コプト地区で最も有名なエル・ムアッラカ教会。ローマ時代に建造されたバビロン城の南門の上に建立されていることから「吊るされた」という意味のアラビア語「ムアッラカ」と呼ばれるようになったという。英語名はハンギング・チャーチ。7世紀に創建されたのち、破壊、再建、改修を繰り返したとのことで、かなり複雑な構造の教会だ。
陽光降り注ぐ中庭の壁を彩る何枚かのモザイク画。3枚目の写真は、ヨセフが啓示を受けている場面、4枚目は聖家族がエジプトへ逃避している様子だ。ピラミッドが、目的地がエジプトであることを教えてくれる。このストーリーを理解するには、『新約聖書』中の「マタイによる福音書」(2章13-15) で描かれている世界を知る必要がある。以下、引用しているので、参考までに。
欧州の教会を彩るステンドグラスや絵画、またキリスト教絵画において、しばしば描かれている主題でもあり。わたし自身、若いころ欧州各地を旅し、放浪し、無数の教会や美術館に立ち寄ってきた。さまざまな土地の、さまざまな時代、さまざまな画家によって描かれたその世界を、眺めてきた。
ゆえに、その舞台が現実に、ここに在ったのだということが、とても興味深い。
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「ユダヤ人の王」(イエス・キリスト)の誕生を知ったヘロデ王は、自らの王位が脅かされることを恐れ、イエスの殺害を企てる。しかし、イエスの養父であるヨセフに危険が伝えられ(啓示)、彼は幼子イエスとマリアを伴い、エジプトへ避難し、殺害を免れた。
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2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。
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この聖家族の「エジプト逃避」から、「幼児虐殺」は、一連の流れの中で記されている。幼児虐殺とは、ユダヤ人の王がベツレヘムに誕生したと知ったヘロデ王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた出来事だ。その残酷なシーンを描いた絵画もまた、数多くある。
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エル・ムアッラカ教会の内部に入れば、その独特な重厚感に引き込まれる。天井を仰ぎ見れば、木造の屋根。これはノアの箱舟を模しているのだという。9枚目の写真、床のガラス窓をのぞくと、バビロン城の南門だった部分に3本の古い梁が施されているのが見える。窓の外には、やはりバビロン城の遺構が見下ろせる。
最後の写真は、教会内に所蔵されている110点のイコン(聖像画)の中でも最も古いもの。8世紀ごろに描かれた聖家族。
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