一昨日の夜、友人のNamuが、夫のVivekと共に経営するアートギャラリー「KYNKYNY」が主催するAvijit Duttaの個展のオープニング・パーティに訪れた。今やバンガロールの風物詩となっている「Vegan Market」の主催者でもあるNamuのことは、これまでも幾度か紹介してきた。とても印象深く心に刻まれた夜だったので、写真を多めに残したく、2回にわけて投稿する。
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大地を潤した雨があがり、涼風が心地よい夕暮れどき。わたしたちは、渋滞と喧騒の市街を、普段より時間をかけて通過してのち、会場に到着した。樹木が枝を伸ばす鬱蒼の広い庭。その直中にぽつんと浮かび上がるバンガロー(bungalow)。まるで映画の中に紛れ込んだかのような別世界が待ち受けていた。
車を降りた瞬間から、フィルムが回り始め、わたしもまたエキストラの一人として、映画を彩るひとつの要素になったかのような気分にさせられる。
英国統治時代の面影を偲ばせる平屋一戸建ての建築物は、昔日のバンガロールの象徴的な家屋の様式で、町の随所に見られた。広大な敷地の中央に立つ白い建物を包み込むように、庭の樹木が生い茂る。数十年前までは、バンガロール市街は緑に覆われていた。ゆえに盛夏でも涼しく、「エアコンシティ」「ガーデンシティ」と呼ばれていたのだった。
初めてバンガロールを訪れた20年前から、わたしは「バンガロー」の情景が好きだった。コロニアル様式の上品な風情。高い天井と太い梁、静かに艶やかな床のタイル、日差しがやさしく差し込む窓辺……。しかしながら、このような建築物は次々に姿を消し、それに代わって建蔽率の高い無機質なビルディングが街の随所を埋め尽くしてきた。
わたしが、バンガロール市街にあるブティックのRaintreeやCinnamonが好きなのは、古いバンガローが改築され、店舗になっているのも理由のひとつだ。老朽化した建築物の改築や維持がたいへんなことは、CinnamonのオーナーであるRadhikaからも、具体的な話を聞いていており、理解している。そのうえでなお、もうこれ以上は取り壊さず、残されたバンガローを保存してほしいと切に願う。
さて、個展の招待状を受け取ったとき、築100年を超えるバンガローが会場と知って、関心が更に高まった。ノーベル物理学賞を受賞したCV Ramanが約30年暮らした住居だという。Namuの夫であるVivekがCV Ramanの孫だという話は聞いていたが、この由緒ある邸宅の存在は知らなかった。
1970年にCV Ramanが他界したあとも、ほとんど手をつけられぬままに半世紀以上、静かに守られてきたであろう邸宅。その時を遡る空間に、静かな呼吸を与えているのが、コルカタ出身の画家、Avijit Duttaの作品だ。彼はVivekに依頼され、昨年発売されたRaman研究所の75周年記念切手のデザインを手がけた。今回の展示会は、その延長線上にあるという。
Ramanの足跡を辿り、彼の往年のライフを調査したうえでの、この場所での展示会。邸宅に入った瞬間に感じた「見事な調和美」は、Avijit自身が会場と絵画を演出しているからだろう。中央の広いホールでは、ゲストたちがワイングラスを片手に語り合う。左右には小さね部屋があり、そこにも作品が展示されている。
右側の薄暗い部屋に足を踏み入れた瞬間、「これこそが、侘び寂びだ……!」と直感して心が震えた。
ところどころ、塗料が剥げ落ちたくすんだ壁。輝きを失ってヒビの入った窓ガラス。色褪せた書籍。音を忘れた楽器……。
壁を覆うどころか、むしろ、ぽつん、ぽつんと、空間の静寂をを引き立てるように配された絵画。その存在感と光の具合。音楽が好きだったというCV Ramanを偲ばせる、ピアノやシタール、そして机や書棚が、見事に調和している。
侘び寂び。
先日記した『Wabi - Sabi わびさびを読み解く』という本。読了後、自分の中でぼんやりと漂っていた懐古主義やノスタルジアが、くっきりと言語化された。読みつつ感じた「侘び寂びとは、むしろインドにさえある」という個人的な直感。時を置かずして、それを目撃できたことの幸運。
会場には、我が友人らも訪れていて、会話が弾む。Namuのご両親にもお会いした。Namuのお母様であるMaliniは、いけばな小原流の師範でもある親日家で、日本文化への造詣も深い。先日、老舗ジュエリーショップのクリスタル・ミュージアムで実施された、わたしの日本文化に関するプレゼンテーションにも、Namuと共に出席、強い関心を示してくださった。
さまざまなご縁が、静かに繋がってゆく心地よさ。(続く)
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