2005年、ちょうどわたしがバンガロールに移住した年から、パンデミック時代を除き、毎年開催されてきた日本祭り「JAPAN HABBA」。HABBAとは、地元カンナダ語で「祭り」を意味する。
当初は、バンガロールで日本語を学ぶインド人学生有志らにより始められたこのイヴェント。日本にゆかりのある様々なヴェンダーが出店するほか、日本をテーマにしたパフォーマンスが展開されるステージ・プログラムも人気で、年々、その規模を拡大してきた。前回の2023年には、6000人を超える来訪者で賑わうインド最大の日本祭りに成長していた。
当初は、日本のアニメやゲームを契機に日本に関心を持ち始める若者が多かったが、年々、客層の幅が広がり、熱気も増し続けてきた。20周年となった今回は、会場を広大なパレス・グラウンドにアップグレードしての開催だった。
2012年と13年、わたしはステージの司会を務めた。また、2013年からは、ミューズ・クリエイションとして毎年参加。メンバーによる手工芸品の販売をはじめ、書道短冊や折り紙のデモンストレーション、またステージでコーラスやダンスを披露するなど、積極的に関わってきた。
パンデミック明けより、ミューズ・クリエイションの活動内容が変わったことから、前回に引き続き今回も、書道短冊の販売に絞り込んだ。1枚100ルピーの短冊が、飛ぶように売れるのだ。これは単に資金調達が目的ではない。メンバーやそのご家族が、インドの人たちと交流しつつ、書いてほしい言葉や名前を選んでもらい、一文字一文字記していく。その過程が有意義なのだ。
当初、わたしはミューズ・クリエイションに専念し、場合によってはステージ・パフォーマンスに向けて何らか編成したいと思っていた。しかし、昨年の終盤、京友禅サリーのプロモーター(ブランド・アンバサダー)を再度お引き受けし、JAPAN HABBAで出展することになったことから、今回はその実現に集中した。
年末と年始にメンバー有志と集って短冊作りをしたり、京友禅サリーのマネキンやら看板やらを発注するなど、お祭りまではその準備に専心していたのだった。
前日の夜に現場入りし、マネキンガールズやポール、看板などの荷物を搬入する。そして翌日は朝7時過ぎに現場での準備を開始。幸い好天に恵まれて暑すぎるほど。ミューズ・クリエイションと京友禅サリーのブースを隣同士にとお願いしていたので、すぐに行き来できるのは便利だった。便利だったが……あまりの来訪者の多さに、その2つのブースと途中のお手洗い休憩以外、他の場所を全く見られなかったのが残念だった。
なにしろ! タイトルにも記している通り1万5000人の来訪者なのである。本当に圧倒的だった。特にフードコートの混雑たるや!
ミューズ・クリエイションのブースは5時ごろに閉じ、京友禅は6時ごろに閉じた。書道短冊は、有志のみなさんのおかげで800枚以上が売れ、つまり80,000ルピー以上の売り上げとなった。いつものように、慈善団体への寄付や寄付の品の購入などに使わせていただく。
2年前に続いて、今回も、京友禅サリーの発起人である京都工芸染匠共同組合の竹鼻夫妻も、京都からお越しになっていた。JAPAN HABBAのスケールの大きさ、そして若者の多さに圧倒されていた。
大音響で盛り上がる数々のステージ・パフォーマンスの中、声を枯らしながら京友禅サリーの説明をした一日。我が夫や、こちらで働く女性にサポートをしてもらってなんとか乗り切った。
今回も、日本に関心を持つインドの方々の多さを「視覚的に」時間できる機会だった。企画運営に関しては、今後どうなるのか諸々の課題があると察せられるが、まずは大禍なく、無事に終了できて本当によかった。
荷物の片付けやら搬出などがあり、すぐに現場を離れることができなかったが、幸いにもぜひ聞きたかった「竜馬四重奏」の演奏を聴くことができたのがラッキーだった! 昼間は講堂で、夜は屋外でのパフォーマンスが行われたのだ。
満月のもと、疲労困憊だったにも関わらず、大いに盛り上がって本当に楽しかった。濃い一日だった。関係者各位、本当にお疲れさまでした!
🇮🇳🇯🇵 JAPAN HABBA@Bangalore 2022 毎年恒例の日本祭り。ミューズ・クリエイションが参加した10年の軌跡をたどるアルバム
コメント