昨日は7月7日「日曜日」だった。わたしと夫が、ニューヨークのリンカーンセンター前にあった大型書店、Barnes & Noble4階のスターバックスカフェで出会ったのも、1996年7月7日の「日曜日」だった。七夕の夜に書店でインド人男性と出会った日本人女性が、28年後の同じ日、インドの文学祭に招かれている。そして日本を語っている。
日本を飛び立ち、ニューヨークへ降り立ったときには、まるで想像していなかった未来。人生とは、自分で切り開いてきたかのように見えて、実は定められたレールの上を進んでいるのかもしれないと、改めて思う。与えられた大小の使命を、自分なりに試行錯誤して、遂行する。
わたしが登壇したのは、文学祭を締めくくる最後のセッション。モデレータを含め計6名の女性が舞台を彩った。タイトルは”The Alchemy of Crossing Over" 。漠然としている。そのまま日本語訳すると「越境の錬金術」。なんのことやら、わからない。「凌駕の秘術」? 益々、わからない。転じて「乗り越えるための、とっておきの技」とでも言おうか。
インドのフィットネス界に新風を巻き起こした女性、有名コメディアンの息子を女手ひとつで育て上げ、 60歳で作家となったライフコーチングの女性、睡眠の重要性を追求するアーユルヴェーダのスペシャリスト、 優れたヒプノセラピスト(催眠療法士)としてグローバルに人々を救う女性、 日本で生まれ育ち、米国生活を経て、インドに約20年暮らす日本人女性……。個性豊かなパネリストを束ねるのは、英語とカンナダ語を巧みに操るジャーナリスト。みなそれぞれに独自の世界を開拓し、著書を持つ。
一瞥するだけでも、メンバーひとりひとりの強い個性が見て取れる。与えられた時間はわずか1時間。あらかじめテーマを絞り込むことは困難ゆえ、モデレータの裁量で、適宜、質問を投げかけるということになった。つまり、ぶっつけ本番である。
日本語でならば、どんな球でも受けて返せる意気込みはあるが、なにしろ英語。自分の心情を的確に表現できるか多少の懸念はあった。
まずは、わたしがなぜ、インドに暮らすことになったかの経緯を問われた。子ども時代の話にはじまり、20歳の米国1カ月のホームステイによる人生の転機、国語の教師志望から転じて旅行誌編集者としての駆け出し時代。英語力を磨くための渡英3カ月、そしてニューヨークを目指し暮らし始めた直後、28年前の七夕にインド人男性と出会ったことが、わたしをここに導いたことなどを語る。
そこから質問に応じて、日本における女性の立場や地位、日常生活における役割のタフさなど、自分が日本にいた時代と今日に至るまでの状況を含めて言及。また、茶道などにも見られる禅の思想が、今の日本人の暮らしに影響を与えているのかどうかなどについても問われる。さらには、個人的なアーユルヴェーダの経験についても尋ねられたのでシェアした。
正直なところ、どうなることかと予測不能だったが、結果的には、的確に返すことができたと思う。普段はわたしの仕事に対して辛口な夫も、そこそこ褒めてくれた。夜の便で、アフリカ旅へ出発するという慌ただしい最中、Shruthiも駆けつけてくれ、健闘を讃えてくれた。うれしかった。
バックグラウンドの異なる女性たちは、しかし、生きる基本である「心身の健康」や「生きがい」をテーマに、率直な言葉を交わしたセッションだったと思う。モデレータの巧みな質問の投げかけと、各パネリストたちの臨機応変な回答には感嘆させられた。パンデミックが開けてのここ数年、わたしは、インド人に対してのプレゼンテーションに力を入れている。ゆえに、もっと英語力を磨かねば! と、改めて思った。
ところで昨日は、先月の一時帰国時に購入した「有松絞りの浴衣」を着て参上した。またしても我がファッション、「情景とのコーディネーション」が抜群だ。ポスターの中に溶け込んでいる。この浴衣については、別途、記したい。
ホテルに戻って遅いランチ。ほどよく冷えた白ワインを飲みながら、「お疲れさま!」と自分を労う。達成感。このような機会を得られたことに感謝だ。
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