昼間、竜樹連峰を登ったこともあり、かなり疲れてはいたけれど、次、またいつ来られるかわからない。マンセル遺跡もまた、しっかり眺めておきたく、南天鉄塔のあたりを探索後、仏教僧院へ足を伸ばして、その跡地をゆっくりと巡る。ナーランダの仏教遺跡とよく似た姿をしたこの僧院。1,500年以上前に建造されたというここも、積み重ねられたレンガが基礎だ。
当時のレンガ建築にはコンクリートの繋ぎがないため、びっしりと強固に積み重ねられている。上部の「つなぎ」がある部分は、おそらく発掘後に修復された箇所であろう。昨今は観光客が立ち入り、自由に登れることもあり、老朽化が加速しているように見受けられる。歪み、崩れ落ちるレンガもまた、ありのままとして手を加えないのが、むしろ自然なのかもしれない……とも思う。危険ではあるけれど。あるいは今後、修復が施されるのだろうか。
今回、インド観光局 (Incredible India)のサイトにも、ナーグプルの見どころのひとつとして、このマンセル遺跡が紹介されていたことから、この先も観光客は少なからず増えることであろう。ちなみに、南天鉄塔があったとされる場所をして、以下のように描写されている。
As you explore further, you will reach another majestic structure that served as the residence of the Vakataka king, Pravarasena II (400-415 CE), and is known as Pravarpura.
ここは、ヴァカタカ王朝のプラヴァナセナ2世(西暦400-415)の居城だった……との記述がある。調べてみるに、なじみのある方々のお顔が出てきた。プラヴァナセナ1世は、アジャンタ石窟寺院群の壁画に描かれていた人物のひとりだ。ヒンドゥー教の歴史と仏教の歴史とが混沌と入り混じり、なにがなんだか。専門家ではないわたしが言及するのは憚られるので、この辺にしておく。マンセル遺跡や佐々井上人に関する書籍の多くを、すでに購入しているが、読み切れていない。読破すれば理解も深まるのだろうが、脳みそが追いつかない。
ともあれ、地中に埋もれたまま悠久の歳月を重ねたこれらマンセル遺跡が、一人の日本人僧侶の熱情と使命感によって発掘されたというのは、揺るぎなくも偉大なる事実である。今回の旅もまた、未消化のまま、この遺跡からの芒洋たる情景を、茫然と眺めるばかりだ。
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