昨年の終わり、日本のAmazonで注文していた写経のノート。あれこれと比較検討して選んだだけあり、紙質もよく、書きやすい。手本を見ながら書く。唱えながら、書く。
毎朝、10分程度の瞑想を続けていたが、邪念にまみれて心休まり難く。
写経であれば、自分に向き合ったひとときを、視覚的に確認できる。何より、般若心経の、根源的な世界の教えを、日々、綴れる。
心の乱れや、邪念や、集中力のなさが、文字となって現れるので、自分の精神の様子を視覚化できるのがよい。最後の「右為」の一行には、「何のために唱えるのか」を書く。
日々、そのときどきの願いや、祈りを、綴る。それがまた、よい。とにかく、手で書く。それが大事。
般若波羅蜜多心経(玄奘三蔵訳)。大乗仏教の教理が、この短い経典の中にすべて、凝縮されているという。
今から16年ほど前、ムンバイとバンガロールの二都市に住んでいたころ。リーマンショックやムンバイ同時多発テロやらで、実に心乱れる日々を過ごしていた。少しでも、気持ちを整えたく、一時期、写経をしていた。
思い返すに当時は、まだ自分の精神が熟していなかった。この経典が指南する意味を、真に理解しようという姿勢が希薄だった。
今は、あのころとはだいぶ違う。この教えの意味を少しでも理解しようと意識しながら、文字を綴っている。自分の在りように重ねながら。年齢を重ねるとは、こういうことなのだなと、思う。
経験を重ねて謙虚にありたい。歳月を重ねて思慮深くありたい。若いころには見えなかったものを、見えるようになった今を慈しみながら。
🖌
般若波羅蜜多心経は、特に「空(くう)」思想についてを説いている。すべての事象は不変の実体をもつものではない。深い智慧により執着を離れることで悩みや苦しみから解放されるとする。
これは、仏教というひとつの宗教にとどまらない、普遍的な、人間の真理だと思う。少なくともわたしにとっては、宗教を超えた、精神世界の在り方を指南してくれる言葉の連なりだ。
言葉にすれば流れていくような、滑らかな表現。しかし、これを真に理解し、自らの生き様に取り入れ、日々生きることの、どれほどの困難か。
こうして書いている今だって、インドの日常にありがちな、日常茶飯事のトラブルあれこれが、笑えるくらいに頻発して、「ウキ〜ッ!」っとなっている。今年は極力、怒鳴らないと決めたのに。自動的に声を荒げてしまう哀しみ。
理想と現実の間(はざま)で、足掻きながら生きている。
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経🙏
コメント