が続いている。当初は、どっちの家に何があるかわけがわからなくなっていたが、1年半経った今、かなり慣れた。しかし、中途半端に放置された旧居の書斎が、ずっと気になって仕方なかった。
2007年に引っ越して以来、幾度か大掃除をしてきたとはいえ、まだまだ仕分けが必要な古い書類などが残っている。掃除を開始するには「えいやっ!」と気合を入れる必要がある。その気合が入らないまま2年が経過。このままではいけないと、ようやく昨日、重い腰をあげたのだった。
かつては捨てられずにいた紙の資料などを捨てる。雑誌なども捨てる。もう、3年も不要だったのだ。要らないのだ。しかし、思い入れのある書籍やノートは捨てられない。大学時代の教科書も、捨てられない。そして、大掃除にありがちな「昔のものを紐解いて読み始める」モードに入ってしまい、作業がいちいち滞る。
そんな中、資生堂パーラーのサブレの空き缶に収められた手紙を、久しぶりに紐解いた。帰任されたミューズ・クリエイションのメンバーからの手紙だ。たちまち、記憶が遡る。
やっぱり、手書きの手紙はいいなあ。たとえ短い一言でも、肉筆の手紙を一瞥するだけで、その人のことがありありと思い返される。のべ228名。今となっては全員の名前を思い出すことはできないけれど、こうして手紙をくださった人のことは、決して忘れることはない。
この缶は、ミューズ・クリエイションのメンバーと、時間を共有した証のひとつ。プライスレスな宝物だ。また蓋をして、猫らの手には届かない「大切なものを収める戸棚」にしまいこむ。
ミューズ・クリエイションの在り方など。心許なくなった時などに読み返し、自らを鼓舞する。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。