小中高を過ごした、福岡市東区千早、香椎、名島界隈。いつのころからか、街の様子はどんどん変わってしまい、今となってはもう、懐かしさの欠片が見当たらない。
セーラー服の裾を翻し、自転車を立ち漕ぎしてかっ飛ばしたあの道はいずこ。
香椎駅界隈の、なんとよそよそしいこと!
今でも、あの無法地帯な自転車置き場や、駅の改札や、チョークで記した伝言板や、篠栗線に乗り換えるために駆け出す友人や、セピア通りの書店や、ヨシダ楽器や、交差するみゆき通りの、友達の家の香蜂饅頭や、スーパーマーケットや、鮮魚店や、八百屋や、手芸店や……。
軒を連ねた活気ある店舗の、無数の個性ある情景が脳裏を巡るというのに。どうしたのだ、この無機質なビルディングの連なりよ!
あの、買い物かごを下げた人々が行き交う、あの生き生きとした雑踏は、どこに消えたか。これもまた、無常なる時代の流れ。
……今回は、いつもに増して、昭和の情景がしのばれる。
買い物に出かけたり、実家の片付けをしたり、髪を切りに行ったり、マッサージに行ったり、天神に行ったり、仕事をしたりするうちに、瞬く間に1週間が過ぎた。
昔の一時帰国時には、毎日のように友人らに会って飲んで食べたり、出かけたり、本当に元気だったなあ。
今はもう、連日の外出は無理。そもそも福岡には、友人知人も少ない(と、数日前に気づいた)。ほとんどが自宅での食事。歳を重ねた母と過ごすことが主目的で、年に2回の一時帰国を決めたので、これはこれで、よいことなのだが……。しかも食事はおいしくて幸せでもあるのだが……。
母が歳を重ねている分、やれやれ、わたしも歳をとったのだ。気分は常時、概ね37歳のつもりだったが、このごろは帰国するたび、浦島太郎のような心持ちになってしまうのだ。遣る瀬ない。
……と、珍しく、感傷的になことを綴る夜。久留米絣のことを書きたかったのだが、それはまた後日にしよう。
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