李氏朝鮮王朝の創始者である李成桂によって、1395年に創建されたという景福宮。かつては、この周辺に数百棟もの殿閣が立ち並んでいたという。
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や、韓国併合から30年に亘る日本統治時代(1910 -1945)の影響を色濃く受けた場所が点在するソウルだが、ここもそのひとつだ。
景福宮にほど近い場所にある「レンタル民族衣装」の店の前で、旅行ガイド氏と合流。まずは好みのチマチョゴリを選んで、景福宮を訪れる。民族衣装というのは、どうしてこうも、興味深いものだろう。
レンタルのそれらは、化学繊維のチープな素材で、決して品質がいいとは言い難いが、みな目の色を変えて、真剣に選ぶ。上下の組み合わせが自由だというところも、時間がかかるが楽しいポイントだ。
わたしは赤やピンクの強い暖色系にしたかったのだが、あいにくやさしい色合いのものが中心だったので、比較的高品質に見える黒を選んだ。履いてきたボトムの上に、ワイヤー入りのペチコートを着用し、その上のチマ(スカート)を履いて、チョゴリ(ブラウス)を着るだけなので、サリーや着物に比べれば簡単だ。
京都でレンタル着物店に群がる外国人と全く同じ状況。京都の随所で写真撮影をしまくる外国人と全く同じ状況。
景福宮では、朝の10時に始まった「王宮守門将交代儀式」を見学する。これは、朝鮮王朝時代(1392~1910年)に、王宮で門の開閉や警備、巡回業務などを遂行していた「守門軍(スムングン)」の儀式を再現したものだという。
衣装の色合い、旗の絵柄などが、チベットのそれと酷似しているね……と、チベット系インド人の友人Dekyiと語り合う。アジア世界のつながり。
ガイド氏も、ガイド助手氏も、わたしが韓国人だと思ったらしく、親しげに話しかけてくる。わたしが福岡出身でインドに暮らす日本人で、今回初めて韓国に来たのだというと、一瞬、混乱した表情のあとに、親しげな笑顔を見せてくれる。助手氏はわたしが福岡からインドに至った経緯が興味深いらしく、歩きながら略歴を尋ねられた。
景福宮の歴史的な背景を教わりつつ、改めて韓国の地理(地政学)について思いを馳せる。中国と日本の間に位置する朝鮮半島。ただそれだけで、この半島は重要な位置だった。逆にそれが原因で、近年、南北が分断されることにもなってしまったのであるが。
その重要な位置にある国の、首都であるソウルはさらに、「大切な土地」の印象を強く受ける。市内を横切る豊かな川、漢江(ハンガン)。街を取り囲む山々……。海(港)にもほど近い。
ホテルの窓からは、豊かな緑と摩天楼とのコントラストも鮮やかな景観が見晴るかせる。北岳山を背に、清渓川(チョンゲチョン)を目の前にした景福宮は、 「山を背負い、水を前に置く」という、風水で吉地とされる場所にたたずむ、まさにパワースポットだ。
古来、この地では、北岳山から吹く風は生命のエネルギーとされ、この風が、街に精気を流すと考えられていたという。どことなく台北の故宮博物院の空気にも似ている。綴りたいこと尽きぬ。
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自分の写真がやたらと多いが、楽しいコスプレの大切な思い出につき、ご容赦を😸
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